アネモネ | ナノ
15


先ほどまでの喧騒が嘘のように、一気に部屋じゅうが静まりかえった。まるで水を打ったように。
しかしそれも長くは続かず、すぐに騒がしくなった。石田様は無事かだとか曲者だとかただちに捕まえろだとか、とにかくいろんな言葉が広間を飛び交った。
このとき私が考えていたのは、ふと頭に流れこんできた映像が現実となったことに対する驚きや疑問などではなかった。
暗殺。胸の奧にしまっていたそれが、急に私の意識の中に浮上してくる。おそろしいほどの恐怖を覚えた。

「立て。なにを惚けている」

喧騒の中でゆっくりと顔を上に向けると、一緒に床に倒れこんだはずの石田様がいつの間にか立ち上がっていた。
仰ぎ見た彼の表情は、いつものように能面を被ったようなものだった。どうして、と思う。どうしてこんなときでさえ、この人は表情一つ変えずにいられるんだ。
体が震えそうになるのを押さえこんで足に力を入れる。が、うまくいかない。まるで最初からその存在自体がなかったかのように、足を感じることができなかった。
胸が苦しくなるのを覚えながら私は石田様に言った。思っていたよりも小さな声しか出なかった。

「た、立てません」
「立てない?」
「腰がぬけてしまったみたいで。時間がたてばおそらく大丈夫だと――」
「待てん」
「きゃっ!」

突然抱き起こされたかと思うと、強い力に引っ張られて石田様の腕の中に収まるかっこうになっていた。視線がいつもより高くてかすかな浮遊感を覚える。足と背中に、支えられている感触がした。
これはいわゆるお姫様抱っこ、というやつをされているんだろうか。しかし、よく少女漫画で見るような甘い雰囲気など当然なく、石田様は騒然としている広間をさっと出るとそのままどこかに向かって歩き始めた。私たちの間に会話はない。

「しばらくここにいろ」
「ここは?」

やがて石田様はある一室の前で立ち止まった。襖を開けるため片手を私の足の下から抜いたので、私は慌てて彼の首に手を回した。
襖の開かれた先には広い部屋が待っていた。畳張りの床の上には文机だけがぽつんと置かれているほかにはなにもない。彼はその畳の上に半ば落とすようにして私を置いてから

「私の居室だ」
「石田様の?」
「私が戻るまでここにいろ。それまで誰が来ても襖は開けるなよ」
「……大谷様も、左近様もですか」
「私は誰も通すなと言ったはずだが」
「か、かしこまりました」

石田様は一度鼻を鳴らすと再び部屋を出ていった。
残された私はゆっくりと息をついた。吸って吐いての動作を数回繰り返す。
先ほどの恐怖はすでに消えていたが、変わって今はどうしてという気持ちが私の中を満たしていた。どうして。どうしてなんだ。どうして私はあんなものを見たんだ。どうやってあんなものを見れたんだ。私はいったいどうしてしまったのだろう。
*
しばらく待っていると石田様が帰ってきた。

「おとなしくしていたようだな」
「……どちらに、行かれていたのですか」
「大広間だ。家臣たちには必要以上に騒ぎだてぬよう言ってきた」
「下手人は?」
「捕らえた様子はないようだった。逃げられたな」

石田様は視線を遠くにやりながらそう言った。その瞬間、私は謝りたい気持ちで胸がいっぱいになった。

「すみませんでした」

私は額を畳に擦りつける。

「なにがだ」
「私、知ってました。石田様に暗殺の噂があるということを。黒田様に聞いたんです。だけど、私はずっとそのことを黙っていたんです」

本当に申しわけありませんと言って、私はさらに頭を垂れた。
一秒でも遅かったら、きっと石田様は無事では済んでいなかったはずだ。最悪、死んでいたかもしれない。

「暗殺などどうでもいい」
「え?」

しかし石田様の反応は意外なものであった。私が呆気にとられていると

「家康を殺すまで死ねるものか。家康を殺すのは、私だ」

ギラリ、という効果音がつきそうなほど石田様の目が鋭く光った。
ああ、きっとこの人は徳川家康を殺したくてたまらないのだ。自分の手で殺したくてたまらないのだ。主人を討たれた恨みで。

「それよりもなぜわかっていた」
「なにが、ですか」
「私に向かって刃物が飛んでくることをだ。貴様はずっと目を閉じていた。しかも、貴様が叫んだのは飛んでくるずっと前だった。それがどうしてわかったのだ」

私は答えに詰まった。なんと言えばいいのだろう。あなたが暗殺される様子が突然頭に流れてきました、とでも言えばいいのか。
しかし石田様が鋭い視線をそのままに私を見ていたので、私は観念して口を開くことにした。

「見えたんです。石田様が襲われる様子が。突然。頭の中に流れこんできて」

予知夢、とは少し違うかもしれないが、つまり私は未来を見てしまったということになるのだろうか。
ふと、あのときのことを思い出した。天気を当てたときのことだ。私の言ったことが、私の見たものが、現実になった。それはいわゆる予言といわれる行為ではなかろうか。
いや、そうじゃない? それは、不思議な力、未来を変えられる力――?

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