アネモネ | ナノ
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「那由他なり、阿蘇祇なり、河沙なり、思議なり、無量なり。時を穿ちて、神の集えに集い給いて、聞こし召ませ、聞こし召ませ」

彼女はそう言いながら右手と左手を交互に上げると、舞のようなものを踊ってから足元に置いてあった弓を手に取った。背中の矢筒から矢を一本出し、空に向けて引き絞る。
私はそれを見ながら

「占いっておっしゃってましたよね。彼女は――」
「伊予河野の隠し巫女、預言者だ」
「巫女……」

私のような偽巫女ではなく、まさか本物がいたとは。
なにを言われるのだろう。そして私は本当は何者であるのだろう。それがわかるのだろうか。
知りたいけど知りたくない気もする。逃げ出したいけれど逃げ出したくない気もする。相反する思いが私の中で暴れていた。

「詩織ちゃんは不思議な力を持っているようですね」
「不思議な力?」
「詩織ちゃんには未来を変えることができるんですよ」
「未来を、変える……? 私が?」
「そうです! とってもすごい力です!!」

ぎゅっと興奮気味の鶴姫さんが私の手を握る。ほっそりとした見た目のわりには以外と力が強いなと思った。
未来を変えるとは、つまり歴史を変えてしまうことなんだろうか。でも私が戦国時代へ来てしまった時点で、すでにもう歴史が一つ変わっているんじゃないかと思う。私という異物が混入されたことによって。
石田様を見上げると、わけがわからないという顔をしていた。無理もないと思う。当の本人である私さえ、身に覚えのないことだったのだ。

「鶴姫さん」
「どうしましたか?」
「未来を変えるって言いましたけど、じゃあ私は具体的になにをすればいいんでしょうか」
「いいえ、詩織ちゃんは特別になにをする必要もないんです」
「え?」
「詩織ちゃんは詩織ちゃんのままでいてください。きっと未来がそれについてきてくれるはずですよ」

それから鶴姫さんにお礼を言って、私たちはまた二人で船に戻った。
望んでいた結果を、石田様ははたして得られたんだろうか。私には、結局うやむやになってしまっただけとしか考えられない。
夕暮れどきの海はどこか寂しさを感じる。多分それは視界を邪魔するものがなにもないからだ。私は子どものころから、夕焼けを一日の終わりの象徴だと思っていた。海の上には海だけが延々と続いている。地平線の向こうに沈む夕日がよく見えた。

「お前は……」
「はい」
「お前は本当に未来を変えられるのか」
「わかりません」

私は静かに首を横に振った。

「だが、あの小娘の言葉だけは信じるに値するものではある」
「だってそんなの身に覚えがありません。いきなり未来を変えられるだなんて……」

そのようなことを言われても、途方に暮れるしかない。歩いても歩いても終わりがない砂漠をひたすら進むような、果てしない気持ちがする。
そういえば、と思った。私はなんのためにこの時代へやってきたんだろう。大谷様が私を佐和山城へ、島様が遠乗りへ、そして石田様が四国へと私を連れていったこと三つすべてに理由があった。
では、これにもなんらかの理由が存在するんじゃないだろうか。
だったら私はどうすればいい。

「……石田様」
「なんだ」
「私、決めました。巫女だとか未来が変えれるとかそんなのはどうでもいい。ただどうして私が戦国時代へ来なければならなかったのか、私はそれが知りたいんです」

言い切ってから、私は石田様を見た。
最初に会ったときもそうだったけれど、やはり端整な顔立ちをしていると思った。長くて濃いまつ毛に縁取られた翡翠色の瞳は、今は夕日の色が映りこんでいて少し柔らかい印象を受ける。私の世界の石田三成もこんなに綺麗な人だったんだろうか。

「貴様がなにを考えようとも、私には関係のないことだ」
「ご、ごもっともです……」
「だが」
「だが?」
「己が西軍にいるということは忘れるな。私は憎き家康を必ず殺す。その邪魔立てだけは絶対に許さない」

物騒な言葉が発せられているというのに、不思議と私の心は落ち着いていた。
ふと、この人はただ実直なだけなんじゃないだろうかと思った。豊臣秀吉が石田三成を重用していたことはぼんやりと覚えている。彼は秀吉の与えてくれた恩義に報いようとして、彼を亡き者とした徳川家康を討とうとしているのだ。
もう一度石田様を見ると、その視線は大海原に注がれていた。やっぱり綺麗な人だったと思う私の横を、潮の香りを含んだ風が通り抜けていった。

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