07
目の前に立派な白馬が一頭いる。そっと背中を撫でると、毛の柔らかな感触が指に吸いつくようだった。
「出発しましょうか」
後ろから声をかけられて、首を向ける。
私は馬上の人となった彼――島左近様と、目の前の白馬を交互に見やって困惑の表情を彼に浮かべた。
「私一人で馬乗れないです」
「あ、そうなんすか。では俺の後ろに。手を貸してください」
「はあ」
言われて右腕を差し出す。島様は「いきますよっ」と片手で軽々私を持ち上げると馬の上に乗せた。
馬の上から見る景色はいつもとまったく異なっていた。目線が高い。大げさかもしれないが、世界が変わったようにも思えるほどだ。
景色に見とれていると急にぐらっと体が傾いだ。島様の背中に頭をぶつけてしまう。馬が歩き出したらしく、下半身から上半身へと揺れが伝わってきた。私はひかえめに島様の服を掴みながら
「どこへ行くのですか」
「巫女様がお望みならどこへでも」
「私を逃がしてくれと言っても?」
「それはできない相談ですけど。他ならなんでも言ってください」
「じゃあ島様にお任せします」
「俺の采配ってことっすね。了解です」
島様が馬の腹を蹴った。一気にスピードが上がり、私の髪の毛を風がさらっていく。
ふと、そういえば馬には一度乗ったことがあることを思い出した。幼稚園のころだったか動物園へ連れていってもらったときに、飼育員のお兄さんと一緒に乗ったのだった。もちろん今のような速さではなくて、ゆっくり散歩をするような感じだったのだけれど。
「巫女様は本当に未来が見えるんですか」
背筋のピンと伸びた背中を見ながら、この人も戦国武将なんだよなと思ってみる。戦国武将というのは厳格そうなイメージであったのに、島様はまるで平成の世にいるチャラいお兄さんという感じだ。なんといっても初対面相手に、現代の感覚であればドライブにでも誘うようなものである。
この人も石田様と同様、実在した人物なのだろう。けれど教科書レベルの日本史しか知らない私にとって、彼の名前は聞き覚えがなかった。
「見えるんじゃなくて、知ってるんです。それは知識であって、予言じゃないから」
「……よく、わからないです」
「つまり私は巫女じゃないんですよ。大谷様が思いこんでいるだけで。私は普通の人間です」
「うーん、やっぱり俺には難しいみたいっす。頭の中身が軽いってよく言われ――あ、着きましたね」
馬の嘶きが聞こえて動きが止まる。
左近様が馬上から飛び降りると、目の前には遮るもののなにもない雄大な景色が現れた。
「ここはどこですか」
「俺ら石田軍が誇る近江佐和山城の城下町です」
「これが城下町……」
ちょうど真下では市場のようなものが立っていて、大勢の人で賑わっている。視界の遠く先には田園風景も見えた。風が吹くたびに稲穂が揺れて波立つ海のようだと思った。
「すごい」
私がその言葉を放ったのは、この堂々たる眺めばかりを指して言ったのではなかった。城下町の人々 の活気に満ち溢れて生き生きとしている姿がとても目に焼きついたのだ。
「巫女様もそう思いますか。これはね、すべて三成様の善政があってこそなんですよ」
「善政……?」
島様の言葉に驚いた私は、思わず彼をじっと見つめてしまった。
失礼かもしれないが、あの激しい気性をした石田様と、善政という単語が結びつかなかったのである。
「意外だって顔してますね」
「す、すみません……」
「謝ることないっすよ。三成様って誤解されやすいんですよね。たしかに怖くて厳しいですけど、それは三成様のほんの一面にしかすぎない。この景色を見ればわかるでしょう。みんな笑っている。
実は俺も三成様に拾われたんですよ」
島様が眼下を眺めながらうっとりとした声で言う。そのときのことを思い出しているのかもしれない。
「どうして私をここに連れてきてくださったんですか」
ふと湧いた疑問だった。私は気になって島様の横顔に問いかけてみる。
「三成様のことを巫女様にもっと知ってもらいたいと思って」
歯を見せたいい笑顔を島様は見せる。
もっともなにも、私は石田様のことを最初からまったく知らない。だからそんなことを言われても困ってしまうのに。
けれど、もしかしたら想像していたよりも悪い人なんじゃないのかもしれないともう一度城下の景色を見ながら思った。
9月の爽やかな風がゆっくりと頬を撫でた。
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