アネモネ | ナノ
05


「み、こ、ってなんですか」

私は憮然として言った。
私が巫女だと。まったく身に覚えのないことである。
私の家は神職とはまったく縁もゆかりもないし、親戚だってそれは同じだ。
大谷様は小さく首を傾けると

「巫女ではないのか」
「いや、あの、だからわからないんです。なにもかも」

すっかり困りはてて訴える。
そうか、と大谷様の口調が急に素っ気ないものになった。他にもなにか言ったような気もしたが、小さくて上手く聞き取れなかった。

「まあよい。最初から話してやろ」

ふっと大谷様の視線が私から外れる。反射的に追いかけると、壁にぶつかった。

「昨夜、西の方角に妖霊星を見た」
「ヨウレイボシ?」
「凶事のしるしとされる星だ。我はあれがひどく気になってなあ。今朝占いで見たところ、どうやら近々大きな戦が起こるという。
それからこれがなんとも興味深い。この世ならざるものが我らの前に姿を表すというのだ。我は主に違いないと思った。主が巫女だと思った。主は我の見た場所見た時刻にそこにおった」

つらつらと次々述べていく大谷様に私は言葉を挟むことができなかった。
この世ならざるもの。意外とそれは当たっているのかもしれない。ここは戦国時代で、私はもっとずっとあとの世界からやってきたのだから。
しかし腑に落ちないのは、この世ならざるものと、大谷様の言う巫女との間にイコール式が成り立つことである。普通は妖怪やら怪物やらを想像しそうなものだが。

「……この世ならざるものと巫女には、どのような関係があるんでしょうか」
「神の使いだ。この世ならざるものは神の使いだと」

聞きながら、たしかに神の使いはこの世ならざるものではあるかもしれないと思った。巫女という呼び方も不思議としっくりきてしまう。

「私は家康を殺す。家康は恐れ多くも秀吉様のお命を奪い、私を裏切ったのだ! ああ、口にするだけでも虫酸が走る!!」

ずっと黙っていた石田様が突然弾かれたようにそう叫んだ。驚いた私は石田様に視線を移した。
私が驚いたのは石田様の叫び声にではない。いや、まったくといえば嘘になるが、私の関心は別のところにあったのだ。
家康が秀吉の命を奪った――?
豊臣秀吉の死因は病死だったはずだ。それなのに、家康が秀吉の命を奪ったとはどういうことなのだろう。

「恐れながら」
「次は何用だ。私は今頗る機嫌が悪い」
「す、すみません……今一度確認したいことがございます」

半ば平伏の形に戻りながら言った私に、石田様が早く済ませろと告げる。
そのときになってようやく、もしかしたら一番聞いてはいけないことなんじゃないかと気づいたが、すでに後の祭りである。

「徳川家康は豊臣秀吉を殺したのですか」
「先ほどからそうだと言っている!」

綺麗な顔だから余計に怒ると怖さが増す。
私は軽率であった自分を恨んだ。そういえば日本史の時間先生が、石田三成は難しい性格の持ち主だったと言っていたことを今さらながらに思い出した。
命さえ無事であればいいと思っていたものの、その願いも今は虚しく消えていく。やはり打ち首、とかなんだろうか。

「まあ三成落ち着けやれ。巫女が怖がっているであろ」
「……刑部。私が貴様を疑ったことはこれまでに一度もなかったが、今回ばかりは馬鹿馬鹿しいとしか言えん。巫女など私は信じない。私は私の力で家康を殺す」

大谷様がやれやれという風に肩をすぼめた。そして三成様に向けていた目を私の方へ移す。
小さな呼吸が聞こえたあと、大谷様の口元の包帯が動いて、言った。

「さて、我はここまで話した。主にもう一度問おう。主は巫女であるのか」

言葉に詰まった。元々詰まってはいたのだが、さらに言葉が紡げなくなった。
結論からいえば、私はやはり巫女ではないだろう。気づいたら山の中にいた、ただ、それだけだ。
だが、わかったこともちゃんとある。私は巫女ではないが、未来からやってきた人間ではあったということだ。
私は、言った。

「ご期待に添えませんが、私は巫女ではありません」

大谷様が落胆の息をつくのが聞こえた。
私はそれに被せるようにして「ですが」と逆接の言葉を挟む。

「私はどうやら、ここより先の時代からやってきたらしいのです」
「それは、真か」
「おそらく」

途端に大谷様は考えこむ身振りをした。小さく口元の包帯が上下して、ふむ、という声がした。

「女」
「はい」
「私は嘘を嫌う。貴様のそれは本当に嘘偽りではないのだろうな」

随分と疑い深い人だ、と思った。これは石橋を叩いて叩いて叩いた挙句、最終的には叩き壊してしまうようなタイプの人だ。
しかし、信じられないのも当然である。当の私だってそうだ。現実なのか夢なのか、今でも定かではないけれど。夢であることを願うけれど。
尋問をするような目つきで、石田様は双眸を私に注いでいる。思わず逸らしたい衝動に襲われた。だが一方で、逸らしてはいけないと理性が危険信号を出す。
――この人に疑われてはいけない。

「嘘ではありません。本当です」
「……では、証拠を見せてみろ。貴様がここより先の時代からやってきたという証拠を。その妙ちきな着物だけでは私は納得しない」
「わかりました」

肯定の返事をしたものの、証拠となるような物をセーラー服のほかになにも持っていなかったので、
これからおそらく起こるであろうことを全部話した。私の知っていること全部をだ。
関ヶ原の戦いのこと。江戸幕府のこと。明治や大正、そして昭和のこと。私が生まれた平成のこと。
関ヶ原の勝敗については一瞬迷ったのだが、正直に言うしかなかった。
石田様は私の話を以外にもずっと静かに聞いていた。時々眉間にしわを寄せて難しい顔をしたりもしていたけれど、黙っていた。
すべてを終えて一息ついていると

「後半はあまりよく掴めなかった。しかし、家康が勝つとそう言うのか」

石田様の最後の方の言葉は、尻切れとんぼになって中途半端に消えていった。
私は唐突にそういえば、まだ言わなければならないことがあったのを思い出した。ゆっくりと口を開く。

「石田様。また一つ申し上げなければならないことが」
「なんだ。用件はまとめて言え」
「私のいた時代では、豊臣秀吉は病死したと伝わっています」
「なんだと……?」

再び石田様の眉間にしわが寄った。膝の上に置いた握りこぶしが小刻みに震えている。

「家康が事実を隠蔽したということか」
「それはわかりません。可能性の一つとして、私はもしかしたら時間だけでなく、空間も超えてこちらにやってきてしまったということも考えられます」

パラレルワールド、である。私の住んでいる世界とはまた別の世界。ここは私の知っている戦国時代であって、私の知らない戦国時代でもある。
これならたとえ徳川家康が、事実を書き換えていなかったとしても辻褄が合うのではないだろうか。

「貴様の話はやはり掴めん」
「も、申し訳ございません……」
「まあいい。もう下がれ。貴様の寝所は今日から奥の大部屋だ」
「は」

あまりに寝耳に水の言葉であったために、私は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
これは、つまり、

「私をここにおいてくださるのですか」
「勘違いはするな。貴様の処遇については思案しなければならん。貴様の言うことが本当に真であると証明されるまでは一切の自由を禁ずる」
「ほ、本当によろしいのですか」
「くどい。他に行ける場所もないのだろう」

それはもちろんそうである。このまま放置されたら、確実に私は野垂れ死んでしまうだろう。右も左もわからない、居場所のない時代で。

「不束者ですが、なにとぞよろしくお願いいたします」

こうして、私の波乱万丈タイムスリップ生活の幕は上げられることになった。

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