「(鳴呼、眠いなぁ。)」
とろりとろりと混じり合う。
ぐるりぐるりと混ざり合う。
生と死の香りが、充満する。
有と無の証が、混同して行く。
二つの銀色が絡み合い、互いを侵食して行く。
「(このまま、死んでしまいたい位。)」
ざり、ざり、ざり、靴底が雪を削って、その足跡を克明に刻んで行く。とっくの昔に静寂を過ぎた奇妙な耳鳴りが、機械的な歩調を鳴らし遠ざかる彼の身体を震わせていた。
誰も『幸せ』になんてなれない。
誰も『幸せ』を得る事は出来ない。
誰もそれを許さないからだ。
誰もそれに気づかないからだ。
自分がそれを許さない。
自分がそれに気付かせない。
『幸せ』になれない自分が出来る、
たった一つの『幸せ』な行為だから。
微かに開いている様に見える目は、自分のこれからの最期を、しっかりと見届けようともしない。
「(──どうせ『幸せ』になんて、
なれるはず無いんだから。)」
『幸せ』になりたいと願って来た。
『幸せ』にしたいと歩き続けた。
それは、例えこのまま無様に生き足掻いたとしても、決して『幸せ』になれないと知っているからだった。
いつでもやめる準備は出来ていた。
歩みを止める気持ちは、ずっとあった。
ここまでだと笑って言える様に。
いつでも諦めてしまえる様に。
叶う事ない夢だと思える準備は、きっととっくの昔に出来ていた。
誰も助ける事なんか出来ない。
誰も救う事なんか出来ない。
誰も『幸せ』になんか、出来ない。
「(…じゃあ、何で?)」
何で助けてしまったのだろう??
何で救ってしまったのだろう??
どうして、『幸せ』にしてやりたかったのだろう??
どうして、『幸せ』になりたかったのだろう??
そんな事少しも思って居なかった癖に、
そんな事出来ないと分かっていた癖に、
諦めていた事を、
止める事が出来た足を、
とっくの昔に気付いた事を、
「(何で、私は…
こんなになるまで、
頑張ってるんだろう???)」
『パパを、宜しくね。』
『「不幸」な君に、何が出来るの??』
『このッ…××!!!』
『愛しなさい。』
『ルイ。』
私はひとりが怖いだけ。
私は怖くてたまらないだけ。
いつだって、怖がって、逃げていて。
諦めて、足を止めて、気付いていて。
誰も助けられないなんて。
誰も救う事は出来ないなんて。
誰も『幸せ』に出来ないなんて。
分かっていた、けれど。
『愛なんかじゃ、
「幸せ」になれない。』
『約束なんかして、
僕が君の為に来ると思う??』
『「僕」は、誰の隣で泣けば良いの…??』
『愛してなんか、ない癖に。
「幸せ」なんかじゃ、ない癖に。』
『ぼくを、けす』
『ねぇ、ルイ。
「幸せ」って何だと思う?』
「──ッ!!」
風穴が痛みの渦を巻く。
血が止まらない感覚が脳を融かす。
冷たい死神の手がひたひた頬を触るのを払いのける。
「…ッ、そ…がァ!!!」
死んでしまったって良い。
『幸せ』になれなくたって良い。
そんなもの無いと知っていたって良い。
誰かを助けた自分が居た。
誰かを救った自分が居た。
誰かを『幸せ』に出来た自分が、居た。
私が思っているよりも沢山の人を、
私はいつもがむしゃらに抱き締めていた。
歩いて居られる理由があった。
救っていられる自分が居た。
願う事を、赦されていたじゃないか。
今まで一つとしてそれを願った??
今まで一度たりとそれを望んだ??
馬鹿馬鹿しい、それこそ反吐が出る。
私はそんな事これっぽっちも考えていなかった。
だって私は、そんな頭の良い事など考えてもいなかったのだから。
「…ッかはっ!!!」
誰かの為に助けていた。
誰かの為に救っていた。
誰かの為に、『幸せ』にしていた。
ありがとうなんて言わなくとも、彼らの思慕と尊敬の視線が、私をいつも見ていた。
それが嬉しかった。
それが楽しかった。
誰かの為の『幸せ』を、代わりに探してやれる事で、私は私を騙していたから。
見つからない自分の『幸せ』の代わりに、誰かの『幸せ』の温かさを知っていたから。
助けたかった。
救いたかった。
『幸せ』にしたかった。
ただそれだけで、私は生きていた。
私は全てを知っていた。
痛みも苦しみも悲しみも。
勿論それは私のだけじゃなくて。
誰かがこれから受ける痛みの分もあって。
けれどそれは私が受けるべきじゃない。
生きる誰かが受けるべき痛みで悲しみで。
私は、私で
私以外の何者でもない。
世界を変えるとか誰かの願いを叶えるとか。
そんなこと…そんな凄いこと、私みたいな人間が出来るはずもないのに。
私の世界は、他人の手でどうとでもできる位に、
弱くて、ちっぽけで、優しすぎ、て。
疑問も抵抗もなく、何度でも何度でも書き換えられて塗り潰されて。
要らなくなったら…すぐに捨てられる。
そんな世界でしかない。
その世界の持ち主の私も、
ただ良い様に使われて。
要らなくなったら…すぐに捨てられる。
みんなそうしてきた。
みんな私を捨てて来た。
私だって。
それ位、分かってた。
「…ッ、…!!!」
だけど、彼はそれをやめなかった。
それを知っていて尚、彼は願った。
誰かの為の自分を彼は、肯定した。
それが、トム・マールヴォロ・リドルが、『幸せ』になれない理由。
痛みに、苦しみに、悲しみに。
耐えられなくなってしまった『トム・リドル』を救う為に、失ってしまった選択肢。
それは、きっと痛かったのだろう。
それは、きっと苦しかっただろう。
それは、きっと悲しかっただろう。
解放されたいと彼が願うまでに。
それは思いの外、辛い道のりだったから。
「(リドル)」
私は『幸せ』なんかじゃない。
私は一生『幸せ』になんかなれない。
でも、分かって居るからこそ、
それに気付いて居るからこそ、
全速力で生きて居られる人間だ。
誰も悩む必要がない様に、
誰も自分を『不幸』だと感じない様に。
精一杯、『幸せ』にしてやる様な人間だ。
「(私は、アンタのお陰で、)」
奪う事しか出来なかった冷たい手が、
いつしか温かさで溢れていた。
零れて行く『幸せ』の行き先が、
いつしか彼の頭の上へと変わっていた。
鳴呼、『幸せ』だと、呟く事すらおこがましかった私の冷たい手のひらが。
全身全霊をかけて、彼を愛していた。
「(初めて、誰かに恋をした。)」
『愛なんかじゃ、
「幸せ」になれない。』
それは、愛される事で得られる『幸せ』を知らないから。
『約束なんかして、
僕が君の為に来ると思う??』
それは、いつかやって来る別れの中で、『幸せ』の零れ落ちる音を、涙の音と勘違いしているから。
『「僕」は、誰の隣で泣けば良いの…??』
それは、『幸せ』な自分が誰かの隣で泣いてしまえる権利を知らないから。
『愛してなんか、ない癖に。
「幸せ」なんかじゃ、ない癖に。』
それは、愛していない人間から貰う『幸せ』の置き場所に困って、ぼろぼろとこぼしてしまうから。
『ぼくを、けす』
それは、『幸せ』になりたいと願う彼自身が、必死にその手を伸ばしているから。
『ねぇ、ルイ。
「幸せ」って何だと思う?』
…それはまだ、分からない。
だって、私も愛を知らないから。
二度と立ち上がれない様に臥していた足が、信じられない程の力を込めて宙を駆けた。血塗れの手が雪と土を掴み、割れた爪痕を鋭く残留させた。
無様に転げ回る様な態勢で、不気味な唸り声を過剰に響かせて、ルイは進んだ。折れた手が運動に耐えられず、どしゃりと横抱きに倒れたルイの頬を地面が擦り、薄くきめ細やかだった皮膚をずるりと剥いた。
「…ッ、ルイ!!!」
ギンと軋んだ鼓膜に注意は向けない。
今この瞬間に彼への想いは必要ない。
ただ、ただただ前へ、前へ!!!!
命が削れる。心が磨耗する。
ルイ・××という存在が、
一瞬で崩壊して行く音がする!!!
探しに行こう。
見つけに行こう。
私と貴方が、
『幸せ』になれる方法を。
折れてない方の手を伸ばす。その手は虚しく、漸く我に返ったリドルに掴まれ、後ろ手に留められる。
けれど嗤う。ルイは微笑う。
そんな事分かっていた。どうせ彼は弱虫で泣き虫な、どうし様もない『とむ』だから。
折れて動かない手の方を握らなかった事が、彼の生涯唯一の失敗だ。
「──!!!!ッああぁぁああ…!!!」
銀色の泉に叩き付けた役立たずの手のひらには、涙の様に一雫の光があった。
ルイの一部となるのを嬉々とする様に、それは行儀良く手のひらに乗っていた。
掠れて言葉にならない声で、彼への精一杯の宣戦布告。
大丈夫、一人には決してさせないから。
一緒に行こう。
歩いて行こう。
私と貴方が、
『幸せ』になる為の道を。
「ごめんね。」
冷たい毒が、乾いた唇へと流れ込んで行った。刮目した蛇の瞳から流れた涙を、ルイは目を閉じて見ない振りをした。
てんで頭の良くない自分だって、それが『幸せ』だなんて、露程にも分からなかったからだ。
TO BE COUNTINUE...
[次へ#]
[*前へ]
[
戻る]
[
TOPへ]