『やめて』と発したはずの言葉は、世界中のどんな音よりも、一番に唾棄される様な雑音だった。
誰もその声に気付かない。誰にもその音は聞こえない。無力感が抵抗する気力すらないルイの背中に、とどめの様にのし掛かる。
「何たる傲慢、何たる悲願、何たる過失。」
白眼すら剥きつつあるユニコーンの醜態を咎める様に、緋色に濡れた瞳は不快感を露わにして、その奇麗な形の眉を嫌そうに歪めている。その辺に散らばる生ゴミを見る様な、それはありきたりの嫌悪だ。
だからこそ、万物をそんな目でありきたりに見据える目に、これまでにない程の恐怖と戦慄を感じる。
「…ぁ、ぐッ…!!!」
這いずってでもと腕を数センチ動かしただけで、腹部から止め処ない激痛が、熱波となって身体を覆う。霞む目にどろりと入り込んで来る睡魔に、惑わされるなと必死にかぶりを振った。
止めなければ。彼を、止めなければ。
トム・リドルはルイと『幸せ』になるのだ。
トム・リドルはトム・リドルとして生きていくのだ。
生まれて初めての『幸せ』に怯えながら、それでも欲しかった『幸せ』を噛みしめて、涙を流して叫ぶのだ。
ルイ・××はトム・リドルと一緒に居るのだ。
ルイ・××は生まれて初めて、ルイ・××の『幸せ』を得るのだ。
ルイ・××は何を犠牲にしてでも願っていた『幸せ』を握り締めて、今までにない充足感を胸いっぱいに抱き上げるのだ。
「愚かな獣に、救いを与えてやろう。」
急に粘つく慈悲を浮かべたその声にぞくりとする。
未だ苦痛の呪文を解かないその杖は、持ち主のその笑みに呼応する様に、するりと宙を指し示す。
その、絶対的で、一方的で、圧倒的な力の矛先は。
「…ッや、めて…ェッ!!!」
トム・リドルはルイと『幸せ』になる。
ルイ・××はトム・リドルと一緒に居る。
「やめて…エエエエ!!!!」
トム・リドルは。ルイ・××は。
世界でたった、たったひとつの『幸せ』を。
「──娘、良く見ておけ。」
「これが、」
「この哀れな生命こそが、」
「貴様が救えない男の末路だ。」
血まみれの角を振り回すユニコーン。
血まみれの身体を引きずるルイ。
血まみれの瞳をぎらつかせるトム・リドル。
数多の血に濡れた雪原は、
例えようも無く美しく思えて。
「(鳴呼、また、)」
『幸せ』が。
Avada Kedavra
『アバダ・ケタブラ』
こぼれて、しまった。
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