happy days | ナノ


□happy days 65
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ヴァイオリンを滅茶苦茶に掻き鳴らした様な嘶きが鼓膜を震わせ、きっと突かれたら一溜まりもない様な長い角が、天上へと高々く掲げられる。それは狩りの始まりか、誰も救ってくれやしない神様への憤激なのか、ルイには分からなかった。

灰色の蹄が雪を蹴り、大きくグラインドしながら空気を薙ぎ倒す。
ルイは咄嗟に頭を腕で庇ったが、そのまま直下して来たあり得ない程の衝撃と激痛に、そのまま後ろへと突き飛ばされた。
歯を音がなりそうなくらい食い縛り、滲む悲鳴を噛み殺して、痛みが絡まる左腕を見る。
先程の喧嘩で裂けてしまった安物のローブから露出する生肌は、不気味な青紫に染まりつつあった。
もう使えそうにない…右腕で何とか身体を支えながらも、ルイは左腕の損傷を拭いきれない。

再び雷光。猛り狂うユニコーンに対抗する手段なんてない。ルイはただ、暴走機関車の様にこちらへ突っ込んで来るその絶対的な一本の角を見据えて、その攻撃を是可否でも避けなければならなかった。

「……ッ!!!」

間一髪で横っ飛びに倒れる。
擦り剥いた頬の傷跡に土が張り付いて痛い。
休む間もなく震える両足で立ち上がる。
冬の空気が肺を劔の様に突き刺して痛い。
ちらりと藍色の悪意が霞んで恐ろしくなる。
痛い、痛い、痛い。
全身が痛くて痛くて、気が狂いそうになる!!!

──…、

ふと、ユニコーンの視線が逸れた。
とうとう恐れていた事態に、ルイは耳元で血の気が引く音を聞く。
どこまでもどこまでもこの穢れない生き物は、自分の災厄を連れてくるつもりなのだ。



「…とむ!!!」



庇った時に頭でも打ったか、雪に埋もれる様にして転がっているリドルは、さっきから幾ら名前を叫んでも起きる気配はない。
あんな下らない競り合いで気を失わせなんかしなきゃ良かったと、ルイは一生に一度あるかないかの後悔をする。意識だけでも残っていれば、この場から這ってでも避難させる事が出来たのに。

何の為にこんなに逃げ回っていると思ってる。
彼が動けない状態であるのを、ユニコーンに悟られないようにする為だ。
誰の為にここまで逃げずにいると思ってる。
彼が今トム・リドルでない状態であるのを、自分が何よりも知っているからだ。
今、たった今この瞬間が、トム・リドルの中の『とむ』が消える為の一度きりのチャンスなのだ!!!

ユニコーンの蹄が石を踏み砕いた。
鉄よりも硬い蹄と圧倒的質量を持ったその体躯で細身である彼の全身を粉砕するのに、恐らく5分とかからないだろう。
紺碧の殺意がにんまりと嗤う。
その猛々しい野性が弱り果てた自分の体当たりを吹き飛ばしてしまうのは、恐らく造作もないことなのだろう。

けれど、けれど、鳴呼けれど!!!






「──、寄んな、」






欲しかったものがある。
零れも溢れもしない『幸せ』。
あの頃の、目が霞むほどの『幸せ』。
叶わなかった願いがある。
引き離された温かな『幸せ』。
聴こえなくなった自分の『幸せ』。

見つけてくれた人がいる。
同じ道を歩いてしまった人。
同じ傷を抱えてしまった人。
同じ憎しみに染まった、
同じ悲しみに染まった、
世界でただひとりの、人。

喪いたく、ない。
離れたく、ない。
もうこれ以上。






「──そいつにッ!!!近寄んなあああアアアッ!!!!」






自分は、ひとりになりたくない。



みっともなくすっ転んで、泥と雪と血まみれのルイは、リドルの冷たい体躯の前へ踊り出る。何も考えなしの、本当にそれは衝動的な行為で、自分の身体の身勝手さに眩暈がしそうだった。



彼を、ひとりにしたくない。



獲物が一ヶ所に集結した事に、ユニコーンは恐ろしく澄んだ悲鳴を上げて、その全てを貫通し粉砕させる為に、鉄色の蹄を地面へ打ち付ける。
ぞわぞわ、ザワザワ、向けられる全ての殺意に、首の後ろがささくれ立つ感覚がした。



ルイ・××と、



絶対的な一本が、圧倒的な一本が、
空気を裂いて、空間を噛み殺して。
雪も雨も風も光も認識しない一本が、
二人の存在を否定し尽す為に、
その白銀の傲慢な正義を振り翳す。



トム・マールヴォロ・リドルの『幸せ』を、



無力な茶けた黒髪が、ぶわりと後ろへ逃げ出した。
頬に一つ流れた汗が、ぴくりと冷気に凍りついた。
今確実なる未来において、ルイは生まれて初めて、死神の足音を聞いた。ああ、何てそれは硬い音なのだろう。肋骨を打ち破りそうだと思って、ふとそれは、自分自身の鼓動だと気付く。
あんなに早鐘を打っていたそれは、今は何かを覚悟したかの様に、ゆっくりと鼓膜の中で響いていた。



私達しか知らない『幸せ』を、



負けるものか、負けるものかと、今にも横へ身を翻そうとする足を地面に縫い付ける。
逃げるものか、逃げるものかと、芯から震える身体の驚くほどの熱さに歯を食い縛る。
トム・リドルはルイと『幸せ』になる!!
トム・リドルはトム・リドルとして生きていく!!
トム・リドルは生まれて初めての『幸せ』に怯えながら、それでも欲しかった『幸せ』を噛みしめて、涙を流して叫ぶのだ!!!
ルイ・××はトム・リドルと一緒に居る!!
ルイ・××はルイ・××の『幸せ』を得る!!
ルイ・××は例え何を犠牲にしても、それでも願っていた『幸せ』を握り締めて、今までにない充足感を胸いっぱいに抱き上げるのだ!!!
お前なんかに、世界一美しい生物のお前なんかに、
私達の『幸せ』なんか理解させない。
お前みたいな哀れな生き物は、永遠に一人ぼっちの誇りを掲げて、いつまでも歴史の暗がりをさまよっているがいい。







私達が抱ける唯一無二の『幸せ』を、



私達が背負えるただひとつの『幸せ』を、
















「ああああああああああああああああああああああアアアッッ!!!!!」













お前なんかに、

渡しはしない。





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