「………シリ、ウス…??」
か細い声が、扉の方から聞こえた。
ゆっくり振り返ると、そこにはリーマスがいた。
肩で息をしながら然し、医務室に入る事を躊躇ってさえいたのだろう。
そして、リーマスは見たのだ。
人混みの中、
お母さんを見つけた子供の様に、
泣いてしまいそうな顔をした、彼を。
シリウスの泣いた顔など、見た事がなかった。
良く彼をいじめるが、その時の涙とは違う。
そして、彼が泣いている理由も自分が造り出したのかと思うと、胸がまた苦しくなった。
ああ、自分はこんなにも、
今まで培って来た物を壊してしまった。
自分を受け入れてくれた物を、
自分は自ら、突き放してしまった。
自分が大切と思った物を。
自分は、粉ごなにしてしまったのだ。
「………ッシ…シリウス…」
「…忘れ物を、して、来たんだ…」
「…………え…??」
罵倒されるのを覚悟し、ギュッと目を瞑ったが、思いがけない憔悴しきった声に、リーマスは思わず聞き返す。
声を発した張本人は、その灰色の瞳を曇り空の様に濁らせたままリーマスを見ている。
涙で濡れたその顔には、溢れんばかりの生に満ちた輝きはない。
リーマスは、彼は今に死んでしまうのではないかと思った。
彼は、まるで夢を見るかの様に呟く。
「小さい時に…忘れちまったんだ…
大切な…大切なものだったのに……
今……思い出したんだ…」
「……何…を…」
「…大切、だったのに…
俺の命位、幾等捧げたって構わねぇ位、
大事な、大事な、ものだった、のに……!!!」
彼の声がくしゃりと潰れた。
恥ずかしげもなく顔を歪ませる彼の肌を、悲しい雫は刻々と跡を遺して行く。
「俺は、守れなかったんだ。
アイツを忘れないって約束したのに、
見付けてやるって、誓ったのに、
俺は、約束を、忘れちまったんだ…」そう、思い出したのだ。
あの日の事も。
彼女が彼女でなくなった日の事も。
悲しみに耐えられずに、
自分が、彼女を忘れてしまった事も。
いつも大きく見えていた彼が。
とても、小さな存在に見えた。
朗らかに笑っていた彼は、今、笑顔を忘れて泣いていた。
リーマスはシリウスに近付いた。
蹲り、小さく体を丸めている彼を、リーマスは優しく包み込んだ。
彼も、悩んだのだろうか。
彼も、苦しんだのだろうか。
自分と同じ痛みを抱えて。
それでも、笑っていたのだろうか。
「…シリウス、は、悪く、ない……」
リーマスは、震える声で呟いた。
小さく丸まる灰眼の少年は、普段なら決して寄りかかるはずもないだろう、親友の胸に頭を預け、ひとしきり涙を流す。
「…シリウスは、悪く、ないよ……ッ」
また自然と、涙が流れて来る。
自分もシリウス同様顔を歪ませている事に気付かず、リーマスはただただシリウスを抱き締める。
迷子をあやす様に。
子供を慰める様に。
小さくなってしまった体を、抱き締める。
「…ごめ…ん……」
口から出るのは、心からの言葉。
抱き締める力は、心からの謝罪。
「ごめん…ね…ッ…」
願わくば、彼の痛みが消える様に。
願わくば、彼の悲しみが癒える様に。
「ご、め…ん……ッごめん…ね…!!!!」
同じ痛みを抱える彼の悼みが、
少しでも自分に移れば良いのにと。
ジェームズはその場に立ちすくんでいた。
シリウスがリーマスの胸で泣いているのにも、そしてリーマスが泣いているのにも驚かなかった。
二人は、外見こそ違う。
けれど、彼等はとても似ているのだ。
自分の様な安全な生活を送って来た者には分からない、深い、深い、消えない悼み。
それを彼等は抱えている。
自分は、理解する事が出来ない。
けれど、彼等の傷の悼みを、少しでも和らげる事が出来たのなら。
自分は、それだけで幸福なのだ。
ジェームズは、医務室に入ろうとした。
しかしその瞬間、
………………足を、止めた。
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