※何事もなく卒業してプロヒーローになっている世界線。





 『お互いのためにならないから別れよう』という、具体性のない言葉であっさりと引き下がった彼の態度が、もうこの言葉を言う前からすでに2人の関係は終わっていたことを示唆していた。
 プライドがキリマンジャロどころかエベレストの頂上より遥か高い彼が、振られる側に収まったのは今考えれば引っかかりはするが、あの時両手を広げた分しか守ることのできなかった自分の了見の狭さでは、指と指の隙間からすべてをこぼして走っていたことさえも気付いていなかった。

 ――あの後のセリフは何だっただろう。
 『そうかよ』だったか、『ウゼェ』だったか。雄英高校を卒業していたから制服だったはずはないのに、思い出すのはあのグレーのブレザーを着た彼ばかり。





 毎日嫌でも顔を突き合わせていたクラスメイトたちが一同に会すのは実に卒業式ぶりだ。約3年の月日が流れている。

 待ち合わせ場所は一見普通の少しお高めな居酒屋だが、ヒーロー御用達の隠し部屋があると聞いた。その個室を取ったのは上鳴で、チャラいヒーローの先輩に教えてもらったとか。人気商売でもあるヒーローにとってスキャンダルは死活問題。どこでどんな個性の記者が聞き耳を立てているかもわからない場所でプライベートなことや仕事のことを話すのははばかられる。現役ヒーローお墨付きの個室で贅沢にも同窓会が開かれるようになったのは、A組の面々がプロヒーローとして名を挙げている証拠だ。

 開始時間は伝えられていたものの、職業柄遅刻には皆寛大である。待ち合わせ場所へ行くまでの間に大荷物のおばあさんがいたら0.1秒も躊躇いなく手を差し伸べるし、ヴィランたちは同窓会の日だからといって犯罪を諦めてはくれない。
 ナマエは急ぎの仕事があったわけでもないのだが30分ほど遅れて指定された居酒屋へ入店した。店員に幹事の名前を伝えると入り組んだ廊下のさらに奥の部屋へと案内された。

「もうここで大丈夫です。」

 なるほどたしかに壁一枚隔たれた向こうの部屋では誰かが何かをしゃべっているのはわかってもぼやっとしか聞こえない。秘密の話もし放題なのだろう。
 耳を澄ませて中の様子を伺いながら、1番盛り上がっていそうで注目が集まらなさそうな時にそっと扉を開けた。

 できるだけ音が出ないよう静かに扉を開けたが、扉の近くに座っていたお茶子が「ナマエちゃんやん!」と言えば大盛り上がりの奥側も勢いよくナマエのほうを見た。

「……こんばんは。」

 ひらひらと手を振る。ざっと見た感じ自分以外は全員来ているようで、「おー!」「よう!」「みょうじ!」などと声を掛けられるので笑顔で返した。
 一番端の切島の隣に、薄いミルクティーのような金髪が目に入って慌てて目をそらす。しかし、向こうも意地でもこちらを見てやるかというように赤い瞳はそっぽ向いていたので「そりゃそうか」と少し切なくなる。

「ナマエちゃん一段ときれいになったんちゃう?」

 お茶子の隣に静かに腰を下ろす。「そんなことないよ」と謙遜するも、正面の透も「大人っぽくなったよね!」と大きな身振りで同意してくる。

「みょうじ、コレでいいか?」

 お茶子と逆の隣には轟がいて、たくさんの氷が入ったボトルクーラーから白ワインを取り出してくれる。

「ありがとう。」

 ナマエの前のグラスに白ワインが注がれる。店員の出入りが少なくなるよう酒はピッチャーやボトルでの提供のようだった。
 出来上がっている空気に飲まれるように、ぐいっと大きめの一口をたしなむと、轟は「酒強そうだな」と薄く笑った。

「会食が多いから飲む機会は結構あるんだ。……それよりさぁ、」

「?」

「あの記事……ごめんね、巻き込んじゃって。見た?」

 あまり他の人には聞かれたくないが、今日は絶対轟に言うつもりでいたこの言葉を、機会を逃す前に言いたかった。
 轟は記事?と首を傾げてから、ややあって「ああ」と納得したように頷いた。轟が次の言葉を吐く前に、瀬呂と三奈がニヤニヤ笑って口を挟んでくる。

「ちょお前有名人じゃん!」

「短期間で撮られすぎでしょ!週刊誌の餌食で笑ったよー。」

「外野うるさ!」

 ナマエが睨みつけるも、2人には何の効果もなくただただケラケラと笑っている。同じ業界で働くクラスメイトの記事を皆がまったく見ていないわけはないだろうなと思っていたが、知った上で笑ってイジってくれるのは正直ありがたかった。

「気にしてねえ。というか俺は『プロヒーローS』としか載ってなかったみたいだしな。」

「見てないの?」

「そういうのは全部事務所の人間に任せてるんだ。」

「それはわたしも同じ。」
 
 早々に独立したのは轟だけでなくナマエも同じで、雄英高校の経営科の友人と2人で小さな事務所を立ち上げた。記事の差し止めの判断などはその友人にほぼ任せているが、最近は2人で頭を悩ませながら、差し止める権力も金もなく週刊誌が発売されるのを他人事のように眺めることしかできない。自分のことなのに、だ。

「俺とみょうじが付き合ってたってことになってるんだろ?」

「……そういうふうに思われる書き方をされてるの。厳密に言うとわたしが轟をたぶらかしてたっていう。」

「轟とみょうじ、体育祭で目立ってたもんねー。まぁどう考えても付き合ってるようには見えなかったけど、……え、違うよね?」

 三奈が言うので、ナマエは飲んでいたワインをこぼしかけた。

「違うに決まってるじゃん!わかってるでしょ!」

「だよね。危ない、世論に流されたわー。」

 たははと笑う三奈が、無意識にチラと『本当に付き合っていたほうの男』を見たが、ふてくされた顔で切島と話しているだけだった。

「で、ぶっちゃけどこまでが事実なん?」

 瀬呂がギザギザの歯をむき出しに悪い顔をする。ひとまず記事を鵜呑みにされていなさそうでほっとした。

 週刊誌に掲載された記事の内容はこうだった。
 まず半年ほど前に、雄英の2年先輩である天喰とナマエの熱愛疑惑が記事になった。
 人気実力ともに文句のない天喰と、企業プロモーションなどで知名度が高いナマエ。天喰のヒーロー活動を追うファンのブログと、ナマエと事務所が更新するSNSでの投稿を結びつけられ、ナマエが天喰との交際を『匂わせ』ているという記事だった。

「たまたまわたしがSNSにアップしたご飯の写真が、天喰先輩が発動させた個性と同じだったことが何度かあった。たったそれだけだよ?」

 天喰の個性は『再現』は、摂った食事によってやれることが大きく変わる。ナマエと天喰が別の場所で同じ食材を食べた偶然が生んだ誤解であった。現に、ナマエと天喰はほぼしゃべったことがない。このこじつけは、空いた穴を埋める雑で小さな記事だったはずだ。

「こわいねえ。」

 お茶子がぶるっと震える。

 そして次の週に出た記事が大きかった。同じ週刊誌が今度はミリオとナマエの熱愛を報じ、天喰と三角関係であり、人気幼なじみヒーロー2人をもてあそぶ悪女としてナマエのことを書いた。

「通形先輩とは面識があったから、たまたま現場が一緒になった帰りにご飯食べたの。天喰先輩が活動に支障きたしていないか聞こうと思って。」

 そしてそれが仇となった。ナマエに張り付いていた記者が店へ入る2人を激写し、それをかなり脚色してあの記事となった。

「あと轟の名前も出たこの間の記事。あれはホークスの東京の友人とわたしがたまたま同じマンションに住んでて、たまたまマンションに入ったタイミングが同じだったってだけ。」

 3度目の記事が出たのはつい最近である。
 ナマエのマンションに仲睦まじく帰宅する2人――といった記事が出たが、これもたまたまである。そこに小さく、『人気急上昇中の2世プロヒーローSとも同級生で交際していた過去アリ?』と嘘過ぎる文章がついでのように記載されていた。

 つまり、ナマエは食事の写真をSNSに上げ、先輩ヒーローと食事し、ばったり会ったヒーローと目的地が同じだった。ただそれだけである。

「なーんだ、ホークスと付き合ってるのかと思ったよ。」

「あんな大物と付き合えるわけないでしょ!」

 透の言葉に全力で否定する。

 もとより少し派手な見た目と個性のおかげかモデルや広告塔としての活動の多いナマエ。事務所の収入の大半が芸能活動で得たものある。そういった活動のせいか人気は高いが『ヒーローとして未熟なくせに』とアンチも多かった。実力のわりに認知度が大いに高くなってしまったプロデュースのせいでもあるのだが、もはや今ヒーロー界では悪女キャラクターとして定着している。

「みんな、事務所立ち上げる時は敏腕のマネージャーかプロデューサーつけたほうがいいよ……。ここに自己プロデュースを失敗したヒールヒーローがおりますんで……。」

「ああ!ナマエちゃんが今にも崩れ落ちそう!」

 サラサラとした砂のように崩れかけるナマエを必死にお茶子が支える。「認知度が高いのはいいことよ」と梅雨が、「はやく誤解が解けるといいけどね」と響香もフォローした。

「みんなありがとねえ……。」

 ナマエはなんとか持ち直して席を立った。「え!帰らんよね?」と言うお茶子に、電子タバコをプラプラと見せつけた。

「ちょっと一服。」

「え!ナマエちゃんタバコ吸うん意外や!」

「美味しいよー。」

 化粧直し用のポーチも持つと、ナマエは個室から出て階段を上った。個室のすぐ上には屋上があり喫煙者所になっていた。

「ふー……、」

 屋上から見える景色は都会のど真ん中というだけあって車通りも小さな窓から漏れるたくさんの明かりも多い。正面のビルには知らないアーティストのミュージックビデオが大きな画面に映し出されている。水蒸気を吐き出しながらしばらく見ていると天気予報に変わった。

「臭ェ。」

 芸能人のような活動ばかりしているがこれでもヒーローなので、背後の人の気配には気付いていた。ここまで一般の客は来れないらしいからA組の誰かだとは思っていたが、唯一『この人』だけは違うと思っていた。のに。

「臭くないよ。これオレンジだもん。」

 動揺がバレないようにへらっと笑うと、爆豪はしかめっ面のまま近寄ってきて柵にもたれた。

「臭ェし煙いからやめろ。」

 ここ喫煙所なんだけどなと思いながら吸い殻を灰皿に捨てた。タバコは美味しいから吸っているわけではない。『こういうこと』のために吸っているのだ。喫煙所でしか起こらないコミュニケーションがあるし、企業のパーティーで一時撤退したい時もある。不良っぽいのにタバコと無縁の彼がここへ来ると思われなかったが。

 チラと見た腕は思い出の中の彼よりたくましく、赤く鋭い瞳は夜景を睨みつけている。タバコがなくなり手持ち無沙汰になったので同じように夜景を眺めた。主にチカチカと忙しく変わる大画面を。

「くだらねえこと書かれんな。隙見せんな。」

 まさか爆豪のほうからこの話題を振ってくると思わなかった。『別れた女のことなんて知ったこっちゃない』と知っていても知らないフリしそうなのに、と思った。

「ん、気をつけなきゃね。」

「気をつけるだ?てめえは記者に隠れながらプライベートコソコソして相手の迷惑とかチマチマ考えて生きんの好きなんかよ。」

 好きじゃないに決まっている。自由に活動したいし記事のせいで狭まった仕事を取り返したい。それに、ネットの誹謗中傷に心が揺れないわけがない。

「でもさ……、」

「でもじゃねえよ。」

 なぜこうも文句を言ってくるのかはわからなかったが、口は悪いのに嫌な気はしなかった。理由が何であれ爆豪が自分のことを話していることが嬉しい気さえする。今日はきっと一言もしゃべれないだろうと思っていたから。

「あは。ありがとう。心配してくれてるの?」

「心配してんじゃねえ。」

「じゃあ何?」

「こっちは腹立ってんだわ。」

「なんで?」

「おめえがムカつくから。」

 ええ、と思いながら爆豪のほうを見ると、やはりこちらを向いてはいなかった。先ほどナマエも見ていた目の前のビルの大画面を睨みつけている。腹立つ理由がムカつくからという答えになっていない言葉に「なんだかなぁ」と思いながら無意識にタバコに手を伸ばしていた。その気配を感じたのか睨みつけられたのであわてて手を柵に戻そうとしたが、爆豪に掴まれた。

「似合ってねーんだよ。」

 タバコごと腕を引っ張られてぐっと距離が近づく。懐かしい匂いがすると思ったら、そのまま唇に柔らかい感触がした。
 ナマエは驚いて目を開いたままだったし、爆豪も捕食者のような鋭い目つきで見下ろしていた。

「……どこがオレンジだ。」

「え……あ、味はオレンジじゃない……!」

 いつぶりかわからないその唇の感触は一瞬だったが、驚きの後にふわふわと熱が追いかけてくる。いつの間にかタバコは爆豪の手に収まっていて、腕は解かれていた。

「今の、何?」

「何って散々してただろ。」

「いや、してたけどさ……、」

「今は『互いのためになる』かよ。」

「え?」

「えじゃねえよ。てめえが言ったんだろーが。」

 たしかに言った。雄英高校を卒業してプロとして活動し始めると、毎日会うことはおろか連絡を取ることさえ難しくなった。音を上げたのはナマエのほうだった。すれ違って大喧嘩して別れるより、きれいな状態で終わらせてしまおうと逃げた。

「俺はコソコソするつもりはねえ。チンケな雑誌に載ってあることないこと書かれる気もねえ。」

 爆豪は相変わらず正面のビルの大きな画面を睨みつけている。いつの間にか画面には明るいニュースが流れていた。

 ――あの後のセリフは何だっただろう。
 『別れる』と言われただろうか。もしかして、別れていないと都合よく解釈してもいいのだろうか。だって離れても何年経っても、彼より好きな人なんて存在しない。

「派手に公表して全部黙らせたる。」

 きっと記者は、ナマエと爆豪が学生時代付き合っていたことを突き止めていただろう。ヒーロー科だけでなく普通科でも知っている人は少なくなかったから。それでも、記事にならなかったのはきっとつまらないからだ。悪女として名を馳せたナマエと、実力はあるのに口が悪すぎてとても正統派ヒーローとは言えない爆豪。『お似合い』過ぎてつまらない。

「それ、最高かも。」

 せっかちな彼のことだから、もう何日か後にはあのビルにデカデカとツーショットが映されるだろう。きっと『お似合い』過ぎて世間はすぐにどうでも良くなる。

 

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