07



 シカマルはただひたすらにゆったり流れていく雲を、同じくゆったりした気持ちで眺めるのが好きだ。よく気付きなんでも深く考えがちだからか、頭を空っぽにしてぼーっとする時間は必要不可欠である。もちろん雲を眺めながら考え事をするのも好きなのだが。

「シカマル最近元気ない?」

「えっ、」

 任務が終わったので、近所の公園の特等席でいつも通りチョウジとぼけーっと過ごしていた。
 他愛のない話をして会話が途切れた。パリパリとチョウジがポテトチップスを食べる音をBGMに雲の流れを見ていると、突然チョウジが言い出した。自覚がないはずなのに、図星を指されたようになぜかうろたえてしまう。

「別に元気だけど。」

 本当のことだ。中忍試験が終わって忙しい日々から解放されたし、通常任務に就きながら修行をして、時々チョウジとのんびりする時間もある。体調は良いし、それほどストレスもない。しかし、親友に嘘を吐いているつもりはないもののなぜだかモヤモヤと引っかかる。

「そう?ならいいけどね。」

 それ以上は追及しないチョウジに若干拍子抜けしつつ、再びパリパリした音を聞きながら雲を眺めた。
 お互い無言でいたが、シカマルの方がいたたまれなくなって口を開く。

「……元気なさそうに見えるか?俺。」

「いのも言ってたよ。『シカマル最近変よね、この間会った女の人と何かあった!絶対!』って。」

「……。」

 いののモノマネ交じりでチョウジが言うので力が抜けたが、内容が内容なだけに笑えなかった。茶化されるよりマシだが、いろいろ勘づいてるくせに何も言われないのもそれはそれで嫌だと思った。

 無意識に何もついていない耳たぶを触って、はっとして手を戻す。長いことピアスを着けているからかないことが違和感で、ここ数週間はなくなったピアスを探すように耳を触ってしまう。もちろんこんなところにはなく、ピアスの所在はわかっている。保管している本人から聞いたのだから間違いない。なくしたとわかってから、もう片方は部屋に置きっぱなしだ。

「普通に元気だしあの人とはそういうんじゃねえから。」

 カカシの彼女なのだから「そういうんじゃない」。それにピアスを返してもらえさえすればすべてが元通りになる。そう自分に言い聞かせるようにシカマルが言うと、チョウジは「そうなんだ」とだけ言った。





 それから何日か、忍が集まるところや中心街にいる時は意識的にシカマルはナマエを探すようになった。いつまでも薄っすらと消えないナマエとの繋がりを絶って、ただの先輩と後輩に戻りたい。ピアスさえ返してもらえば、胸がざわざわと騒がしいのが治まるだろうと思った。
 その矢先、街中でばったりとシカマルとナマエは出くわした。ナマエは任務帰りで同期の女性と一緒にいた。

「あら。タイミング悪いわー。」

 シカマルの顔を見るなり、ナマエは開口一番残念そうに言って笑った。シカマルは何のことだかという顔をした。

「大事なものだって言ってたから、早く返したほうがいいかと思って。里内にいる時は持って歩くようにしてたの。でも今は任務帰りだから持ってない。」

 何を、とは言わなかったからか、ナマエの同期は「何の話?」と2人を見比べた。

「この子の私物を預かってるんだけど、なかなかタイミング合わなくて返せてないの。」

 シカマルはナマエのこの子呼ばわりに少し引っかかったが、まぁいいかと思い直した。

「あーなるほど。最近ずっとキョロキョロしてたもんね、ナマエ。」

「そうそう、シカマルを探してたんだ。」

 シカマルは、自分と同じようにナマエも自分を探していたことを少し嬉しく感じた。

「で、いつ返してもらえるんだ。」

「んーと、3日くらい任務で里を離れるから、その後かな。5日後なら非番だしずっと家にいるよ。」

「わかった。」

 シカマルとナマエたちはそれだけ言って別れた。後ろでナマエの同期が「ひょっとしてナマエの彼氏って……」と探るように言うのが聞こえた。

「シカマル?そう見えた?」

「違うか。ナマエ年下好きじゃないもんね。てか、いい加減教えてよ。」

 きゃっきゃと盛り上がる2人を振り返って、シカマルは複雑な気持ちになりながらも、「あと5日」と呪文のように唱えて帰路についた。あと5日で解放される、このモヤモヤから。





 5日後の夕方、シカマルはナマエの家を訪れた。
 特に時間の指定はなかったし、任務や用事を終えると、ショボめのアパートの302号室のチャイムを鳴らした。

「いらっしゃい。」

 ゆったりとしたパーカーを羽織ったラフな姿のナマエは、のんびり玄関に出てくるとシカマルを笑顔で迎えた。

「ピアス……、」

 シカマルが玄関先で早速本題に入ると、ナマエはクスリと笑った。

「わかってるって。時間あるなら少し上がっていかない?カレーあるよ。」

「……。」

「もう襲わないって。1人で夕飯食べるのが味気ないだけ。」

 シカマルの微妙な表情にすべてを察したナマエは肩をすくめた。前回シカマルを家に上げた時は寂しさと酒に負けただけで、誰彼構わずいつも発情しているわけではない。さらに言えばナマエが襲ったわけではなく誘惑して迫り、シカマルがそれにまんまと引っかかっただけである。

「別に襲われるとか思ってないけど。」

 これは嘘である。

「あ、そう?時間ないならいいよ。ピアス持ってくる。待ってて。」

 ナマエがくるりと踵を返そうとするので、シカマルは少し考えて1歩玄関に足を踏み入れた。

「いややっぱ食べてく。」

「そ?」

 家に通されるのは2度目だが特に以前と変わったところはなく、シカマルは部屋を見渡しながらおそらくこれが最後になるだろうと思った。カレーのいい匂いがする。

「忘れちゃう前に渡しておくね。はい、これ。」

 ドレッサーの引き出しからキラリと光るピアスを取り出すと、ナマエはシカマルの手のひらにコロンと落とした。
 返してもらえるとわかっていたため、なくしてからずっと家で留守番していた片割れもシカマルの片耳についていた。手渡されたピアスをすぐに空いた耳につける。ようやく揃ってほっと安心する。

 安心して油断しきったシカマルの顔にナマエが近づいたことで影ができた。ナマエはまるでキスするかのようにシカマルの頬に手を添える。シカマルがぎょっとして固まっていると、シカマルの顔の角度をずらして耳を見た。今度は逆側に動かしてもう片方の耳も見た。そして満足そうにうんと頷いた。

「いいね。」

 ピアスがあるべき場所へ戻ったことに満足し、ナマエはさっと離れてキッチンへ向かっていった。その後ろ姿をシカマルはまだぎょっとした状態のまま眺めて、やや遅れて心臓がドキドキと跳ねた。「襲わない」と言われていたからか油断していた。決して襲われたわけでもないし。

 そんなシカマルの胸中はまったく気付かず、ナマエはカレーの鍋に火を入れ直している。皿を用意したりしながら上機嫌だ。

「それ、結構良いものだよね。」

「えっ、」

「ピアス。」

 ナマエは廊下に備え付けられたキッチンに立って鍋をかき混ぜながら、居間でぼーっと座るシカマルを見た。

「あー……どうなんだろうな。もらったもんだからわかんねえ。」

「へえ。彼女?」

「違う。担当上忍。」

「素敵なことする先生だね。」

 そこで会話は途切れたが、シカマルはナマエが彼女がいようがいまいがどうでも良さそうにさらっと流れた会話に無性にやるせない気持ちになる。
 そもそも彼女がいるかいないかもわからない男を家に上げたり、誘惑したりすることも理解できないし、自分もそういう人間に見られているのかと考えては、まだ短い付き合いだからそれもそうかと納得したり。いろんなことが思いついては消え、思いついては消えと忙しない脳内にうんざりする。カレーの出来のことしか考えていなさそうなのんきな横顔を見ていると、ますます腹立たしい。

「はい、召し上がれー。」

 ローテーブルにカレーを置くと、ナマエはシカマルの隣に座った。ベッドフレームを背もたれがわりに2人は並んで座ると、「いただきます」とカレーを食べ始める。

「そういえば、この間一緒にいた2人もピアスしてたもんね。これとおそろいなんだ。」

「そう。」

「先生誰?」

「アスマ。」

「アスマさんか。シカマルと合いそう。」

 他愛ない話でもナマエはコロコロと鈴が鳴るようによく笑った。シカマルはそんなナマエの笑顔をチラリと見ては適当に話しながらカレーを食べた。





「シカマルとこうやって過ごすのも最後かもね。」

 カレーを食べ終えて食器を片付けるナマエが、シカマルを見もせずに言った。
 今日が最後だとシカマルも思っていたが、ナマエのほうから言われると思わず少し驚いた。

「わたし6人兄弟姉妹の長女でね、弟たちの世話してきて疲れたからか年下の男の子って好きじゃなかったんだけどさ。」

「……。」

「シカマルのことは結構好きだよ。……軽率な行動を少し後悔してるくらい。」

 片付けを終えてようやくシカマルのほうを向いたナマエは、「そろそろ帰る?」と結構なことを言った後にも関わらず涼しい顔をしている。ナマエからしたらそうでもなくても、シカマルにとっては『結構なこと』だった。

「俺は……、」

 シカマルはナマエの言葉の意味を考えたが、きっとそれは良き相談相手として姉弟のように仲良くできただろう、という意味だと結論付けた。

 ――たいして深く考えてもなさそうだし。

 出会い方、出会う順番、タイミング、きっかけ、そういったものが何か違っていれば、今自分たちはどうなっていただろうと、シカマルは考えてしまう。事故みたいなセックスじゃなくて、もっと……。

 シカマルは玄関まで行って座って靴を履いた。その後ろをナマエが見送るためについてくる気配がする。

「ナマエといると結構面白かったな。」

 するっと出た言葉は本心だった。ナマエと出会ってからのシカマルはまるで今までの自分とはまったく別の物語の登場人物になったようだと思った。

「じゃあな。」

「うん、バイバイ。」

 302号室のドアがパタンと閉まる。
 シカマルの耳にはキラリとピアスが光っていた。

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