その時、ドラコは動く階段の前にいた。クラッブとゴイルがいつも以上に長いこと昼食を食べ続けていたので、待つことにうんざりしてしまったのだ。さらに、同じ席に着くスリザリンの女子生徒たちがクスクスしながら話す噂話を耳に入れることが不快だった。特に用もないので、寮の談話室にでも戻るかと動く階段前に来ていた。しかし、今日の階段はかなりアグレッシブだ。ドラコはなかなか目的地にたどり着ける階段の接続が来ずイライラしていた。
――こんなことなら、クラッブとゴイルの昼食風景を眺めていたほうがマシだったかもしれない。
それほどまでに階段は縦横無尽に動き回り、生徒たちの移動を阻んだ。ドラコ以外にも、立ち往生している生徒が少なからずいた。
そして、ようやくこの階段なら行けそうだと歩き出した途端、生徒の群れの合間をぬって前から走ってきた誰かに正面からトンとぶつかられた。
図らずともぶつかった相手を受け止めたドラコは、ぶつかられた苛立ちを感じた直後、相手を認識して心臓がドキリとした。そこには、息を乱したナマエの驚いた顔があった。
「あ、マルフォイ……ごめんなさい。」
どうやら急いでいたことと動く階段のせいで軽くつんのめったようで、前にいたドラコにぶつかってしまったようだ。ドラコは先程まで噂話で聞いていた本人が登場したことにも、始めての近さの彼女に驚いていた。ドラコは調子が狂っていつもの嫌味も咄嗟に出なかったので、プイと顔を背けてまた階段を下って歩き出した。
嫌味を言われて足止めを食らわなかったことに一安心したナマエは、先程薬の瓶に詰めた脱狼薬の無事を確認しようと腕をゆるめた。ドラコとぶつかった拍子に万が一にも蓋が開いたりしたらと考えたからだ。
「あっ、」
しかし、それがいけなかった。ナマエの腕から脱狼薬の入った瓶が滑り落ちた。そして、先程人をくぐり抜けて通った階段の段差にカツンと大きな音を立てて落ちた。幸いにも瓶が割れたり蓋が開いたりはしていないようだ。そばを通っていた生徒たちが、落ちた音に反応して振り返ったくらいだ。
落ちた瓶はコロリと転がり、ナマエより下の段にいた生徒の靴に当たって勢いを止めた。動く階段の下に落ちてしまっていたら、もう取り返しがつかなかっただろう。ほっとして拾いに戻ると、当たった靴の主がゆっくりとその瓶に手を伸ばした。
ナマエは拾ってくれたことにほっとしたが、その人物が誰かわかるとドキリとした。先程ぶつかったドラコだったからだ。
「それ……わたしのなの。拾ってくれてありがとう。」
よりによって友人たちといつも口論している――時には呪いも飛ばし合う――人物だとは。返してくれないなんてことはないだろうなと警戒しながらも、にこやかに声をかけた。
当の本人のドラコは、その瓶をじっと見ていた。何を考えているのか、ナマエにはわからなかった。
「……マルフォイ、それを返して。」
先程までドラコの顔色を伺っていたナマエは、悠長に薬を眺めているドラコに苛立ったように声のトーンを下げた。こうしている今も、リーマスは苦しんでいるに違いないという焦りと、ハーマイオニーやハリー、ロンに対してのドラコの態度から、当然自分にも嫌がらせをするのではないかとよぎったからだ。
ナマエがドラコの手から無理にでも奪うようにぐっと一歩近づいた。ドラコはその態度にむっとした。自分の普段の行いを棚に上げているが、この薬をどうこうしようとする気はなく、すぐに返しやるつもりだったのにとナマエの手から逃れるように薬を握りなおして一歩下がった。
「よほど大事なものなんだろうな?」
ドラコは瓶を片手で持って顔の高さまであげると、瓶の中の液体を揺らして見せた。栓のしてある透明なガラス瓶の中で、ナマエの作ったチョコレート色の脱狼薬がたぷたぷと揺れる。
階段のど真ん中で行われているふたりの会話を気になりながらも、何名かの生徒たちは避けて通っていく。
ナマエが答えずにいると、ドラコは意地悪な顔でニヤリと笑った。
「授業では扱ってない薬品だ……この色は――」
ドラコがしゃべっている途中で、ナマエは我慢ならずマルフォイの手首を取って薬を奪い返した。普段の穏やかなナマエからは考えられない行動に、ドラコもぎょっとする。
「わたしの……大切な人の――っだから!」
ナマエの手に戻った脱狼薬と、大切な人という言葉にピクリと反応したドラコだったが、何か言おうとして口を閉じた。
そんなドラコの様子を見て、ナマエは無言で立ち去った。冷静になって自分らしくないことをしてしまったと、他にやりようはいくらでもあったのにと思った。
階段の真ん中で残されたドラコは、いろいろなことがフラッシュバックしていた。
――――厨房で見た作りかけの薬。
――図書室から出てきて分厚い本を抱えたナマエ。
――先ほどスリザリンの女子生徒がしていた噂。「ミョウジとルーピンはデキてるらしいって……」
――月長石の粉を素知らぬ顔で盗んだナマエ。
――ボガートからナマエを守り、その後チョコレートをナマエの口に放り込んだルーピン。
――バレンタインでチョコレートケーキを手渡してはにかむナマエの顔。
ドラコは自分自身何に対してイラついているのかわからなかったが、無性に腹が立っていた。 ナマエのことを考えるとそうなるので、先ほどぶつかられた上に偉そうな態度を取られたことに対する怒りだと思うようにした。
拳を握ると、ナマエの後を追って階段を上り始めた。ナマエの姿はもうないが、行き先の見当はついていた。
「リーマス!」
ナマエが闇の魔術に対する防衛術の教室に着くと、先ほどまで隣接した教員室でぐったりしていたリーマスが教室の方で作業していた。
ナマエは咎めるように叫ぶと、リーマスは相変わらずぐったりしながら力なく笑った。
「いや、違うんだ……。次の授業の準備をしなければと思ってね。ただでさえ何度か休講にしてしまっているし……。」
「ちょっと待って。これを飲んで。色は違うけど脱狼薬よ。」
ナマエはすぐさま薬を手渡すと、リーマスはもの珍しそうに少し眺めてから、静かにそれを飲み干した。
「……おや。これはいつものと違うが確かに効果がありそうだ。それに……ほのかに甘い味がする!」
リーマスは少し元気を取り戻したようで、にっこり笑って見せた。その笑顔にナマエも嬉しそうに笑った。
「もしかして、ナマエが薬を作ったのか?」
「ええそうよ。」
「ナマエ……ありがとう。」
リーマスは、どうやってとかどこでとか色んなことが気になったが、それは飲み込んだ。
ナマエは、今日この日のために自分は生きてきたと思うくらい、嬉しかった。大好きな人のためにこれまで頑張ってきたのだ!
「いつもの脱狼薬と一緒で効果はじっくりだから、しばらくは教員室で安静よ。」
ナマエはリーマスの手からさっと容器を奪うと、照れたようにやや早口で言った。
「わかったよ。ナマエ。今日は最悪な誕生日になるかと思っていたが、ナマエのおかげで穏やかに過ごせそうだ。」
「あっそうだわ!」
ちょっと待っていて、とナマエは言うと、教員室に置きっぱなしにしていた誕生日プレゼントの存在を思い出して、取りに行った。
「お誕生日おめでとう。今年は直接お祝いできて嬉しいわ。」
リーマスは驚いた後、にっこり笑うと「ありがとう」と言って受け取った。
リーマスがホグワーツの教員でなかった時は、ふくろう便で毎年贈り物をしていた。
「じゃあ、そろそろ次の授業もあるし、行くわね。」
「ああ。ナマエ、本当にありがとう。」
ナマエは微笑むと、最高の気分で教室を出た。
薬は未完成だったが、ひとまず渡すことができたし、誕生日プレゼントも受け取ってもらえた。
今日はとってもいい日だわ、と次の授業へ行こうと歩き出した。
「やっぱりルーピンは人狼だったか。」
教室を出たナマエは、固まった。『ペトリフィカス・トタルス』の呪文をかけられたわけではない。
「まさか人狼が、ホグワーツで教鞭をとっているとはな。」
ナマエがゆっくり振り返ると、長い廊下の真ん中にドラコはいた。
「今日はとってもいい日」のはずだった。
prev next