3月8日。

 ハロウィン、クリスマス、バレンタインデーとイベントが続いていたが、そわそわわくわくした雰囲気は収束し、日常に戻っていた。イースター休暇を楽しみにしつつ、テスト勉強にも本腰を入れなければといった焦燥感も漂う。

 そんな中、ひっそりと事件は起きた。

 今年度の闇の魔術に対する防衛術の授業は、例年に比べて人気もあり学べることが多かった。クィレルの時は悪臭と小さくて聞き取りにくい声で内容がまったく入ってこなかったし、ロックハートの時は自慢を聞いて朗読劇をやらされるだけだった。リーマス・ルーピンの授業は座学と実技のバランスが良いだけでなく、当人の物腰はやわらかでノリも良い大人だ。生徒たちは来年もルーピン先生がいい、と言っている者が多かった。

「さて、今日の残りの時間はボガート退治をまだやっていない子たちに実践演習してもらおう。」

 一通りの座学が終わると、リーマスは魔法で机を避け、――もちろん全員着席していたので、腹が軽く圧迫されてぐえっとなった――まだ対峙したことのない生徒は前に出た。

「ナマエ、行くわよ!」

 ハーマイオニーは、初回の授業ではもみくちゃにされて順番がまわってこなかったため、この日を待ちわびていた。ナマエも自分と同じように後ろの方に並んでいたので、まだボガート退治はしていなかったはずだと思い、ナマエの手を引いた。

「……そんなに急がなくても、ボガートは箪笥から逃げないわ。」

 ハーマイオニーは、おやと思った。ナマエの笑顔がいつもよりぎこちない。
 ハーマイオニーはナマエと同室で過ごして3年になるが、彼女はまわりが思うほど大人ではないし、むしろ意外と感情が顔に出やすいと思っている。
 廊下でスリザリンの先輩に嫌味を言われたり下品な言葉でからかわれている時、心底どうでもいいと思っている時とショックを受けている時では表情が違うことをハーマイオニーはわかっていた。――もちろんナマエがショックを受けている時は絶対に何倍も言い返してやった。

「『リディキュラス』。きちんと唱えれば問題ないわ。ナマエ、呪文学も得意じゃない。行きましょう!」

 ハーマイオニーは、ナマエがボガート退治を怖がっていると思い励ました。誰だって自分が一番怖いと思っているものと戦うのは恐ろしいに決まっている。
 ハーマイオニー自身も、ナマエの緊張につられて、鼓動が早まった。
 
 もうすでに対峙したことのある生徒がほとんどなので、前に出る生徒は10名いかない程度だった。
 ハーマイオニーが最後から2番目、ナマエが最後に並んだ。並んだ生徒は、やっと実践できると浮足立っている者や、不安で顔を曇らせている者などさまざまだった。
 
 ハーマイオニーがボガートの前に立つと、ひどい点数の答案用紙が大量に宙を舞い、ハーマイオニーを襲った。
 こんなに恐ろしいことはないという顔で、ハーマイオニーは正確に『リディキュラス』と唱えた。答案用紙は蝶の形になると、ひらひらと優雅に浮かび上がった。

「いいぞ!最後だ、ナマエ!」

 ハーマイオニーがひらひらと蝶の姿で舞うボガートの前から退くと、ナマエは胸の前で拳を作りながら前に出た。ポーカーフェイスは得意なので表情だけはクールだった。
 ナマエの姿を捉えたボガートは、舞う蝶からぐるぐると姿を変ていく。

「ハーマイオニーがまさか赤点の答案用紙だったなんて。」

「ナマエはなんだろう。苦手なものなんてなさそうだけどね。」

「蜘蛛じゃないか?」

「それは君だろ。」
 
 ロンとハリーはボガートの前に出たナマエを見ながらおしゃべりしていた。グリフィンドールの聖母と讃えられるナマエは完全無欠だった。苦手なものがあるようには見えず皆興味津々だった。
 そんな時、ボガートはようやく姿を表した。

「あ……嘘……。そんな……。」

 ボガートの姿は、高めの柵のベッドに真っ白なシーツ、そのベッドに座る女性の姿に変わった。女性はナマエと同じ髪色で、やややつれた顔をしていた。女性の服は入院着のようだったのでベッドは病院のものだろう。
 おしゃべりをしていた生徒もなんだかおかしな様子に息を呑んだ。リーマスもぎょっとしていた。ドラコは後ろの方の席からナマエの様子をじっと見ていた。
 ナマエはショックを受けているようだが、授業の最中であることを思い出し呪文を唱えた。

「『リディキュラス』。」

 ナマエは呪文を唱え、杖の動かし方も完璧だったが、魔法は発動しなかった。女性の姿になったボガートは静かにナマエを睨みつけている。
 
「あ……ごめんなさい……わたし……。」

 ナマエはもう杖を構えられなくなっていた。胸の前で震える手を組み、女性から目をそらせなくなっている。

 ガタッと後方の席が動く音がしたと同時に、ナマエとボガートの間にさっそうと立ったのはリーマスだった。そして、ボガートの姿が満月に変わった途端、『リディキュラス』を唱えると、そのまま古い箪笥の中にボガートを押し込んだ。

「少し早いが、今日の授業はこれで終わり!次の授業までに「ボガートと水魔への傾向と対策」をそれぞれまとめてレポートを書くように。次の授業で回収するぞ。」

 リーマスは努めて明るく言ったが、教室の空気は微妙だった。なにせ、明るく話すリーマスのローブに隠れるようにナマエがショックを隠さず呆然としている。

「マルフォイ、どうした?」

「なんでもない。行くぞ。」

 先ほどの音の正体はドラコだった。ナマエの姿を見て咄嗟に立ち上がったままだったドラコは、教科書をまとめると、興味ないと言わんばかりにズカズカと教室を出て行った。それに続き、おずおずと教室をあとにしていく生徒たち。

「リーマス、ごめんなさい……。」

 ナマエは震える手を握りながら、愉快な授業をめちゃくちゃにしたことを謝った。

「何を言ってるんだ。ナマエには辛いことを思い出させたね。こちらこそすまない。」

 リーマスはローブのポケットに入っていた粒のチョコレートを、幼い子どもにするように手ずから食べさせた。――というよりナマエの口に無理やり押し込んだ。ナマエはドキドキするのも忘れて少し、舌を滑るじんわりとした甘みに心が落ち着いた。





「今日も顔色が悪かったわね、ルーピン先生。」

 ハーマイオニーは、ナマエを闇の魔術に対する防衛術の教室に置いて、ハリーとロンと次の授業に向かっていた。
 ハーマイオニーの言葉を聞いたロンとハリーはぎょっとしていた。

「ハーマイオニー、君ってば何言ってるんだ?今ルーピンの顔色なんてどうでもいいだろ!?」

「そうだよ!ナマエが心配じゃないの?」

 ロン、ハリーが続けてハーマイオニーを責めるように捲し立てた。たしかに2人の言葉はもっともで、一番仲のいい友人が取り乱した後の反応ではなかった。

「もちろん心配よ。でも、ナマエのそばにいて気づいていたもの。ナマエの家庭に何か大きな事情があることくらいね。」

 ナマエが戻ってきても聞いちゃだめよとハーマイオニーはデリカシーというものが少なめな男子2人に続けて言うと、この話はおしまいとでも言うようにぐんとスピードを上げて、2人を置いて足早に次の教室を目指した。
 
 ハーマイオニーはナマエが話してくれるまで辛抱強く待つつもりだった。ナマエがたとえそういうことを苦手と感じているとしても。
 さらに、ハーマイオニーはナマエのそばにリーマスさえいれば元気になることをよくわかっていた。

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