リーマスが人狼であり、退職したという噂は瞬く間に広がった。
教師陣は保護者からの苦情の吠えメールの対応に追われて疲れ切っているようだったが、なんとか学年末最後の日を迎えた。
優勝杯はグリフィンドールのものとなった。
ナマエも寮生の皆と一緒になって優勝を喜んだが、まだ気分は沈んだままだった。
リーマスを見送ってからしばらくナマエは落ち込んだ。ハーマイオニー以外にも何人かに気付かれる落ち込みぶりだった。
リーマスが去ってしまったことの悲しさ、人狼とバレてしまった時のリーマスの気持ちを考えるとどよんとしてしまうが、一番の落ち込みはそこではなかった。
リーマスにはっきり娘同然と線引きされてしまったこと、それに、好きな人のピンチでも自分のことしか考えられなかった愚かさに気付いたからだった。
――わたしって本当に自己本位的だわ……。
誰かのために、とやってきた行為すべてがすべて自分のためのような気がしてきた。
リーマスのために、とやってきた人狼薬の製造も、もとを正せばリーマスに好かれたいからやってきたことに違いなかった。押しつけがましく、自分は恥ずかしい人間だとナマエは思った。
「さて、最後に。ルーピン教授のことじゃが……、」
ダンブルドアの話をまったく聞いておらず、ナマエははっとした。顔を上げると、ダンブルドアと目が合ったような気がした。
「わしにとって彼は良き友人じゃ。彼の抱える問題がちっぽけに見えるくらいには。さて、君たちには自分の目で見た彼がどんな人間だったかを思い出してほしい。」
スリザリン生などの一部生徒からは、ただの人狼だといった反発の雰囲気が漂った。目を合わせてやれやれといった顔をしている。しかし、多くのリーマスに教わった生徒がリーマスの素晴らしい授業と彼の人柄を思い出してはっとした。クィレルやロックハートが教師としてひどすぎたことは否めないが、今年の闇の魔術に対する防衛術の授業は生徒たちの力をぐっと伸ばした。
「うむ。彼は多くの生徒に慕われた良い教師だったようじゃ。彼の1年が報われたことじゃろう。新任の先生じゃが――」
「ナマエ!君、どうしたの?」
ダンブルドアの話を聞いていると、正面に座っていたロンがぎょっとした声を出した。先生たちの方まで届いてはいないようだったが、周辺にいた7、8人のグリフィンドール生が一斉にナマエを見た。
「え……?」
ナマエの目から涙が流れていた。情緒不安定な心に、思いのほかダンブルドアの言葉が響いてしまったらしかった。
何人かに見られてしまったので、内心慌てながらナマエはハンカチでさっと涙を拭った。
「ナマエ……。」
ハーマイオニーが心配そうにナマエの手を机の下で握った。ナマエは大丈夫という意味をこめて微笑むだけで何も言わなかった。
生徒たちはそれぞれ寮に戻り、家へ戻るための荷造りに勤しんだ。明日がホグワーツ特急の出発日なので、ギリギリまで何もしていなかった生徒たちが大慌てでトランクへ課題などを詰め込んだ。
ナマエは荷造りをとうに終わらせていたので、ハーマイオニーとふくろう小屋のそばまで来ていた。場所どこでも良かったのだが、お互い2人で話したいと思う気持ちがあった。
「ナマエは知っていたのね、ルーピン先生が人狼だってこと。」
「ええ。わたしの住むマグルの街に、以前先生も住んでたから。」
「やっぱり2人は知り合いだったのね。」
「わたしは母と2人暮らしだったから、先生が近所に住んでいて心強かったわ。……重いものを運んでくれたりとか。」
ナマエは当時のことを思い出しているのか、ふふっと笑いながら柵にもたれて景色を見ていた。ハーマイオニーは、ナマエの口から母親のことを聞くのが初めてで内心驚いた。
「ハーマイオニーさすがだわ。先生の秘密に気付いたのはきっとあなたくらいよ。」
「そんな……。」
「……。」
「……。」
それ以上2人は何も言わなかった。ハーマイオニーはナマエの涙の理由やナマエの気持ちを知りたかったが、ナマエから言うまで聞くまいと思っていた。
「あのね、ハーマイオニー……、」
ナマエが口を開いた途端、ナマエの目の前を蝶のように紙切れが飛んだ。驚いてぱっと掴んでハーマイオニーを見たが、その紙切れの存在には気付いていないようでほっとした。
気付かれないようその紙切れを開いた。ナマエは中身を読んではっとした。
「ごめんなさい、わたし急用を思い出したわ。行かないと。」
「えっナマエ!?」
ナマエはハーマイオニーに手紙を受け取っていたことを見られたのではないかとヒヤヒヤした。ハーマイオニーはリーマスの人狼を見抜いたほど観察眼が鋭いので、自分の――自分たちの秘密まで知られたくない。
ナマエはハーマイオニーの前ではいつも以上に警戒しなくてはと思った。
レンガを叩いて厨房の倉庫に入ると、ドラコが立ったまま待っていた。せっかく机と椅子があるというのに、両家のお坊ちゃまには少々座り心地が良くなかったかなとナマエは思った。
「こんにちは。試験の結果はどうだった?」
ロープのポケットに「厨房の倉庫」とだけ書かれた紙切れをしまうと、ナマエは壁に背を預けた。
あれだけ一緒に勉強したのだから、きっと彼も良い成績を残しただろうと思った。ナマエの成績も上々だった。またしてもハーマイオニーには敵わなかったが、魔法薬学だけは学年トップだった。
「……。」
ドラコはなかなか何も言わなかった。そこでナマエも気付いた。仲良くなってきたと思っていたが、ここへすっ飛んできたのは主従関係があるからだった。自身の立場を改めて飲み込んで、黙ってドラコの出方を待った。
「……上機嫌だな。愛しの人狼が学校を追い出されたっていうのに。」
ドラコはようやくナマエの方を見ると、冷たい瞳で見下ろした。いつかの占い学で、水晶の中に見たアイスグレーの色だった。
「泣くほど好きか?校則を破って、盗みを働くほどに?……人狼だぞ。」
ドラコはナマエをじっと見つめた。ナマエもドラコをじっと見つめ返した。言いたいことはたくさんあったが、何も言わなかった。泣くほど、というのは大広間で泣いているのを見られたたのだろう。
「何か言えよ。」
「……好きよ。」
ナマエはぐっと一歩ドラコへ近付いて睨みつけた。拳を強く握った。
「でもあなたに彼が人狼であることも、わたしが彼を好きなことも関係ある?……ないわ!もう脅しなんて――」
ナマエはドラコのローブの胸元をぎゅっと掴んだ。
――そう、マルフォイとの関係は終わり。もうリーマスの秘密は暴かれてしまったのだから!
ドラコはナマエが感情的に話すのを初めて見て少々面食らっていたが、自分のローブを逃さないというかのように掴む手を取ってすぐ後ろの壁に縫い付けた。
「!」
「卒業するまで、と言ったはずだ。」
壁とドラコにはさまれ見下ろされながらも、ナマエは顎をくっと上げてドラコを見返した。
「もう聞く義理はないわ、だって、」
「魔法薬学のクラスはもう取れなくてもいいのか?」
「え?」
「人狼支援団体に就職するならどのクラスを履修したっていいだろうしな。」
ドラコはニヤリと意地悪に笑った。ハリーやロン、ハーマイオニーと喧嘩している時の顔だった。
「スネイプ先生に言ったっていいんだ。ミョウジが――先生の薬品庫から――盗んだって。」
ドラコがローブのポケットから見覚えのあるガラス瓶を取り出した。ナマエはそれを見てハッとした。実家から持ってきた、昔から使っているガラス瓶には、精製した残りのチョコレート入り脱狼薬が入っている。
「それ……っ、」
ナマエが無様に手を伸ばしたが、ドラコはスルリと躱して再びローブのポケットへしまった。
「この瓶の中身はスネイプ先生にはすぐわかるだろう……。どうやって材料を集めたか、この瓶がどこの家のものなのかも。
先生が君に魔法薬学を受けさせるとは思えないな。最悪退学かもしれない。」
ナマエは自分の甘さを呪った。バレたらリーマスとは関係ないと言い張ってホグワーツを去る覚悟もあったはずだった。
「君の言う「自由」は、僕が持ってる。」
ナマエはドラコが所有権を持つ自分の自由について考えた。
父親からの援助は受けず、もっと言うと縁を切って母親を養いたい。自分の好きな仕事をして。欲を言えばそこにリーマスがいて――リーマスがたとえ職に就けなくてもいいくらい稼げるようになりたい。
「わたしの自由は……、」
ナマエの自由は、ホグワーツ卒業までの不自由と引き換えにあるようだ。状況が変わって反故しようとしたのは自分の方だった。
「ご主人様のローブのポケットに。」
ナマエは微笑んだ。片手は虚しく壁に縫い付けられたまま。
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