イースター休暇はかつてないほどの課題が出されていた。もとより短い休みのために帰省する者はクリスマス休暇より少なく、学校に残って課題をやっつけてしまおうという生徒はかなり多かった。
ナマエはハーマイオニーほど授業を取っていなかったが、それでもいずれは魔法薬学の研究者の道に進みたいと思っていたので、授業は詰めていたし良い成績を残さなければと思っていた。課題の出来と試験が成績に直結するので、ナマエは静かに集中して課題に取り組みたいと思っていた。
――人の課題なんてやってる場合じゃないんだけど。
ナマエは憂鬱に思いながらも、ドラコの命令がおかしなものではなくて良かったと思った。また盗みを働いたりグリフィンドールの誰かに嫌がらせするだとか――そういう方向性で考えていた。
――マルフォイって本当に良家のお坊っちゃま気質だわ。
いつも自分に絡んでくるスリザリン生に弱みを握られたりしたら、どんな命令が飛んでくるかわからない。両親から目いっぱいの愛情を受けて育つと邪悪な思考にはならないんだわとナマエは少しドラコの素直さを羨ましく思った。
「遅くなってごめんなさい。」
ナマエはさっと朝食を済ませて最短で魔法薬学の教室の前に来たつもりだが、ドラコの方が先に来ていた。
「行くぞ。」
ドラコはナマエの前を歩いているが、歩調は速くなりすぎないようにナマエに合わせている。ナマエはその行動にドラコの中での自分の立ち位置を測りかねていた。調子が狂うなと思いながらも、余計なことは言わずにドラコの後をついていった。
着いた先はスリザリン寮からほど近い薬品庫のような隠し部屋だった。薬品はほとんど入っていないガラス棚が並び、何脚か机と椅子、さらに古い革張りの大きなソファがある。机の上には日刊預言者新聞や雑誌などが置きっぱなしにしてあり、普段から人が出入りしているような気配がある。
「一部のスリザリン生だけが知っている部屋だ。当然だがこの部屋のことは他言するなよ。」
ナマエは身内同士で固まってるスリザリンは代々小さなコミュニティの中でこういう有益な情報を引き継いでいるのだろうと思った。
視線を動かして部屋を眺め、ドラコ以外にもスリザリン生、特に自分にしつこく絡んでくる上級生たちが来ないだろうかと少し心配になった。
「……スリザリン生は大概帰省している。この部屋を知っている純血の一族は全員だ。」
「純血の人たちが使う部屋なのね。……混血だからって弾かれる部屋ではなさそうね。」
ナマエの不安な目を察してか、ドラコは誰もここには来ないことを示唆した。ナマエはその言葉を聞いて安心したと同時に、ドラコの言う「一部のスリザリン生」というのが純血の由緒正しきお家柄の生徒のことなのだと察した。
「ミョウジは純血だろう。」
「わたしは純血じゃないわ。」
「は?でも……、」
ドラコがナマエの返答に驚いていたが、ナマエはそれ以上答えずに黒くてしっかりした椅子に腰掛けて羊皮紙を広げた。ドラコがまだ話を聞きたさそうに突っ立ったままなのはわかっていたが、ナマエは気付かないふりをしてノック式のペンをカバンから取り出した。
「……マグルのものじゃないか。」
ドラコも渋々、ナマエの向かいの席に座って羊皮紙とインクと羽根ペンを取り出した。ナマエの手に収まる見慣れないペンを睨みつけると、ナマエはペンを手の中でくるりと回して微笑んだ。
「羽根ペンより便利なの。」
ナマエはドラコの視線を気にせず、サラサラとノートに今日の日付やらを書いている。
「ミョウジは純血の一族だろう。」
ドラコはナマエをまっすぐ見ているので、ナマエは手を止めて目線を合わせた。
「ミョウジは純血の一族だけど、わたしは純血ではないの。そういうことってあるでしょう?」
ドラコの氷のようなアイスグレーの瞳と、ナマエのアメジストのような瞳が絡み合う。ナマエは相変わらず薄っすら微笑んでいる。
「……どういうことだ。」
「マルフォイって純粋なのね。」
ナマエがクスクスと笑いながら目線を課題に落としたので、ドラコはバカにされたような気がして頬が赤くなった。
「お前……、本当に自分の立場がわかってないな。」
言外に自分をバカにするような立場ではないぞというドラコからの脅しだったが、ナマエはクスクス笑うのをやめたが微笑んだままだった。
「気を悪くしたならごめんなさい、褒めてるの。やっぱりあなたって優しいわ。」
「はぁ!?」
「育ちがいいのね、羨ましいわ。」
ドラコは一切進んでいない課題の羊皮紙をはずみでクシャっとしてしまった。別の意味で頬が赤くなるのを感じる。「優しい」なんて母親にしか言われたことがない。ドラコは1つ咳払いをしてナマエに向き直った。
「どういうことなんだ、お前はあのミョウジ家の人間じゃないのか?」
「それは答えなければダメなの?」
「……答えろ。」
ドラコが少し躊躇った後、わざとらしく命令口調で言ったのでナマエは観念したように息を吐いた。
「ミョウジ家の当主の娘だけど、わたしは本妻の娘じゃないの。母が混血だからわたしも混血よ。」
――妾の子……。
ドラコの頭にはその言葉がよぎった。スリザリンの上級生がナマエに執拗に絡むのはそういう弱みがあるからかと納得した。さらに、父のルシウスがナマエに関わらなくていいと言ったのはそういう理由があったのかとようやく合点がいった。
「フン、なるほどな。純血のおこぼれをもらおうとした哀れな女の娘ということか。」
ドラコはナマエを見下すような目で見たが、ナマエは何も感じなかった。純血一族の跡取りが自分のような存在をどう思うかなんてわかっている。
「……。」
ナマエは黙ったままドラコを見つめ返した。ドラコは何か反論してくるかと思ったのに、ナマエが何も言わないので拍子抜けした。ナマエは傷付いたようでも怒ったようでもない顔をするので、攻撃を仕掛けた側は戸惑う。しかも顔立ちがキレイなのでますます居たたまれなくなるのだ。
「……なんだ。その通りだろ。」
「ええ、そうね。でも未来を決められてるあなたやミョウジの跡取りより「わたしは」自由だわ。」
――その純血のおこぼれをもらおうとした哀れな女は不自由だけれど。
ナマエはドラコから目をそらして課題に向き合った。ドラコはナマエの言葉の意味を考えて変な顔をしながらまだナマエを見ている。
「僕が不自由だって言いたいのか?」
「わたしはあなたじゃないから知らないけど、わたしにはそう見える。」
「僕の言いなりのくせに僕より自由だって?」
「わたしとあなたの契約は卒業までだもの。わたしは卒業したら好きな仕事に就いて自由に生きていく。」
ナマエは複雑な魔法薬学の課題から取り組んでいる。厨房そばの隠し部屋にあった、ちらりと見ただけでめまいがしそうな人狼薬のレシピをチョコレート味で作ったナマエは、魔法薬学が得意なのだろうとドラコは思った。
「将来は人狼支援団体か人狼薬製造センターか?」
もちろんそんな就業先はない。ドラコの嫌味をものともせず、ナマエは冗談か本気かわからない顔で「どちらも素敵ね」と微笑んでそれ以降黙って課題に集中した。ドラコはペースが乱されに乱されて、やっぱりナマエのことはかなり苦手かもしれないと思った。
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