20
シカダイは修行を終えて帰路についていた。中忍試験が迫っているので、担当上忍や父親が自分以上に張り切って修行だと言ってくる。こればかりは「めんどくせー」と逃げ切れなさそうなので、毎日ボロボロのヘトヘトになるまで修行していた。
父親は仕事が残っていると涼しい顔をして火影のもとへ戻ったので、1人残されたシカダイはとぼとぼと歩いて帰っている。疲れて今すぐにでも家に着きたいのに、「もしかしたら」という淡い期待で、遠回りをして帰ってしまう。
――ったく、俺は何やってんだ……。
広い空き地が見えてきた。ポツンと1つだけあるベンチは、シカダイにとって甘くて苦くて酸っぱい……とにかくいろんな思いが蘇る場所だ。たった一度しか使ったことのないそのベンチは、そのたった一度が強烈な思い出だ。ナマエを介抱して、ナマエの気持ちを知って、ナマエにキスされた場所。……そして最後に自分がナマエを突き飛ばした場所だ。
無意識に唇を触っていたので、恥ずかしくなって慌てて手を降ろした。ここまで来れば、もうナマエの店が見える。シカダイが散歩したり帰宅するのに、ほぼ必ずこの道を通るのが日課となっていた。目当ての人物はちょうど店先に出ており、店終いの作業中だった。
「今終わりか?」
「シカダイくん!お疲れさま!」
ナマエがシカダイに笑いかける。シカダイはそれだけで胸がきゅうっとなる。しかし、それを悟られないようにポーカーフェイスを保っていた。修行後の疲れた体には、好きな人からのお疲れさまが効いた。
ナマエはガラガラとシャッターを閉めて鍵をかけた。鍵をポケットにしまってから、シカダイに向き直った。
「疲れてる?」
「え?あーまあな。今日も1日中修行だったし。」
「そっか……じゃあ一緒にご飯食べたいけど、やめておいた方がいいよね?」
ナマエが少しさびしそうに目を伏せた。
「食うよ。別に疲れてねーし。」
先ほどの自分の言葉から反対のものが出て、しまったと思ったが、ナマエが「本当?」と嬉しそうに笑うので、まあいいかと思い直した。
「そうだ、今日お客さんから美味しいお肉もらったの。うちで焼いて食べない?」
「えっ。」
「何その顔。お肉焼くだけだよ。料理うまくないけどそれくらいならできるから。」
ナマエは少し不貞腐れたようにシカダイに言うが、シカダイはそこじゃない、と思った。
――うち?
シカダイは何度も店に来ているし、そこがナマエの住居を兼任していることはもちろん知っていた。ナマエの実家なのだから。実際に一度不可抗力とは言え、家に上がったこともある。しかし、お呼ばれされたのは初めてだ。ナマエのパーソナルスペースに入れて嬉しいと取るべきか、男として意識されていないことを嘆くべきか。シカダイは悩んだが、まあいいかと思った。
「ナマエの飯かー俺の口に合うかな。」
シカダイはいたずらっぽくニヤリと笑った。正直、好きな人の手料理を家で食べられるのは嬉しかったが、それを素直には言えなかった。
「ほんっと生意気なんだから。それに、いつの間に呼び捨てなのシカダイ。」
心の中では何度も呼んでいた名前。好きを自覚して喧嘩を経てからするっと呼べるようになっていた。それまで一度も名前を呼んだことがなかった。ナマエもシカダイに対抗して呼び捨てにすることにした。
「ま、いいや。とりあえずわたしは買い物してくるから、シカダイは家で待ってて。」
ナマエはシカダイにほいと家の鍵を渡すと、歩き出そうとした。
「ちょ、おいおい待て待て。勝手に入ってていいのかよ。」
「ん?いいよ。ソファでくつろいでて。すぐ帰ってくるから。」
そう言うとナマエは、忍とは思えないくらいゆっくりぽてぽてと歩いて行ってしまった。
「えー……。」
残されたシカダイは、ずっとそうしているわけにもいかず、家に上がらせてもらうことにした。シカダイの手の中には、以前ついていたトナカイのキーホルダーはなく、無機質な鍵だけだった。
「……お邪魔します。」
シカダイが家に入ると、当然だがシンと静まり返っていた。ナマエ1人で暮らすには広く、ひとり暮らしの女性の家といった感じはない。気になる部屋がいくつかあるが、まっすぐリビングに向かってソファに座って待たせてもらった。
「……。」
落ち着かない。それに尽きる。悪いとは思いながらも視線がいろんなところへ向いてしまう。さっぱりとした無機質な部屋だが、ファッション誌が並んだ本棚や化粧品が入ったケースを見ると、ナマエの部屋であることがわかってドキドキしてしまう。修行してきて服が汚いのにソファに座っていていいのかとふと気になりだした。結局ナマエが戻ってくるまで、ひたすら小さくなって待っていた。
「……おかえり。」
ナマエが無言でぬっと入ってきたので、シカダイが言うと、ナマエはシカダイの言葉が意外かのように、目を開いた。
「……ただいま。人が家で待ってるなんて久しぶりだから忘れてた。」
ナマエはさびしそうにつぶやいたが、すぐによし!と言うと、髪を後ろで1つにまとめた。シカダイは普段料理の手伝いなんてしたことないが、ナマエが簡単な作業をあれやってこれやってと言うので、指示通りにこなした。
「シカダイ、上の棚にホットプレートが……って届く?」
「届くだろ。」
普段使わないホットプレートは、キッチンの上の方にしまってあった。ナマエは1人で暮らしてからは使っていなかったので、取り出すには踏み台が必要だった。しかし、シカダイは背伸びをしてギリギリだが届いた。
「なんだよ。」
ナマエがシカダイを凝視しているので、シカダイはぱっと目を離した。泳いだ視線の先は、箱に入ったホットプレートだった。
「ううん。初めてお墓の前で会った時は、わたしと同じくらいだと思ったから。」
シカダイもそれを聞いてナマエに向き直った。キッチンで向かい合って立つ2人の身長には少し差が出てきていた。もちろんシカダイが大きい。シカダイは嬉しくなって口角が上がった。
「小せえな。」
シカダイが身長を比べるように、ナマエの頭に手をかすめた。ナマエはその時に、自分の手首を掴んで細えなと言ったシカマルの顔と声を思い出した。重ねているわけではないのに、あの時のときめきのようなものを思い出した。
――あれ?無意識に重ねてるのかな……?
ナマエはいかんいかんと首を振ってシカダイに向き合った。
「まだそんな変わんないでしょ。」
ナマエはホットプレートを受け取って、何もなかったように準備を続けた。
「じゃあ焼くよ……!」
ナマエとシカダイはソファを背に、ローテーブルの前で並んだ。桐の箱に入ったツヤツヤの肉をホットプレートの上に載せると、じゅーっといい音がした。野菜も一緒に載せて、焼けるのを2人で待った。
「ねえ美味しすぎない?」
「これはいい肉だ……うめえ。」
2人は目をキラキラさせて肉を食べた。父親の時から常連の客は、時々こうして差し入れをしてくれる。今まで1人で食べてきた時より何倍も美味しく感じた。ホットプレートで焼いて食べてるからではなく、友だちと――シカダイと一緒だからだと思った。
「料理うまいじゃん。」
「え?……あはは、これは良いお肉を焼いてるだけだからだよ。」
普段年のわりに落ち着いているシカダイが、少年のようにガツガツと食べている姿はナマエも嬉しく感じた。これが母性か……?とも思った。
「味噌汁とかこの辺のもうまいじゃん。俺、手料理ってばーちゃんのしか食べたことないから、結構感動してる。」
一応並べておいただけの作り置きおかずや味噌汁を指して、シカダイは大真面目な顔で言った。シカマルは仕事が忙しく作る暇はなく、手料理は祖母のものしか食べたことがなかったシカダイにとって、今日は感動的なまでに幸せなご飯だった。
「ありがとう。わたしも人に食べてもらうの初めてだから嬉しいよ。」
ナマエも思ったことを口にした。お互い見つめ合って、素直な気持ちをぶつけ合って少し恥ずかしい空気になった。
「こんなに美味しそうに食べるなら、息子にしてあげてもいいからねー。」
ナマエがシカダイの頭をふざけてなでると、シカダイはあまり嫌そうじゃなく、笑いながらどけた。
「笑えねーよ。親父と結婚したいだけだろ。」
「違うよ!」
笑えねーと言いつつ笑っているシカダイに、ナマエも笑いながら返した。こんなに楽しい食事は久しぶりだった。
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