ウンメイノヒ
「じゃあまたな!」
「ああ。」
ジャミルはミドルスクールの友人と別れるとひとりで帰路についた。ミドルスクールの友人にはカリムの愚痴も言えるし、先日卒業したばかりだが、夏休み中遊びに行き、仲良くしていた。ナイトレイブンカレッジからの入学許可証が来たと伝えるとすごいなと褒めてくれたし、一緒の学校に通うことは叶わず残念だが、何より全寮制の名門校の入学オファーが来たのは嬉しかった。
「ジャミル!」
「!――ナマエ!お前なんでこんなところに!ひとりか?」
ジャミルが歩いていると、自宅から一番近い公園のそばでナマエが声をかけた。比較的に治安が良い場所とは言え、貴族であるナマエが護衛もつけずに来るような所ではなかった。アジーム邸でナマエと再会してから、わずか1か月ほどだ。
ナマエは熱砂の国でよく使われる渋くて重い日傘を差していた。服装は私服のようで、黒いキャミソールに黒いミニスカート、ヒールのついた黒のサンダルを着用しており、ナマエの白い肌が生えていた。貴族の娘というより、モデルのように見える。
「ここで待ってたらジャミルに会えるかなって思って。」
ナマエは、ジャミルと会えたことに心底喜んでいるように笑顔を見せた。その笑顔に毒気を抜かれる思いのジャミルだったが、こういうところがカリムに似ていて、つい深いため息が出てしまう。
「まったく……ちゃんと連絡入れておくんだぞ。」
「してるから大丈夫。ジャミル、少し話せる?」
一度家についてしまうと、アジーム家の従者として手伝いをしろと言われてしまうので、そのまま公園に入った。日陰になっているベンチに横並びで座ると、ナマエは持っていたジュースを1本ジャミルに寄越した。
「暑いのにごめんね。」
「気にするな。まあありがたくいただくが。」
ナマエはふふっと笑うと、ジュースを開けて一口飲んだ。それを見て、ジャミルも暑さを思い出して続いて飲んだ。
「ジャミルにはいろいろバレてそうだから話しておこうかなって思ったんだけど、あまり時間がないから手短に言うね。」
「……」
「わたしは家を出たいと思ってる。」
静かな公園にナマエの声だけがする。
ジャミルは視線を足元に落としていたが、ナマエを見た。ナマエはジャミルをまっすぐ見ていた。子どものころのナマエを思い出しても笑顔しか思い出せないジャミルは、初めて見る真剣な表情にドキッとした。
「覚悟はできてるってこと――だよな。」
自分の運命を呪いながら、家を、家族を――捨てるという結論が出たことのないジャミルは、驚いていた。貴族の家に生まれて、容姿も心のきれいさもすべてに恵まれているように見えるナマエ。ナマエはジャミルの問いにゆっくり頷いた。
「うん。不安はあるけど、この国を出られるチャンスがあればすぐにでも。」
「そうか……」
「と言っても、まだひとりで出歩くチャンスも少ないし、いつになるかわからないけど――この計画は絶対よ。」
「……」
ナマエはジャミルの手を取った。幼馴染とはいえ、思春期の男女が手を取り合う機会などほぼないため、ジャミルはぎょっとした。そして、心臓がうるさく高鳴った。
「ジャミル、今までありがとう。」
「――ああ。元気でな。」
この時、ジャミルはもう二度とナマエと会うことはないんだと思った。自分は子どもで、バイパー家の人間で、何もしてやれない。想像だけして、ナマエの家の本当のところは何もわかっていない。
自分じゃなく「カリム・アルアジーム」なら、ナマエのために何かできたんだろう、そう思った。
ジャミルの賢者の島へ出発の日になった。迎えの馬車が到着するのは、ちょうど絹の街の夏祭りの日であった。
友人や妹、カリムが見送ると言ってくれていたが、ジャミルはそれをすべて断っていた。友人や妹たちも進学の準備があるし、父や母が自分の経つ日も夏祭りの運営やらで仕事をしているので、ひとりで旅立ってやろうと思ったのだった。何も今生の別れというわけでもない。
ナイトレイブンカレッジの迎えの馬車は魔法で来るくせに、迎え時間はだいたいでしか伝えられてなかった。いい加減だなと思うものの、準備はとっくに終わっているし、迎えが来るまで近所をぶらつこうと考えた。
街はすっかり夏祭り仕様であった。即席のやぐらが立ち、広場や公園は屋台で埋め尽くされている。
定例の祭りの中でもそれほど規模の大きなものではないこの夏祭りでも大賑わいなのは、熱砂の国の宴好きな国民性のせいか。
「!」
先日ナマエと話した公園まで来ると、その公園そばのやぐらの上にナマエの姿が見えた。街の中心ではない公園だからか、やぐら上にはナマエしかおらず、ウードと呼ばれる弦楽器を弾いていた。カリムも今日は祭りのやぐらにいると言っていたので、貴族や権力者は祭りのやぐらで見世物になるらしい。
ナマエはこちらには気づいておらず、神秘的な白の衣装を着て、ゆったりとした曲を奏でていた。
ナマエの美しさや楽器の音色は素晴らしいが、ナマエは街の広場でなく、ひっそりとした小さな公園に配置されている。きっとカリムやルチルは街の中心の広場にいて、ピーコックグリーンの衣装を着て手を振っているんだろう。
その時だった。遠くの方から真っ黒な塊が近づいてきていることにジャミルは気が付いた。自分を迎えに来たナイトレイブンカレッジの馬車だろう。
出発の時間だ。見送りの曲はナマエの奏でるウードの音色。曲名は知らなかった。きっと自分が遠い賢者の島で過ごす間に、ナマエは諦めて結婚しているか熱砂の国を出ているだろう。たったひとり、見知らぬ土地で……。
「ナマエ!」
ジャミルはやぐらの上にいるナマエを呼んだ。祭りの喧騒の中でもナマエは聞こえたようで、キョロキョロとあたりを見渡して、ジャミルを見つけた。
「ジャミル!」
ナマエはジャミルを見て、演奏をやめて手を振った。
「ナマエ!来い!」
「え?」
「早く!」
こんな時、魔法の絨毯があれば――ジャミルはアジーム家の宝物庫に眠る絨毯を思い出しながら、やぐらの真下まで走った。
ジャミルの必死さでようやくナマエはやぐらから今すぐ降りなければと急いだ。
やぐらの足場を2、3歩降りたところで、衣装をまたたかせながらふわっと跳んだナマエを、ジャミルは受け止めた。
再会してから、こんなにお互いを近くで見るのは初めてだった。
受け止めた自分の腕と、ナマエの肩の白さと細さの違いを改めて感じる。ジャミルは触れたナマエの肌が冷たく感じたが、ひょっとしたら自分が熱かっただけかもしれないと思った。
ふたりが見つめあったのはほんの一瞬だったが、時が止まったように永遠に感じる。歯車が回りだした。
ジャミルはナマエの手を取ると、走り、ナイトレイブンカレッジの黒い馬車に押し込んだ。
魔法で走る馬の不要な馬車は、本来乗るべきでない人間が乗っていても問題なく扉は閉まり、進んだ。
ナマエは息を整えながら、こっそりとジャミルの横顔を覗いた。ジャミルも自分と同様に息を整えながら、何か考え事をしているかのように一点を見つめていた。繋いだ手はそのままだった。
そのうち、言葉のない状態を気まずいと思う間もなく、馬車にかけられた魔法のせいか眠気が襲ってきた。賢者の島はかなり辺鄙な地にあり時間がかかるためか、行き方に守秘義務があるのか、眠ってる間に着くよう魔法がかけられているようだ。
2人は言葉をかわすことなく手を繋いだまま、眠りについた。