アイノナイケッコン
「わたしきっと、もうすぐ結婚するわ。」
「結婚……するのか!おめでとう、ナマエ。」
少しの間の後、カリムはニカッと笑った。結婚はたいへんめでたいことだ。ナマエも幸せに違いない。カリムの心はそう思う反面、なぜかもやもやが残った。
「めでたくない……貴族に生まれた女は、16歳までに結婚しなければいけないと法律で決められているけれど、法律が間違っているわ。わたし、無理に結婚なんて嫌なの。」
ナマエは組んだ足を戻すと、立ち上がって木にとまった小鳥を撫でた。カリムも同じようにナマエの後ろをついていった。
「愛がなくちゃ……」
「ナマエ……」
「なんてね。わがままを言える立場じゃないことはわかっているんだけれど。」
小鳥を手から逃がすと、悲しげにカリムへ微笑んだナマエ。カリムは飛んでいった小鳥を眺めながら、少し考える。
「そうだよな!結婚は好きなやつとするのがいいに決まってる!」
カリムはルビーのような力強い赤みがかった瞳をキラキラさせて、ナマエの両手をとった。
「俺がなんとかしてやる!ちょっと待ってろ!」
カリムはそう言うやいなや、両手をぱっと離し、ぽかんとするナマエを置いて一目散に屋敷内へと戻っていった。
「ジャミルー!」
「――カリム!」
勉強部屋に戻る途中の廊下で、小走り同士のカリムとジャミルは出くわした。
「カリム!サボってウロウロするな!屋敷内とは言え何が起こるかわからないんだぞ!」
なかなか戻らないカリムに痺れを切らしたジャミルは、家庭教師に探してくると告げてから広いお屋敷でカリムを探し始めていたところだった。まさかとは思うが、不法侵入した者や、使用人のふりをした暗殺者がいないとも限らない。最悪の想定をしてジャミルは動いていた。
「そんなことよりさ!ちょっと来てくれよ!ジャミルもびっくりするぞ!」
「ちょっ、おい!話は終わってないぞ!」
カリムはジャミルの腕を引いて無邪気に笑っている。ジャミルもナマエも驚くに違いないと。
「カリム、どこへ行く気だ、まだ――」
「ジャミル?」
カリムとジャミルが中庭に着くと、一層強くなった日差しが照りつけた。クリーム色の壁やオブジェに日差しが反射して眩しくてジャミルは目を細めた。誰かいる。
「ジャミルよね?久しぶり!元気だった?」
ジャミルは反射的にカリムを自身の後ろに引くが、おやと目を見張った。
「ナマエ……か?」
「うん!ジャミルも大人っぽくなったね。」
ジャミルは「それはお前だろ」と心の中でツッコんだ。女性はたった4年でこんなにも変わるのかと驚く。あまりジロジロ見るのは失礼にあたると視線を上下に動かさないよう努めた。
カリムの婚約者の姉で、熱砂の国の貴族のナマエ。アジーム家は下手な貴族より金持ちで権力もあるが、より強大な力を得るため、アジーム家の多くの人間は貴族や王族との婚姻を結んでいた。カリムもアジーム家次期当主として、貴族の娘との結婚は決定事項であった。
ジャミルは改めてナマエを見た。小さな頃から目立つ器量のいい娘だと思っていたが、こりゃ化けたなと冷静に思う。自分の娘をカリムと結婚させたがる貴族をたくさん見てきた。もちろんその娘たちも。その娘たちの中でも比べ物にならないくらいナマエには華があり、美しかった。もちろん、ジャミルの通うミドルスクールにもナマエより美しい娘はいなかった。
「それにしてもなんて格好してるんだ。踊り子じゃあるまいし。」
今日のナマエの美しさをうんと引き立たせている衣装に目をやる。お呼ばれの服にしては露出も多く、私服としてはやや派手すぎる。
「今日は舞踊の発表会の日でね。カリムの妹たちも出るからそのお手伝いよ。」
ナマエは腰に手を当ててポーズを取り、見ろと言わんばかりにドヤ顔を決めている。
「手伝い?ナマエも出たらいいだろ!」
カリムが言うと、ナマエの表情が一瞬固まったように見えたが、すぐにふふっと笑った。
「わたしは下手だしいいの。この服とお化粧してもらえて満足。」
「たしかによく似合ってるよ!なあ、ジャミル?」
「ん?ああ――まあな。」
ジャミルは、貴族の長女がなぜ手伝いなのかという疑問が浮かんでいたのであまり話を聞いていなかったので空返事をした。
「で、カリムはナマエと偶然会って、勉強をサボってたわけか。」
ジャミルはジト目でカリムを睨み付けたが、カリムは何とも思ってないように、ああそうだ!と思いだしたように声をあげた。
「ジャミルを呼んだのは、ナマエのことで相談があったからなんだ!」
「相談?面倒ごとは御免だぞ。」
「ナマエ、好きでもない相手ともうすぐ結婚するらしいんだよ。なんとかできないかなーって思ってさ。」
「結婚ねえ……って結婚!?ナマエお前いくつだ!?」
腕組みし、面倒臭そうに聞いていたジャミルだったが、結婚という言葉に驚き、ナマエに問うた。
「カリムとジャミルの1つ下よ。14歳。」
「14!?」
「そうなの……貴族の女性は16歳までに結婚するって法律を守らなければならないってお母様が。」
「そんな法律、グレートセブンの砂漠の魔術師のころの法律じゃないか。」
たしかに熱砂の国ではかつて、貴族や王族生まれの女性は16歳までに結婚しなければならないという法律があったようだ。
しかし、現代ではそんな法律はおとぎ話のようなものだ。カリムやジャミルにも貴族や王族の女性の知り合いはいるが、学校を卒業してから20歳前後で結婚する人がほとんどだ。
「うん、そうなんだけど……」
ナマエは言いにくそうにしていた。
「輝石の国に強いパイプを持った大臣の方がわたしを気に入ってくれたみたいなの。でも……」
ナマエは言葉を切ったが、ジャミルには言いたいことはなんとなくわかっていた。大臣という位であれば相当年齢が離れているだろうし、どう考えても政略結婚でしかない。
「なあ、ジャミル。なんか良い方法ないかな?」
カリムの問いかけに、ジャミルは険しい顔で腕組みした。
「そうだな……別の男と結婚したいと両親を説得するか――もちろん、その大臣に匹敵するくらいミョウジ家に利益のある人間でないと難しそうだが――もしくは、家を出るか。」
ジャミルからの案を聞いてナマエは押し黙った。カリムも黙って聞いていた。
「覚悟はあるのか。ナマエ。」
ジャミルのまっすぐな視線に、ナマエは口を開いた。
「……わたしは――」
「ナマエ様!こんなところに!」
「!」
アジーム家の侍女が慌てた様子で中庭にやってきた。
「探しましたよ。さあ、お帰りの支度ができていますので、玄関へお越しくださいませ。」
「あ……はい。」
ナマエは名残惜し気にカリムとジャミルを見ると、悲し気な何か言いたそうな表情をして、そのまま侍女の後をついていった。
カリムもジャミルもナマエの悲しそうな顔を見て、何も言えず見送ることしかできなかった。