ヨルイロノヒトミ

 熱砂の国、絹の街。
 砂漠で覆われた熱帯地方だが、絹の街は国の中心で住みやすく整備されており、観光地として国内外問わず人気の街だ。
 絹の街の建物は熱砂の国の伝統的な様式で建造されており、特産品である絹織物がいたるところで見受けられるアラビアンな雰囲気だ。
 
 そして、絹の街をすべて見渡すかのようにそびえ立つのは、アジーム邸である。
 
 アジーム家の長男・カリムは、一家族が広々暮らしていけるサイズの自室で家庭教師をつけて勉強をしていた。静かな室内では、隣で同じカリキュラムで勉強をしているジャミルがペンを動かす音のみ微かに聞こえている。

「ふあーあ……」
 
 もとより大して持続しない集中力が切れかけた頃、気分転換も兼ねて手洗いに立つカリム。カリムの自室付近は警備が手厚いため、お手洗いくらいであればひとりで席を立つことも許されている。
 チラリとカリムの様子を見てから、再びテキストに視線を戻したジャミルと、無表情の家庭教師を置いてふらりと長く広い廊下を歩いていると、突然曲がり角から煌びやかな衣装に身を包んだ色っぽい女性が飛びこんで来る。

「カリム!」

 自分の顔を見るなり笑顔になった彼女を、カリムはなんとか受け止めると、ふわりとジャスミンのようないい香りにくらりと軽いめまいを起こした。

「えっ!えっ!?だ、誰だ!?」

 白く細い腕が巻きついたまま、どうすることも出来ずにされるがままになる。髪はさらりと長く、熱砂の国では珍しい藍色に近い黒髪。白すぎる肌の色も、この国では滅多に見ない。

「カリム、久しぶり。ナマエよ。元気だった?」

「ナマエ……?えーっ!ナマエか!?」

 顔を上げたその女性は、かつて毎日のように遊んでいた幼なじみの名を名乗った。

「うん、4年ぶりくらいかな。カリム、大人っぽくなったね。」

 ナマエは密着させていた身体を離してカリムの顔をじっと見た。カリムの頬にそっと両手を添えてするりと撫でる。その妖艶な手つきと真っ直ぐ見据える眼差しにカリムはドギマギした。

「えっあっ……ナマエこそ……」

 いつもはっきりした物言いのカリムも、突然の密着度と、ナマエの吸い込まれるような深い青と紫が混ざった、まるで熱砂の国の夜のようなキラキラとした瞳に、いつもの調子が出ない。

 ヒールを履いているのか目線がほぼ同じくらいのナマエの顔をあらためて見つめるカリム。
 
 肌が真っ白できめ細かい。瞳を縁取る上向きのまつ毛の上には、記憶の中の4年前のナマエはしていなかったピンクと黄金のラメのキラキラした化粧が施されている。少し屈めば口づけ出来そうな距離にある形のいい唇は紅く彩られ、ツヤツヤと光沢がある。
 衣装は熱砂の国で若い女性に人気の出立だ。夜になりたてのような紫の色の衣装は星のようにキラキラしたビーズが散りばめられており、透けた白い肌を美しく見せている。オフショルダーのトップスは、頼りない肩紐と相反するように年齢の割には豊かで丸みのあるバストが強調されている。胸下までの丈のトップスはウエストを露出させており、細く薄いくびれがあらわになっている。さらに、大きくスリットの開いたロングスカートは、さらりと長い太ももの全てを覆い隠さずにいた。

「ナマエ……すげー綺麗になったな、誰だかわかんなかったよ!服も化粧も、よく似合ってる。」

 ようやく普段の自分を取り戻したカリムは、改めて幼なじみとの邂逅を喜んだ。

 最後に会ったのは、カリムが11歳、ナマエが10歳の時。それまで毎日のように遊びに来ていたナマエがぱったりと来なくなったことは、カリムもカリムの兄弟も、口には出さないがジャミルも気にしていた。
 
 10歳のナマエは、今と変わらず一際目立つ美しさを持っていた。熱砂の国では珍しい髪色と肌の色と瞳の色を持ち、外国のお人形のような容姿だったが、無邪気でお転婆なよく笑う子どもらしい子どもだった。
 カリムもナマエのお転婆なところを気に入っていて、ナマエは妹たちと遊びに来ていたが、カリムの遊びについていけるのはナマエだけだったため、ナマエとばかり遊んでいた。
 初めて会った時は、女の子らしいワンピースを着せられていたナマエだったが、カリムと遊ぶと泥だらけの傷だらけになってしまうため、そのうち男の子のような格好で来るようになったのだった。
 カリムの記憶の中では、その泥だらけのナマエの印象が強かったため、今のナマエは比べ物にならないくらい「女性」になっていた。

「ありがとう。カリム、今時間は平気?おしゃべりしたいわ。」

「ああ!もちろんいいぜ!中庭に行こう。」

 家庭教師とジャミルを待たせていることなどすっかり忘れているカリムは、ナマエとともに歩き始めた。目指す先は、ふたりでよく遊んだ中庭の噴水だ。

「カリム、ルチルは元気かしら。」

 ナマエは俯いた際に落ちてきた髪を耳にかけると、なんでもないことのように聞いた。カリムはルチル――つまり自分の現在の婚約者であり、ナマエの2歳離れた妹のことを思い起こした。

「ルチル?あー最近会ってないな、うちにはよく来てるみたいだけど。」

「そう……結婚するかもしれないんだから、仲良くしてあげてね。」

 そう言うと、ナマエは寂しげに笑った。かつてのナマエはこんな笑い方をしただろうか。カリムはその表情から目が離せなかった。

 中庭に着くと、噴水のふちに2人で座った。噴水の中で水浴びをして遊んだ頃を思い出しながら、ナマエは噴水から弧を描いて落ちる水を眺めて、手で掬った。

「ナマエはうちに来てない間、何をしてたんだ?」

「うーん……お料理やお踊りや裁縫とかかな。あと魔法の勉強もさせてもらえるようになったの。ユニーク魔法もやっとわかったのよ。」

 見ていて、と言うとナマエは噴水の水を両手で掬った。カリムは言われたとおり黙って見つめていると、ナマエの両手に掬われた水がコポコポと煮立ったように動き、やがて水が球体になった。

「すごいな!なんだこれ!?水の形が変わったぞ!」

 目をキラキラさせて喜ぶカリムに、ナマエはくすりと笑った。

「難しいことはできないけれど……ものの形態を変化させることができるみたいなの。魔法の先生が言うには、呪文もまだないし未完成らしいんだけれど。」

 ナマエの手のひらの上の球体になった水は、ピシャリと音を立ててもとの姿に戻った。ナマエの夜色のロングスカートとスリットから覗く太ももを濡らした。
 無意識に濡れた太ももを見るカリムに気付いているのかいないのか、ナマエは視線の先の足を組むと、カリム、と呼んだ。

「わたしきっと、もうすぐ結婚するわ。」




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