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ミス・ユー、ミス・レイニー


真夜中に1階から聞こえた銃声で目を覚ましたことをよく覚えてる。わたしはフリルがたくさんあしらわれたネグリジェのまま二階の子供部屋から降りて、なんとなく踊り場から下を覗いた。そして視線の先に、階段の下に血塗れで転がっている母親とその腕の中に抱かれた小さな弟の姿を見た。母親はその時まだ息が微かにあって、虚な瞳をわたしに向けた。

不思議だ。それ以外は真っ赤に染まってるってのに、顔は青白いのだ。投げ出された弟の小さな手も同じ色で、ピクリとも動かなかった。逃げろ、と母は陸に放り出された魚みたいに血の気の引いた唇を動かして、確かにそういった。リビングの方から二度目の銃声が、男の怒号が、打撃音が聴こえていた。父の姿は見なかったが、いつもわたしに愛していると囁く、あの低い声による叫び声が絶えず聞こえた。

だからわたしはまた階段を上って、ベッドに放り投げていたカーディガンを手にして、窓から庭の木に飛び移った。そして二度と、生まれ育った家には帰らなかった。
とても寒い日だったのに、嫌な汗をたくさんかいた。カーディガンの中の湿度が高くて、気持ち悪くて、それでもわたしは裸足で足の裏を血塗れにして、暗い田舎道を走らなければならなかった。

たくさん走ってきて、いつもわたしの身体は気怠いのだ。






「古いカーディガンだな」

「おはよう」

「だが上等だ」

「でしょう」


朝のキッチンでお湯を沸かすヤカンをぼんやり眺めていたら、羽織っていたカシミアのカーディガンごと後ろから抱かれた。お腹に回る腕は力強くて温かいが、なんだか振り返る気にもなれずにわたしはずっと、背の高いヤカンから出てくる蒸気を見つめた。もう中の水は沸騰しているらしい。
部屋の湿度が増してゆくのを楽しみたかったが、しかし彼がわたしの腰の横から手を伸ばしてコンロの火を止めてしまった。


「死んだ母が昔着てたの」

「趣味がいい。おまえの母親はどんな人間だったんだ?」


そんな質問をされて、何気なく自分の過去について喋ってしまったことを後悔した。


「……プロシュート、この会話に意味はない」

「大いにあるだろう」

「あなたとわたしが寝てることと同じくらい、意味がないよ」


彼の腕をやんわりと解かせて、わたしはコーヒーを淹れることにした。彼は追い払われると大人しく玄関の方へと向かい、新聞を取ってきてリビングルームのソファーに悠然と座った。何だかその様子は可笑しい。父と母が、こんなふうにしているのをわたしは見たことがある。そう思って目を細めた。

わたしは昔から紅茶が好きだけれど、前に彼が紅茶を淹れてくれていたから、今日は先に目を覚ましたわたしが二人分のコーヒーを淹れることにしたのだ。どうして彼の家に紅茶のティーバッグが置いてあるのか、尋ねたことは未だない。わたしがこうして自分の家にインスタントコーヒーを置く理由だって。

低い木のテーブルに二つのマグを置いて、ソファーに乗り上げる。今日初めてきちんと見た瞳が近づくにつれて細められて、唇を食まれた。彼のキスはきもちいいから不思議だ。


「オレとするのは悪かねぇだろ」

「そうだなぁ、あなたとのはすごく気持ちいい」

「意味なんざそれくらいで十分だ」

「……そうなのかなぁ?」


俄かに笑った彼は、テーブルのマグを手にとって、安いインスタントのコーヒーを一口飲む。猫舌なわたしもカップに口をつけて熱くて苦い液体をゆっくりと飲んだ。
コーヒーってのは目が冴える。ぼんやりしていられなくなる。

プロシュートと寝るようになって暫く経つ。彼はわたしの悪癖を知っているし、二度もその現場を見たことがあるってのに、その際の気軽な提案からわたしたちは寝るようになった。最初は試してダメだったらすぐにやめてやろうって、なんなら撃ち殺してやろうってくらいの気持ちだったけど、存外彼とのセックスはとても心地よく、いつの間にか朝を共にするほどになっていた。そして不思議なことに、今ではわたしはあの悪癖を起こしていないのだ。

なんだか、彼に変えられてしまったみたいでぞわりとする。そういうのは嫌いだった。わたしはずっと一人で、ぼんやりしていられればそれでいいのに。

こんなことを考えるとまた、名前も知らない、人形みたいに可愛い顔の男の子と寝たくなってくる。彼らはわたしを知らないし、わたしも彼らを知らない。そういうのが心地いい。だけどどうしてか満たされなくなってからというもの、大抵途中で、酷い形で終わらせてしまうようになった。結局は心の問題なのだろう。
ならばどうして、プロシュートとのセックスはきもちいいの?


「妙なこと考えてるな?」

「うん」

「まあ、好きにしろ」


カシミヤのカーディガンごとわたしはまた彼の胸に抱き寄せられた。コーヒーが冷めるよと伝えても、彼は気にしてないみたいだった。

幼い頃、母親にも父親にも何度も抱きしめてもらったし、わたしもいつも弟を抱きしめてあげていた。わたしにとって、ハグってのは誰かに愛を伝えるためのものだ。だからわたしは誰も抱きしめない。今のわたしを抱きしめることができるのも、このカーディガンだけだった、そんなはずなのだ。


「……今朝はいつもと違うな」


わたしの自棄に緊張した背中を撫でて、彼はそう言った。まるで心配しているかのような声色に、何も考えたくなくなる。彼の首に頬をつけながら、このまんま抱いて欲しいと思った。だから彼の結われていない髪を撫でて、首に口付ける。
プロシュートはソファーの上で望みの通りわたしを抱いてくれた。カーディガンを脱がせて、下着も脱がせて、わたしを何者でもなくしてくれた。だけど、最近はそれだけじゃあないと感じる。彼は何者でもなくしてくれるけれど、その上で、わたしは彼に抱かれると一人の女になってしまう。

お互いに心地よくぐったりとする頃、2人で煙草を吸った。別に煙草は好きじゃあなかった。でも、わたしには必要なのだ。あの日のシーリングファンを思い出す。実のところわたしは最近になってから、自分の行っていたことがひどく醜悪なことなのだと知った。

ゆったりと脚を寛げた彼の胸の上にもたれたまま煙を吐き出す。縮こまらせた身体は裸のままだが、彼の手のひらが触れるところはあたたかい。


「ねぇ。わたし……いつ消えるかわからないから、触んないほうがいいかもよ」


そう言うと彼は煙草を灰皿へ置いた。わたしの指からも取り上げて一緒に並ばせる。昇る煙を眺めていたら、プロシュートはソファーの下に落ちていたカーディガンを拾い上げ、わたしの肩に掛けた。それから、緩慢な動作で引き寄せられて抱擁を受けた。寒い夜、悪い夢を見て、このカーディガンを着せてもらったときの記憶と重なる。


「そういう時はなァ?捕まえておけ、とでも言ってみろ」

「……忠告よ」

「だとしたら、あまりに遅いぜ」


なにが遅いの?

この男がわたしに飽きたら、もしくは死んだら、わたしはまたカーディガンを着て逃げるんだろうか。また熱を失って、宛も無い暗闇の中を裸足で。そんなのを考えるとやはり何もかも忘れたくなってしまって、何者でもありたくなくて、とにかくわたしは彼の上に乗り上げ、カーディガンを着た女としてキスをせがんだ。

題名:徒野さま