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貴方のための皮下


頭の上で縛られていた手首の縄が、なにか鋭利なものによって切られる音が聞こえた。

ついさっき突然血を吹き出してわたしのお腹のあたりに倒れ込んだガタイのいい男を見下ろす。男を蹴飛ばしてみると、自分の血まみれになったお腹の上から、同じく血に塗れた鉄の鋏がシーツへとずり落ちた。その鋏はこの男が両手でわたしの首を死なない程度に締めていたところ、彼自身の首から突然飛び出して来たものだ。

ベッドから降りた。裸足で歩くと足の裏についた男の血のせいでべたべたして気持ちが悪い。この部屋の何処かに彼≠ェいるのだろうが、しかし探したところで仕方がないので、バスルームに向かう。

広い洗面台は大理石でできていた。冷たいそれに手をついて、鏡をじっと見る。首には指の形で鬱血した跡があったし、興奮した男に殴られた片目の周りが紫色になってる。そういうのが身体中にあった。うつむいて、手首を鏡を介さずに直に見つめると、縄の痕がくっきりと赤黒くついていた。そんな手首の太い血管の上に、突然小さな剃刀の形がうっすらと浮かび上がって来るのを見た。
ぼんやりとした現実感のない気分でそれを眺める。

呆然としていたら、後ろから大きな手が視界の中に現れた。皮膚のすぐ下、ドクドクと血液が流れる場所にある剃刀の形を確かめるように、綺麗な爪のついた親指の腹がそっとなぞる。そうされると浮き出た物騒で鋭利な輪郭や、痛みや異物感がじんわりと溶けてゆくように消えた。わたしの手首にはまた、赤黒い縄の痕だけが残る。それは消えない。

「リゾット」

顔を上げて鏡をみると、背中に覆いかぶさってわたしの首に顔を埋める男のつむじが見えた。血に汚れることを厭わない腕がわたしの腹に回り、裸の身体を強く抱きしめる。このホテルの部屋はどこもかしこもひんやりしていたが、彼の体温は非常に温かい。
そのまま、耳のすぐそばから彼の低い声が聞こえてくる。

「それで我慢しろ」

それってのは、剃刀がわたしの手首に現れて、ぼんやりと消えたことだろうか。頭がぼうっとするあの感覚は良かった。だけどそんなの一瞬だけだったじゃあないか。リゾットは咎めるように続ける。

「くだらないことばかりするな」

「個人の趣味嗜好に文句出さないでよ」

「ならそんな顔はするな」

そんな顔ってどんな顔だろうかと確認しようとしたら、鏡ごしに印象的な瞳と目が合う。わたしが洗面台についた手のすぐ隣に彼の無骨で大きな手が置かれた。わたしたちの身体は何もかも作りが違う。

リゾットはわたしの首にある指の形の痣を舐めた。そこはあの男が触った、汚いところなのに。しかし今更か。わたしはずっと汚いし、そんなわたしを彼は何度も抱いている。

「代わりにあなたが抱いてよ」

「汚い血を流したらな」

鏡に顔を近づけていた身体を起こすと、彼もわたしから身を離した。振り返り、大きな身体を両手でどかせる。力など無いが、彼は逆らわずに身を引いた。彼の顔を見ることなくその後ろの大きなバスタブに淵を跨いで入る。壁のノズルをひねると熱いお湯が噴き出した。

「リゾットも来て」

珍しくラフな格好をしていた彼は、呼びかけに応じると服を脱いで熱いシャワーを浴びるわたしの元へやって来た。すでにあらかたの血はお湯で洗い流され、洗面台と同じようにマーブルのバスタブの底を伝い、排水溝へと薄いピンク色になって流れていった。

シャワーをかぶって彼へ背を向けていた。そんなわたしの肩を強い力で掴むと振り返らせ、彼はバスルームの冷えた壁へと縫い止めた。じっと見つめあって、というよりわたしは彼を睨んでいたが、とにかくそのまま熱烈なキスをされる。なんとなく身体に力が入らないわたしは、またぼうっとした気分でそれを受け入れた。とても長い、性的な口付けであった。

「勝手な人だな……いつもいつも」

唇が離れて、身体を撫でられながらそう吐き捨てる。肌を撫でるリゾットの手つきが荒々しく、いつも以上に男ってものを感じさせた。
どうせ彼は手ひどく抱いてはくれない。それなのにわたしの趣味を邪魔する。

「こんなことはやめて、おまえはオレといろ」

「馬鹿にしないでよ。わたしは誰のものにもならない」

そんなことを言いながら、自分は馬鹿にされて然るべき人間であるという自覚がはっきりとあった。時折どうしようもなく痛みを得たくなる。背中にある壁の向こうでベッドに転がってる男みたいに、わたしをモノとしか思ってないような人間が、最低なわたしには必要だった。

だからこうして、どうせ脱がせるのに柔らかなバスローブなんかをきちんと着せて、甲斐甲斐しくカウチソファにそっと寝かせるような、わたしを優しく大切に扱う目の前の男が嫌いなのだ。
彼は今度は優しく口付けた。




胸に舌が這う。妙な水音がわたしの脚の間から、彼の指が入るところから聞こえていた。

「いや……っリゾット。それやめて」

「痛いのか」

胸の薄い皮膚から舌は離れた。リゾットが視線を合わせる。

「ちがう。変になる……はやくいれてよ」

「いつもキツくてお前は泣くだろう。なぜ痛みばかり求めて快楽を拒む」

「んっ……痛い方がよっぽどいい。わかるでしょう」

「わからないな」

リゾットはわたしの膣の中にゆったりと指を出し入れしていた。彼の指が上の方をなぞるたびに気が変になりそうだ。眉をひそめて目を閉じ、もう腕に引っかかってるだけの柔らかなバスローブを握りしめた。既に息が絶え絶えだった。反して静かに、こちらをじっと見下ろすリゾットは続ける。

「おまえはもう、十分傷だらけだろう。オレはくだらない自傷行為に付き合うつもりはない」

忌々しげに彼はそういった。
でも、わたしの手首に剃刀を作った時、わたしを傷つけようと、殺そうとしてくれたんじゃあないのだろうか。何がしたいんだ、こんな女に。わたしは何も持ってないのに。

ああでも、もしかしたら。

この男だって、わたしからみたらたくさんを持っているけれど、彼にとってはとても空虚なのかもしれない。彼は普通≠知っている男だ。こんな世界にいてそれがどれほど苦しいのかを、わたしはよく知っている。

「……リゾット」

名前を読んで、身体の中で唯一バスローブを纏った腕を伸ばしてみたら、少し驚いたような顔をした彼が自ら頭を寄せてくれた。胸元に顔を埋める彼を抱きしめてみるととても心地よい。

この人も自分を最低な人間と思っているのだろうか。そう考えたらとてもやるせない気分にさせられた。あなたは立派な人で、あなたを慕う部下がいて、あなたの特別な正義を持っている。だけど魅力的な人間ってのは、何故か自分が真に持ちうるものを知らない。

リゾットはわたしに頭を抱かれたまま、挿し込んだ指を増やしたりして動かしていたが、やがてそれは出て行った。
息を乱すわたしの胸元から頭を上げて、深くゆったりと口付ける。心地よい息苦しさに酔っていると、膣口に押し当てられる熱を感じた。彼のキスが激しくなってくる頃に、押し入られて喉を鳴らすような悲鳴をあげた。やはり苦しい。しかし彼が前戯に時間をかけたので痛みは無い。
唇が離れて、わたしの脚を抱えた彼に恍惚とした表情を向けた。ゆるやかな動きにすらも声を漏らす。

「あ……あ、」

「逃げても意味はない。おまえが恐れるものをオレが与えてやる」

「やっ、わかった、わかったから……っあ、リゾットっ……」

ならばわたしも彼に教えねばならぬだろう。彼の魅力を、彼の高潔な意志の美しさを。
今はあの剃刀を皮膚の下に見た時のような感覚はなかったのに、ひどくぼうっとした。おかしな話だ。大きなベッドに死体が転がる絢爛としたホテルの一室、わたしたちはソファーの上で甘く、まるで恋人みたいなセックスをしている。

リゾットはわたしを抱きながら、全身に散らばる痣やら、妙な切り傷やらにキスをした。だからわたしも彼の名前をたくさん呼んで、彼を抱きしめることに努めた。必死でお互いに、なにかを伝えようとしているのかもしれない、わたしたちは。そう思いたかった。

題名:徒野さま