枕に纏わる奇譚
それまではいい雰囲気だった。明日は二人ともお休みで、わたしたちは久しぶりに二人きりになることができていた。おいしいお酒や食べ物を持ち込んで籠城して、もう今日は朝まで楽しんでやろうじゃあないかって、お互いそんな感じだったのだ。やつがわたしのベッドに重なって並ぶ枕の数を数えるまでは。
「オメーふざけんなよ!どぉーーして枕が4つ置いてあんだよ!?」
「別にいいでしょう……はやくしようよ」
「いーやっ!ダメだねッ!4って数字はダメなんだよ、オメェがいくらエロくて魅力的でもッ!オレはこのベッドではぜってぇーにセックスしねぇ〜〜!」
またいつもの発作に苦しむ男を、くだんの4つの枕に背中を預けて眺める。せっかく買ったばっかりの彼好みの下着が無駄になりそうである。
今にも泣き出しそうなミスタはもう既に長らく腕を組んだままでいるわたしの足元で蹲ったり、ベッドから降りて部屋の中をウロウロしたりして、ずっと呻き続けていた。気がつくと数十分も時が経っている。しかしよくわからない過去からのこじつけを穿り出して4という数字のヤバさ≠つらつらと呟くように吐き出す男は見ていて飽きない。
「ああちくしょう、そうだ、そうだよなぁ〜……ッ」
しかし突然、彼は頭を抱えてわたしの隣に伏せった。2つずつ重なって並べてある縁起の悪い枕達の一つに顔を埋め、うつ伏せの彼は動かなくなった。今までと明らかに様子が違う彼を見て、部屋の中に漂う空気がうっすらと変わるのを感じる。
そっと彼の背中に触ってみた。
「ミスタ。なにがそう≠ネの?」
暫くわたしの質問は宙を漂ったようだった。漸くそいつが耳に届いたらしいミスタは枕を両手で握りしめたまま、ちょっと唸る。
彼お気に入りの上等なカシミヤのセーターはいつも通り肌触りが良く、そのまま背中から手を滑らせて、厚く見事に編まれた首のリブに触れる。帽子の中に手を入れてみると彼の硬い髪の感触と、ゴツゴツとした銃弾に触れる。わたしにできる限りの優しさを込めて撫でた。
そうすると彼が小さく喋りはじめた。いつものよく通る、低くうつくしい声に覇気はなく、その音に涙が滲んでいるのがわかった。
「もし、おまえが死んだら4人目だ」
あまりに悲壮に駆られた声だ。4という数字にまつわる全ての過去が、この豪胆な男を蝕んでいるようだった。わたしは詳しくは知らない。わたしが彼に出会ったのは、もう彼がこの巨大な組織で2番手になってからなのだ。
「……ミスタ。わたしはそう簡単に死なない」
「みんなそうだったんだ。みんな、簡単に殺されるようなタマじゃあなかった」
みんなってのは彼が失った人間たちのことだろう。そんな彼らが3人いたことをわたしはたった今知る。ミスタはジョルノと共に前のボスに成り代わるように現在の地位を手に入れた。そしてその前には、彼らはあるチームに属していた。それだけは知っている。
時を同じくして全く違う場所でのし上がり、幹部となるのに必死だったわたしには全貌を知り得ない、この男の過去。でも、人を失う気持ちは狂おしいほどにわかる。わたしもここに来るまでに、多くを失った。
だから絶望の淵にいる彼の悲しい言葉は素直にわたしの胸に柔らかく、あたたかに染み渡った。
「……わたしを4人目に数えてくれるの?ミスタ」
「他にだれがいる」
「ジョルノ」
「あいつは死なねえよ。あいつはそういうやつだ。でもおまえは違う」
顔を上げた彼は目に涙を浮かべていた。胸が締め付けられて、死んでしまうかと思った。しかし死んでなるものか。この男をこの男たらしめるジンクスのために、わたしはなんとしてでも、もしかしたらすぐにでも訪れるかもしれない死に抗わねばならぬ。
「馬鹿だなぁ。ねぇミスタ。あなたって馬鹿で、ほんとうに、ほんとうに素敵だよ」
両頬に手を添えて、厚く色っぽい唇にキスをした。なんて愚かなんだ。なんて、かわいいんだろうか。
「そういうあなたが好き」
わたしは立ち上がって、彼の頭の下の枕を力任せに引き抜いた。そして呆然とする彼の尾てい骨あたりに挟まったリボルバーをするっと拝借して、窓の方へ向かう。
鍵を開けるのも煩わしく、胸につくくらいに持ち上げた脚で木枠の窓を蹴り開いた。ここは三階だった。開け放たれた窓から力一杯に枕をぶん投げる。引き金を引くと銃声が轟き、窓の向こうに雪みたいに舞う羽毛。それを、きっとミスタも見たことだろう。
射撃は下手くそなのに、この時ばかりは上手く当てられる確信があった。
名前を呼ばれて、振り返ってみるとベッドにいると思ってたミスタが目の前にいた。黒い瞳と目があった途端に唇が重なる。密着する身体に追いやられ、後ろにある窓枠に手をついて、反対側の手から落としかけたリボルバーを彼の手が上から握った。するりと奪われて、またそれはミスタの、ワシントン条約違反の疑いのあるシマウマの皮のパンツに収められたようだ。
「やっとする気になったの?」
「ああ。あのベッドでな、枕が3つの」
笑ってカシミヤのセーターを抱いた。簡単なことだ。わたしは死ななければいい。いや、例え死んだとしても、この神に愛された明るく快活な男はきっとうつくしい人生を歩むのだろう。それがこの男の魅力だ。
ただ、わたしは彼と一緒にいたいのだ。わたしが死にたくないのはそういう、簡単な理由。
「あの枕高かったのよ」
「悪かったよ。何か明日買いに行こうぜ。枕以外のモンをよぉ」
ベッドの上でわたしに覆いかぶさった彼が帽子を脱ぐと、ぼたぼたと硬く冷たい銃弾がわたしの上に降った。お互いにそんなのを気に留めることもなく、心地よいキスをする。3つの枕の上で、我々は明るく快活な時間を過ごした。
彼はほんのちょっと泣いたりしたけど、それはふたりだけの内緒である。