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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
鬼さんこちら


料理にまつわる映画を見てたらどうしようもなく食べたくなったので、映画に出て来たのと同じようなチョコレートクリームタルトを作った。わたしを知る人間から見れば一体どういう風の吹き回しかと怪訝に思われそうだが、料理ってのは本の通りにきちんと材料やら手順やらを真似すればある程度まともなものができるらしいと、初めて真面目に使うキッチンで思った。

驚いたことに、ヘラについた固まる前のクリームを舐めてみたらぱちぱちと瞬きをしてしまうほどに美味しかった。数時間後、これがもう少し固まったらどれだけおいしいタルトになるんだろう!そう考えたら、こんなに素敵なものを一人きりで食べてしまうことは非常に惜しく思われた。そういう気持ちってのは当たり前に全ての人間に沸くものだろうか。わたしには初めてだった。




「それでぼくを?」

「うん。楽しいお誘いでしょ」

「こんなアパートにぼくを呼び出すのってあなたくらいなものですよ。もっといいところに住んだらどうだ」

「わたしはこの部屋からの景色が好きなの」

「その景色のためにあの無駄な螺旋階段を、7階まで登らなきゃあならない」

キッチンの丸いテーブルに腰掛けて忌々しげに文句を言う彼の前に、チョコレートクリームパイが入ったガラスの皿をでかい音を立てて置く。切り分けずにそのまま冷蔵庫から出したって、意外にもズボラな彼は構わずスプーンを伸ばして食べてくれるような男だ。神のごとく明媚な男がわたしの部屋でチョコレートクリームパイを食べてるってのはとても愉快だ。

わたしもスプーンで少し固まったチョコレートクリームを掬って食べた。広がる甘さにうっとりしつつ目を閉じる。

「ん〜……おいしい」

「たしかに、結構うまいですね」

「でしょう!」

ゆったりと椅子に座る彼と、身を乗り出したわたしが丸くて深い形をした皿の中身を二人してつつく。ボスの表情はあんまり変わらないが、彼はドルチェを食べるときにいつも目つきが柔らかくなるような気がした。

「甘いもの好きだよね」

「どうしてそれを?」

「見てればわかるじゃあないの」

なぜだか彼のスプーンの動きが止まったので、タルトから顔を上げてみたらじっと見つめられていた。なによ、と思ってまたクリームを食べる。一つの場所ばかり穴掘りしていたため、チョコレートクリームを支えるパイの生地も一緒に掬えた。

「ちょっとボス、わたしが全部食べちゃうよ?」

「それは困るな」

彼はそう言いつつも頬杖をついてわたしを見つめていた。なんだかその顔はとても優しく見える。わたしも思わずスプーンを止めてやんわりと笑ってしまった。

「案外美味しいものって簡単に作れるのね」

「きみにはきっとそういう才能がある」

「料理は嫌いだけどね」

「料理に限らず」

「ふーん……?じゃあまた、気が向いて作ったらあなたを呼ぶね」

「いいよ。7階まで登ってきてあげよう」

伸びてきた指先がわたしの頬を柔くつねった。こんな風に自然体の彼を見るのは初めてで、なんだかわたしはとても嬉しかった。

「キスはしてくれないの?」

「……どうして?」

「この前、ドアの前まで送ってくれた時にはしてくれたよ」

「きみは酔ってたから忘れてたんじゃあなかったの?」

「思い出してみることにしたの」

「ずるい子だな」

「わたしってそういう女だよ。知ってるでしょう」

身を乗り出して、ボスはチョコレートクリームパイの上空で甘ったるいキスをしてくれた。この前ドアにわたしを追い詰めた彼がしてくれた深く長いキスとは違い、軽く唇を交わらせるだけのもの。それにしてもこの人はキスが上手だ。
自然と離れた頃、わたしが彼の唇をぺろっと舐めた。そうすると彼が小さく呟く。

「ああもうだめだ」

「ん?」

不意に手を握られてスプーンがテーブルに音を立てて落ちる。その手をちょっと持ち上げて指に口付ける様をじっと見つめた。微笑んでる彼はテーブルから離れて、わたしも自然に引っ張られた。

「お腹がいっぱいで、もうぼくはあの階段を降りられそうにない」

ひどい詭弁でベッドに誘う彼に声を上げて笑った。自分の家みたいに寝室のドアを開けてわたしの手を引く彼は、今にも歌い出しそうなくらいにご機嫌な様子に見えた。

「子どもみたいだわ」

「まだほんの10代だろう、ぼくら」

そりゃあそうだと思いながら、開けっ放しのドアから灯りが差し込むベッドの上、彼の首に腕を回す。抱きしめてみると甘えるようにわたしの首に顔を埋める彼がとても可愛く思えた。

「またきみは忘れてしまうだろうね」

「思い出したくなるかも」

「好きにすればいい。逃げるだけ無駄なんだ」

ほんのりと怖いことを言われた気がする。今度こそ、あの日と同じようなキスに酔う。お酒でふらふらしたわたしを連れて、彼が吹き抜けの螺旋階段を登って来てくれた楽しい夜。そんなキスをされているとさっきまで一人の無邪気な男の子だった彼は途端に、巨大な組織を手にした赫々たる男になってしまう。なんと魅惑的な人間だろうか。ゾッとするほどに。
そんな男と触れ合う記憶の全てを、忘れられるわけがなかった。



キッチンから食べかけのタルトを持ってきて、乱れたシーツの上でまた食べ始めたボスは、わたしにもおんなじスプーンで甘ったるいクリームをたくさん食べさせてくれた。次は何が食べたいかきいてみたらクレマカタラーナが良いそうだ。そんなのどうやって作るの?難しいのではないのだろうか。

しかし無駄を嫌う男がこのエレベーターもないアパートの7階まで登ってきてくれると言うのだから、頑張るしかない。どうせまたジョルノはお腹がいっぱいになって、階段を降りられなくなるのだろう。ならば大量にクレマカタラーナを作って本当に満腹にしてやろうではないか。次の日に街の本屋で料理本を眺めながら、ひっそりと企んだ。