死霊の物語
仕事を与えてくれと言うので、片付けて欲しい要人を伝えると三日後にはその人物の訃報が新聞の一面に載った。あまりに不自然なほどの自然死だと、その記事は熱く語っていた。帰ってきたときにはいつもみたいにぼんやりしていたくせに、密かに監視させた部下の話によれば、痕跡一つ残さない彼女の手際はゾッとするほど見事だったという。
その手際のように普段は顔色ひとつ変えないくせに、ぼくが抱くとナマエは必ず泣いた。すすり泣きながらぼくの背中に爪を立て、甘い声を吐き出す彼女を見ているとこの上なく愛おしさを感じる。
ナマエはあのチームにいた頃は年相応に眩しく笑ったりしたのだろうか。ぼくには永遠に見せないであろうそういう顔は、泣き顔よりもさらに愛おしく思えるのだろうか。しかしそんな手に入らないことがわかっている無駄なことについて考えるより、ぼくは今はただ、ナマエの美しい泣き顔を日々享受したかった。
「ほら、きみの好きなものだよ」
ぼくが手にした箱に丁寧に並べられた色とりどりのチョコレートをぼんやり見つめて、彼女は無作為に一つ、ほっそりとした指でつまみ上げると口元へ運んだ。小さな唇や淡く色の乗った頬の動きで、彼女の舌がそのチョコレートをゆったりと味わっていることが伺える。受け取ってくれるものって言えばこういう甘いものくらいなものだ。毒でも入っていることを、期待してるんだろうか。
「おいしいかい?」
「うん」
その口許は小さく弧を描くことを最近覚えた。窓に背中を預けて広いウィンドウベンチにゆったりと座るナマエの隣に腰掛ける。ナマエは比較的よくここにいた。両サイドを本棚になった壁に囲まれたここが彼女にとって居心地がいいのだろうか。
このぼくが住居として使っているまあまあ広い家の中を、ナマエはふらふらと猫のようにうろついていた。書斎で本を読んでたり、キッチンで簡単な料理をしていることもあった。そしてたまに気まぐれに出て行ったりもするが、きちんと帰ってきた彼女の手には大抵老舗ブランドのロゴが入ったショッパーなんかがいくつもぶらさげられていた。ぼくが与えた金に手もつけないくせに、高額なものをぽんと手に入れてくる。どのようにその金は捻出されるのだろうか。調べたって構わないが、わからない方が面白くも思える。
ここをよく訪れる数少ない人間の一人であるミスタはナマエを例の数字の如く気味悪がり、顔を合わせると決まって冷たい視線を投げた。対してフーゴは慎重に警戒しつつも、何かしら彼女に感じるものがあるようだった。彼の直感は間違っていないだろう。そして当のナマエはそういう彼らを気にも止めずに、やはりぼんやりと過ごしていた。
初めて会ったときには、ナマエはもうこんな風だった。正式に組織のメンバーとして登録されていない暗殺チームの生き残りがいるらしいとフーゴが情報を手にいれ、そんな折に現れた張本人が彼女であった。ぼくの首を取りに来たのだろう。最初はそう思ったのに、彼女はただぼくの顔を見ると少しほっとしたような表情を見せた。そんな、まるで抵抗をしない身体を壁に追い詰めて、キスをしたときのナマエの絶望した顔といったら。
あのセキュリティをくぐり抜けて組織の本部として使う屋敷にまで入ってこれる能力を持っているくせに、ナマエはただの錆びたナイフ一本でぼくの動脈を切ろうとした。くだらない演技だ、彼女はこのぼくに殺されに来たのだった。それに乗ってやる気はさらさら無いが、彼女を優しく抱くだなんて無駄なことをやって喜ぶ自分もどうかしている。
キスをするとチョコレートの味がした。泣いてるのかい、と尋ねると決まって首を横に振るのに、その瞳には涙が滲んでいるのだ。
「どこか行きたいところはないの?」
「わたしはどこにでも行けます」
震えていない、静かな声で彼女が答えた。決して精神は弱くはない。しかしものごとを知らない。
「ならば、こんな狭いところにいるのはどうして」
ぼくをぼんやりと見つめる瞳は潤んで部屋の灯りを反射するが、そこの奥には光が無い。彼女のように、少しずつ死んでいった男をぼくは知っていた。と言ってもぼくは、そんな彼の光の灯った目しかほとんど知らないのだが。
「人を愛したことはある?」
「愛ってものについて、わたしは詳しくありません」
「ぼくもさ。でもきみをかわいいと思う」
「……そんなの嘘」
「嘘であって欲しいんだろう?だけど生まれてしまったこの気持ちはどうしようもない」
なんども伝えている言葉なのに、いつだって青ざめゆく頬をやさしく撫でる。ウィンドウベンチの両側面の本棚。その片方にささやかに逃げる彼女を追い詰めた。この絶望した顔がかわいくて仕方がない。深いキスをして、その背中に腕を回して抱きしめる。ぼくの一番好きな本が、彼女の肩の後ろに目立って見えた。悲劇ばかりの激しい物語。
きっと彼女は深く愛されていた。ぼくはついぞその全貌を知らぬが、汚れ仕事を綺麗に片付ける男たち、あのチームにも絆というものがあったのだろう。ぼくらにも固くあったように。
「なぜ、彼らはきみのここに入ろうと思わなかったのだろう。だれ一人として?」
「いやっ、やめて、わからないです、あっ……」
「ぼくにもわからない。泣いてるきみを腕に抱くことはこんなに魅力的だというのに」
指先で、下着越しに彼女の足の付け根を撫でる。やさしく触れるとすぐに潤むそこは彼女の瞳のようだ。
能力を使った殺しも、状況に応じて使い分ける態度やら外見やらの演技も完璧だと聞いた。しかし彼女はぼくの腕の中ではまるで何も知らない女の子だった。いや、本当に何も知らないのだろう。生き抜く術をいくらでも持っているというのに、一人残されてしまえばどうしていいかもわからず、死に場所を求め仇の親玉のところへ来てしまうような愚かな子なのだから。
「っう……」
膝に乗せた彼女の腰を掴み、中にゆっくりと咥えこませる。眉をひそめて、彼女は自分の唇を噛んでそれに耐えていた。その顔を心底愛おしく思う。
「いつも苦しそうにするね」
「……ほんとに苦しいの」
「体が?……それとも気持ちが?」
「わかりません……」
ぼくの肩に額を当てて、頬に涙を流した彼女が呟くように答えた。シャツを着た肩にじんわりと湿った熱を感じる。もっとバカになって縋りつけばいいのに。ぼくはきみにならなんだってしてあげるのに。
「酷くしてください。お願いです」
「それがきみの願い?」
「はい」
絞り出したような声だった。これが彼女の精一杯の甘えであった。背中と尻を支えつつ彼女を抱いて、そのまま立ち上がった。奥にぶつかったのか、ぎゅうと膣が締まる感覚にぼくも密かに息を飲む。
彼女をすぐそばのベッドにそっと下ろして、指の背中で赤く上気した頬を撫でる。柔くキスをして、繋がった部分の少し上にある突起を親指の腹で下から撫でた。そのまま腰を動かし始める。彼女は高く声を漏らしてその手をどこかへ伸ばすが、やはり綺麗にベッドメイキングされたシーツを掴めないでいる。こういう映画があったな。幽霊ってのは、強く望んだものしか触れないって。
「これからもう、きみがやめてと泣いても、気絶したってやめない。いいかい?」
そんなのはいやだ、優しくしてくれ、と縋ればいいのに。
こくこくと頷く彼女は投げ出されていた小さな手でぼくのシャツをぎゅっと握り、やはり哀しげにすすり泣くのであった。
そんなきみを愛おしく思うことは間違っているだろうか。いやしかし、ぼくらには正解など元より無い。