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Birds of a feather flock together.


受話器を取ると聞こえてくるのは沈黙のみだった。ぼんやりとそれを聞いていたが、次に何かでかいものが落ちたような鈍い音が聞こえて思わず受話器を耳から離す。それでもオレがフックスイッチに受話器を叩きつけなかったのは通話相手が誰だかわかっていたからだ。もう一度耳に当ててみれば、鼓膜に届く消え入りそうな声。

「…………アバッキオ……」

そこで不穏な電話は不自然に切れた。

というわけでオレは今とてつもなく焦っていた。クソッタレなことにエレベーターが無いこのアパートの階段を駆け上りながら、5階にありやがる部屋を目指す。本人がそこにいようといまいと、ムーディー・ブルースでリプレイすれば少し前に電話をかけてきた彼女の居場所や現在置かれてる状況が辿れるはずだ。今にも泣きそうな、震えたあの声をナマエの唇から出させた人間をオレは絶対にただじゃあおかねぇ。



ベッドの奥。バルコニーに繋がる窓にかかったカーテンの手前。その1メートルも無い隙間の床の上にナマエが転がっていた。目を閉じて唇を少し開き、携帯電話を胸の上に握りしめて。息を乱しながらベッド奥へ回り込んでいたオレは床に膝をつき、彼女のみぞおちの上に手のひらを乗せる。自分の心臓の音がうるさくて中々確認できなかったが、数秒するとそこが上下する動きが手のひらに感じ取れてホッと胸をなでおろした。
そして胸の内にふつふつ沸き起こる、目の前で呑気に眠りこけてる女への怒り。どうやら電話越しに聞いたあの鈍い音はベッドから落っこちた音のようだ。なりふり構わずここまで駆けつけた自分が心底間抜けに思えた。

「テメ〜……ナマエ!起きろ!」

電話を握ってる方の腕を掴むと力任せに引っ張り上げ、ほっそりした身体を無理やり起こす。床に携帯電話が音を立てて落ちる。上体を起こされた彼女は少し唸ってからうっすらと目を開いたが、オレをぼんやり眺めるとまた瞼を下ろしやがった。

「ガキが!寝てんじゃあねぇ!」

「へ…………あ、アバッキオ…」

再び開いた目のぼやついていた焦点が定まり、向けられた顔に思わず固まる。その気の抜けたような、自然に生まれた感じの柔らかな笑顔は、オレの胸の内にじんわりとあたたかいものをもたらした。彼女にそんな表情を向けられるのは初めてのことだったのだ。

しかしまた重力に逆らわずに落ちるまつげを見て我にかえる。オレは彼女の両脇に手を突っ込んで立ち上がり、力の入らない身体をベッドへ引きずりあげた。オレも一緒に乗り上げる。ほっといたらまたいくらでも寝そうだし、手を離せば今にも後ろへ倒れ落ちそうなこいつは赤ん坊か何かなのか?でかい声で名前を呼ぶと、不満げに眉が寄せられた。さっきのかわいい顔はどこへ行ったのか。

「なにぃ〜〜うるさい……ねむ……タスケテ……」

「訳わかんねぇこと言ってっとぶん殴るぞ!テメェ、このオレが何故ここに来たと思ってやがる」

「知らな……ぃ…………」

「寝るな!」

下着にキャミソールしか着ていないこの女は何度か揺さぶっているうちにやっときちんと目を覚まし、オレの顔を見て、不思議そうに瞬きを繰り返した。深くため息をつく。

「あれ、アバッキオ」

「……」

「え、なんでいるの。また怒ってんの?わたしもう冷蔵庫荒らしてないよ……冤罪だ!」

「うるせェ」

「うぐっ」

腕を離せばドサリとベッドへナマエの背中と頭が倒れこむ。こんなにいらねぇだろってくらいに置いてあるクッションが柔らかに彼女を受け止めた。まるで子供の部屋のようだ。
その投げ出された白い四肢に覆いかぶさり、逃げ出さないように両脇腹を挟んでシーツに手をつく。
オレは学んだ。この女とまともに向き合うためにはまず退路を断たなければならないことを。さもなくばこいつはすぐに隙間を見つけて小動物か何かのようにするりと逃げ出してゆく。悪気もなしにやってるというところが最も邪悪である。

「怒んないで〜ごめんなさい……」

「何でオレがキレてんのかわかってねぇだろうが」

「そうだよ、わたしなんにもわかんないんだもん。教えてよ?」

オレの腕をそっと触る彼女が困ったような表情を向ける。以前よりもなんとなく血色の良くなった唇は、最近オレに素直に疑問をぶつけてくるようになった。ナマエは驚くほどにモノを知らない。それはギャングの生き方や知性に関してではなく、人間が生活の中で普通に触れるような重要な要素がどこか欠落しているのだ。おそらくこの外見ばかり整った少女は、文化的に満たされるということを知らない。

なにも答えずに彼女を見下ろしていると、ナマエは顔のそばに垂れてるオレの髪を掴みゆっくりと引き寄せて、甘えるようにキスをしてきた。ここの所たまにこういうことをするようになった。歩いている時にひと時だけ手を握ったり、オレが眠ってると思ってベッドの中で身を寄せて甘えてきたり。

「……電話してきたんだよオメーが」

「電話?」

「死にそうな声でオレの名前を呼んでた」

「え、ほんと?」

表情を綻ばせる様子に見惚れて、また絆される。これをいつでも向けてもらえるような関係になれたらどれだけオレは満たされるのだろうか。オレだって、満たされる感覚なんて本当はもう忘れてしまっていた。そしてそれをどうしてこの欠落ばかりの女が少しずつ思い出させてくれるのか、皆目見当がつかない。

「アバッキオ、わたしが名前を呼んだから来てくれたの?」

「……もうそれでいい」

身体を起こしてベッドへ胡座をかき、頭を抱える。彼女も身を起こしてそばに寄って座ったのが視界の端に見えた。暫くそうしていると聞いて、と彼女が呟くように言った。

「なんかさ、さっき……子供の頃の、クローゼットに閉じ込められた時の夢見たんだよね。すっごく怖かったんだけど、でも夢の中のわたしは携帯電話を持ってたの。それで電話をかければ助かるんだって思って……」

落ち着いた調子で語られるその台詞に、頭を抱えたまんまそちらを見やる。彼女はそんなオレを隣から伺っていた。恐る恐るって感じではなく、まるでしげしげと未知の生き物を観察するかように。ベッドにぺたりと座ったその身は少しも逃げようとはしない。

「わたしはどうしてあなたに電話したのかな?」

オレが教えて欲しいものだ。何故オレに電話したのか、何故最初に目を覚ました時、オレの顔を見て笑ったのか。ぬか喜びなどしたくはなかった。

「……テメーで考えろ。答えがわかったら教えてくれ」

オレは大人だ。確信めいた言葉を彼女が見つける日を、忍耐強く待つことにしよう。それまではこのまま、彼女に美味い食べ物を食わせたり、音楽を聴かせたりして過ごそう。そして愛情ってもんをその身に刻むように、優しく抱くのだ。そんな風に自分に言い聞かせる。

「意地悪だなぁ。わからないから訊いてるのに。いいわよ、わたしはお腹すいたからパン屋へ行ってくる」

ベッドから降りようとするナマエの手を掴むと相変わらず不思議そうな顔でこちらを振り返る。「アバッキオの分も買ってくるよ?」などと吐き出す唇を身を乗り出して塞いだ。実のところ、オレはこの顔が心底かわいいと思っている。
少し荒く口付けたにも関わらず彼女もオレの首を撫でて応えるものだから、キスで終わらせるつもりだったのに衝動的にベッドへと押し倒した。

唇を離した時に、またあの笑顔をオレに向けた彼女を見て思う。一歩ずつじわじわと敵陣に踏み込んでいることは確かであると。
それにしたって、相手が相手だ。この難攻不落の城を陥落できるかどうかはまったくもって不明瞭であるが。