隕石みたいにキャンディーを
※恥パのフーゴ
まだ夢の続きを見ているんだと思った。目を開いたら部屋に彼女がいたからだ。思わず声も出せずに、ベッドに横たわったまま眼前に広がるその夢のような光景を眺めた。彼女はベッドのそば、いつのまにか現れていたぼくのパープル・ヘイズの手を取り、あろうことか、丈の短いタイトなワンピースから伸びるほっそりとした脚でほんのりとステップを踏んで、嫋やかに踊っていたからだ。
あまりに滑稽であった。だってぼくのスタンドが踊れるわけなんかないし、その憎らしい分身は相変わらず前かがみに背中を丸め、口からよだれを垂らして低く醜く唸り続けているだけだ。しかしそんなの御構い無しに、ビートルズの明るい曲をご機嫌に口ずさむ彼女はパープル・ヘイズの手を一方的に握り、その曲に合わせてブランコみたいに揺らしている。曲の愉快なサビが来ると、彼女はハーリキン・チェック柄の腕と、彼女自身の腕で作ったアーチへ自ら潜って、くるりと優雅に回った。そして彼女は身を寄せて、まるで縫われたような醜い口元へ流れるような動作でキスをした。
重たく一歩も足を動かさないスタンドの手をとっているというのに彼女は全てが軽やかだった。
無邪気に笑ってるナマエは心の底からマヌケに見えるのに、まるで氷の上をメロウな音楽に合わせて滑ってるフィギュアスケーターみたいな、窈窕たるその姿に、ろくに服も着ないでベッドの中に横たわるぼくはぼうっと見とれてしまっていた。
彼女がゆっくりと、まるで恋人にするようにパープル・ヘイズの手に指を絡ませる。拳の上のカプセルに彼女のほっそりとした指先が乗った。それを見て漸く夢から覚めたようなぼくは、彼女に向けて声を上げた。
「は、離れろナマエ!」
「あ、おはようフーゴ」
彼女はぼくの声に気がついて踊るのをやめたが、その手を離そうとはしなかった。
「何してるんだ一体……!」
「起こしに来たのよ。でもあなた不機嫌そうな寝顔だったから、彼に遊んでもらってたの」
時計を見て青ざめた。ぼくはなぜ真昼間のこんな時間まで眠っていたんだろうか。そしてナマエはどうしてぼくの家の場所を知っているんだろうか。頭の中に疑問ばかりが浮かんだ。いやしかし、まずやるべきことは一つだ。
ぼくは立ち上がってナマエの側までドカドカと歩み寄った。昨日の夜、あんまり覚えてないがたぶん部屋に入った途端に服を適当に脱いでベッドへ潜り込んだのだろう。だから髪はぼさぼさだし、下に履いてるのはベルトを外して前を緩めた皺だらけのスラックス一枚だが、この際気にしていられない。
ぼくを見上げるナマエの手首を掴み、カプセルに触れている淡く塗られた指先をそっと引き剥がす。両手ともそうしてから、やっと安心できたぼくはパープル・ヘイズを消した。成長したといっても、未だ未知の自分のスタンドである。あそこでそのまま引っ込めてしまうのすらも怖かった。他でもないナマエが一番近くにいるのだから。
「おまえ、どれだけ危険なことしてるかわかってるのか!?」
「パープル・ヘイズはいつも良い子にしてるじゃあないの」
「バカかおまえ……!き、きみは知らないんだ!こいつの恐ろしさを!」
彼女の肩を強く掴んだ。語調を荒げてしまったことを少し悔いて改める。それでも彼女はやんわりと微笑みつつぼくを見上げていた。
「よく眠れた?」
「……」
彼女の動じない態度に怒鳴ることもバカらしくなってくる。なんだか身体の力が抜けたぼくは、ふらりとすぐそばの1人がけのソファーに倒れこむように座った。背もたれには昨夜のぼくが脱ぎ捨てたであろうジャケットが引っかかっているが、その上に構わず寄りかかった。寝すぎてだるいし窓から差し込む日の光は染みるように眩しい。吸血鬼か何かの気分だ。腕で視界を覆って彼女に話しかける。
「どうしてここを知ってるんだ」
「昨日、わたしが車で送ったじゃないの。この部屋の前まで付き添ったよ。あんまりふらふらしてたんだもん」
「……ほんとに?」
「ほんとに。覚えてないの?」
「なら部屋にどうやって入ってきたんだ」
「鍵が開いてた。フーゴ、どれだけ疲れてたの?」
「知らないよ……」
玄関の鍵も閉めずにおめおめと眠りこけていたらしい。なんてザマだ。同僚にだらしない姿を晒してしまったことを恥じた。
少し前に組織に戻ったばかりのぼくはジョジョの元に奔走して日々を過ごしている。その時間はとても生き生きとしていて、充実したものだ。手放しに信じられる神のような存在があるっていうのはとても安らかだと、ぼくは未だ知ったばかりだ。 だから何日も働きづめになったって疲れなんて少しも感じなかった。しかし昨日、片付けたばかりの大仕事の報告を終えると、ジョジョはついにぼくへとこう言った。「そろそろ休んだらどうだい」と。
労いが込められているはずのその言葉にぼくは少し不安を覚えた。霧のように今もぼくを覆う、逃れようのない淡い不安。
そんな考えを遮るかのようにカチ、という音が聞こえた。
「ねぇフーゴ!」
晴れやかな声がぼくを呼び、そして手首を掴まれた。突然真っ暗だった視界は光の下に踊り出し、彼女は自分のスタンドでぼくの両腕を引っ張って椅子から立ち上がらせる。彼女はベッドのそばに置いてあるオーディオに勝手にスイッチを入れたらしい。ぼくが入れっぱなしにしているアルバムのバラードが流れ始めた。
あまりの明るさにくらくらして来る。だって目の前の彼女は明朗とした笑顔をこんなにもだらしなく崩れたぼくに向けるし、おまけにこの部屋にはぼくの好きな曲がかかってやがる。
「あなたは踊れるでしょう?」
「踊れるかよ……」
「テキトーに、好きに音楽に合わせればいいんだよ」
そしてまた彼女はぼくのスタンドにやってたのと同じように、両手をとってゆったりと音楽に合わせてゆるやかにステップを踏み、曲を口ずさみ始めた。彼女もこの曲を知っているみたいだ。
メロディーに酔ったように目を閉じて首を揺らしたり、身を離したり、寄せたり。それらを軽やかなステップと共に。
重たそうにぼくの両腕を持ち上げようとするものだから、ゆったりと上げてやる。すると彼女は高い位置の両手を握ったままにくるりとその身を回らせて、自分の胸の前にぼくの交差した腕を持ってきた。後ろから抱きしめてるみたいなその体勢に心地よく温度を感じ、自然となんとなくその身体を引き寄せる。思わず声を出して笑ってしまった。それを聞くと彼女はまたくるりと反対に回って、再びぼくと手を握りながら向かい合う。ぼくの方は相変わらず足の位置は変わらないが、これだけはパープル・ヘイズとはできなかったダンスだ。
やはり全てはマヌケなのに、全ては流れるようだった。ぼくは思わず微笑む彼女を捕まえるようにまた抱き寄せる。彼女がスタンドにしたのと同じように、柔く唇にキスをしてくれたからだ。それを深く長いものにしようとしたが、不意に唇を離される。
「不思議。どうしてそんなにキスが上手なの?女嫌いのくせに」
「そんなの言ったことないだろ?」
「見てればわかるもの。ほんとはダンスだって上手なんでしょう。ミスタからきいたのよ」
ナマエは長い睫毛を上下させてそんなことを宣う。バラードの中でゆったり抱き合ってキスをしたムードはどこへ消えたのか。これだから近距離パワー型のやつは……。いや、ぼくのパープル・ヘイズも射程距離は短くなったんだった。
「その調子だと約束も忘れてるのね?」
「なに?」
もう一度キスをしてやろうとしたら唇が触れそうな距離で彼女がまた喋り始める。ほんとに自由に生きている女だ。
「昨日の夜、車の中で約束したのよ。あなたから誘ってくれたの」
「……?」
「きみも休みなら明日どこか行こうって」
果たしてそれは本当にぼくが言ったのだろうか?彼女をぼくが誘った?驚いて声が出せなかった。
眉間にしわをよせて、ああだこうだと考えながら視線を泳がせるぼくは情けなく見えたことだろう。
「海に行きたいって言ったら、少し遠くのビーチに行こうってあなたが言ったのよ。だからわたし、水着を持ってきたのに」
そこでナマエは今日初めて眉尻を下げた。ちょっと寂しそうな顔を向ける彼女が親指で指差す後方にはつばの広いキャペリンハットと、その下にある水着やらなんやらが詰め込まれているであろうパンパンになった大きなバーキン。砂まみれになりそうなビーチにバーキンって……どうなんだ?普通なのか?エルメスがそのバッグを作った動機を考えてみたら間違ってないのかもしれないが、それにしても彼女の価値観は常に謎である。
「なんだかマヌケだねわたし。帰る……」
「ちょっと待て!……と、とりあえずシャワー浴びてくるから、くつろいで待っててくれ!」
慌てて肩を掴みそう言うと、彼女はぼくの顔をびっくりしたように見つめて、また明朗たる微笑を向けた。
「うん、のんびり待ってる」
キスで送り出されつつ、ぼくはバスルームへ駆け込んでシャワーを頭からかぶった。そういえばぼくは水着なんて持ってないなと思い出す。でもきっと彼女に話したら、道中買えばいいじゃあないかなんて言うんだろうな。それもいいかもしれない。
慌てて身なりを整えて、キッチン兼居間の方で待ってくれているナマエの元へ戻るとまたびっくりした顔を向けられた。
「スーツで行くの?」
「え?確かに、ビーチじゃあ浮いちゃうか……でもこういう格好しかしないからな」
「じゃあ行きながら買い物すればいっか」
その言いぶりがさっきバスルームで頭に浮かんだ通りで笑ってしまった。なに?と不思議そうな顔をするナマエの荷物を手に持ち、小さな頭に帽子を頭にかぶせてやった。さっき変な踊りをさせられた時みたいに、今度はぼくが彼女の手をとって部屋を出る。広いつばの下から相変わらず不思議そうにこちらを見つめてた彼女を見つめ返して、ぼくも自然に笑いかけることができた。
題名:徒野さま