福音の海へ
※『ドレスコードを解読せよ』の女の子、時系列はそれよりも前
「いやーっ!入ってこないで!」
「全く…なにを今更隠すことがあるんだ」
バシャバシャ音をたててジョルノが熱いお湯の中に入ってきた。広いバスルームに彼の晴れやかなテノールが響く。わたしはと言えば、大きなバスタブの中で端っこに逃げて惨めに彼に背中を向けていた。
「ほら。久しぶりに会えたんだから」
「待ってジョルノ、お願い」
「どうして?早くきみのかわいい眼や唇を見せてください」
真後ろに迫った彼が甘く囁きながら、お腹に腕を回して背中に口付けた。優しい手つきで肌を撫でられて、やんわりと頬に伸びてきた手が顎を掴む。その手の動きに誘われるように、既にペースに乗せられているわたしは彼の方をゆったりと振り向いてしまう。
一月ぶりに会うジョルノはバスルームの蒸気にほんのりとブロンドを濡らし、艶麗な姿を惜しまずわたしに晒していた。最近の彼は気がつけばどんどん男っぽくなっていく。身体つきも、振る舞いも、喋り方も。その妖しげな色香を着々と増しながら。
うっとりとそんな姿を見つめてしまう。わたしの顔を見た彼が眉間にしわを寄せるのも構わずに。
「……成る程。これを隠していたのか」
頬を縦断する生々しい切り傷を彼の指先がなぞると漸くその痛みに我に返った。いつのまにかわたしの身体は横を向いたままバスタブの淵と彼に挟まれて逃げ出せなくなっている。彼が水面を揺らし、わたしの片足を掴むと開かせて自分の両脇に抱え込んでしまう。この体制はよろしくない……と思いつつ申し訳程度に膝を寄せて腕の中で縮こまった。
「ぼくに隠すってことは、何か後ろめたい理由があると見える。言ってごらん。どこの誰がきみにこんなことを?」
目を細めて微笑む彼はとても美しくて怖かった。その表情にはドジを踏んだわたしへの怒りと、この傷の原因を作った人間への怒りが含まれているのであろう。わたしは黙りこくり、どうにかこの腕から抜け出そうと模索した。しかし少しも表情を崩さずにわたしを腕に収める彼には何もかもが無駄に終わる。彼の無言の圧力も、無駄なことはやめておけと言っている。いやしかし、ここで屈してはならない。だってわたしはもっと彼の違う顔が見たいのだ。
濡れた手で彼の編まれてない長い髪を触って、柔くキスをした。ジョルノがお湯の中でわたしの腰を掴む。
「……ガッティーナ、一体なにを企んでいるんだい」
「内緒…絶対教えない」
「きみはぼくに内緒のことばかりじゃあないか」
「そんなことない、あなたはわたしの事を何でもわかってしまってる」
「どうだかね」
さっきみたいな恐ろしい笑顔は彼の顔から消えた。代わりにイタズラを思いついた子供のような、小憎らしい笑顔を浮かべる。ああそう、こういう顔が見たくてわたしは甘えるようにキスをしたのだ。企みは大成功である。
しかしそんなこと思えるのはその瞬間だけであった。背中と膝の裏に手を突っ込まれ、わたしの身体は突然彼に抱き上げられた。バシャリと音をたてて裸の我々はバスタブを後にする。ビショビショに濡れたまま、バスルームから運び出され、タオルも貰えずに天蓋付きのベッドへ放り投げられた。血の気が引く。
「ベッドが濡れちゃう……!いやー!!」
逃げる隙も与えずに彼がわたしに覆いかぶさった。思わずはたいてやろうかと思ったが、読まれていたようにすぐにベッドに両腕を押さえつけられてしまいぼたぼたと彼の髪から水が垂れる。私の身体や髪からも、シーツにじんわり水が染み込むのがわかった。
「お願いジョルノゆるしてっ!このシーツ高級シルクだし、マットレスも高かったのーっ」
「さあ、どうしようかな?ぼくはこのまま久しぶりに会えたきみを抱いてしまいたいんだけど」
「ごめんなさい、怪我の理由、話すから!」
半泣きでそう言うとジョルノは笑ってわたしを抱き起こした。またわたしはバスルームへと連行され、ジョルノに柔らかなタオルで頭やら身体やらを優しく拭かれた。わたしも彼の髪を拭いてあげる。タオルを頭からかぶって、手を伸ばして髪を拭いてあげてるこちらを大人しく見つめる彼はとても可愛い。そう思ってたらジョルノの手がわたしの腕を掴み、もういいよという意味合いを込めて唇にキスをしてくれた。
「それで。どこの誰がこんなことを?」
逃げられないようにわたしの肩を抱き、バスルームから出ながら彼がそう尋ねた。宛かも警察官と容疑者である。寝室のソファーに座らされて、いつもわたしが部屋に用意してる専用のバスローブを着たジョルノが隣に悠然たる動作で座る。無言の圧力が恐ろしい。こんなの尋問だ!と叫び今すぐ彼を殴って逃げ出したかったが、そんなことは優しく手を握る彼にできるわけがなかった。じっとりと彼を見つめながら様子をうかがう。
「…怒らない?」
「内容によるな」
「……昨日、飲み屋で酔っ払って転んだら…床に割れた瓶のガラスがあって…」
「……」
ちょっと口を開けて呆れた顔をした彼がわたしを黙ってみつめる。あ、この顔かわいいなぁなんて呑気に思っていたら頬を強くつねられた。痛い!と叫んだ瞬間にはもう彼は手を離していた。ズキズキと先ほどよりも痛む傷口に触ってみると、さっきまであったはずの頬を縦断する硬くなった皮膚の感触が消えている。すっかりスタンドで治されてしまったらしい。痛みはいつもの倍にされた気がするが。
「ちょっと!酷い!」
「ぼくにしてみたらきみの方がよっぽと酷い。もうそんなの勘弁してくださいよ」
「わたしが傷だらけになったらそばに置いてくれないの?」
「誰がそんなことを……。意味もない怪我を負うなって言いたいんだ。大事な女の子を傷つけられたくないって思うのは当然だろう」
彼の言い振りに動きを止めて目を見張る。言葉を失うわたしに、彼は眉を潜めている。それは思いのほか子供っぽい顔だった。
「きみは何もわかってない。ぼくがどれだけきみのことを考えているのか」
ムッとした顔で彼がそう言う。ああそうか、拗ねているんだ彼は。キスをされながら気がついた。
ちょっと怒ったような荒々しいキスは、じんわりとわたしの心を底の方から温めた。彼の感情の揺れを嬉しく思う。
「ジョルノ、とっても好きだよ。あなたのこと」
唇が離れてすぐに発したその言葉に、彼は嬉しそうに微笑んだ。あの怖い微笑でも、怒った顔でもなく、本当に柔らかく自然に。バスローブを脱がされながらその顔を見つめてうっとりとしてしまう。しかし彼の一言によって現実に引き摺り戻された。
「一ヶ月禁酒。これはボスからの命令です」
「……うそでしょ!?ふざけんな!嫌い!死ね!」
いつもわたしがムードを壊すと怒るのは彼なのに、それくらいに彼はこのわたしの傷を咎めたいらしい。彼の胸や肩を殴って抗議する。
「本当にきみって人は……ナマエ」
ソファーに倒されつつも禁酒への反対運動のため暴れたが、呆れた顔で優しく名前を呼ばれる。子供を宥めるみたいに濡れたままの髪を撫でられた。
「バカ!絶対酒飲んでやる!」
「お願いだから大人しくして。この一月、きみの元を離れて本当に寂しかったんだ。ナマエ、今夜はきみを気がすむまで味わいたい」
「…………ジョルノ」
すっかり前を開けられてしまったバスローブから彼の手が、唇が、わたしの肌を優しく撫でる。いつのまにかまた彼のペースに持っていかれてしまった。
結局わたしは一月の禁酒令を甘んじて受け入れることとなってしまったが、まだ諦めてはならない。この甘い時間が終わらぬうちに、二人でいる時はお酒飲んでもいいでしょう?とお願いしてみなければ。
わたしは元々酒好きだが、実際のところこの一ヶ月は寂しくて酒を飲んでいた。だから帰ってきてくれた今、ジョルノと二人でいる時に楽しめればそれでいい。二人で酔った彼はいつもより単純な感情をわたしに見せてくれる。それが早く見たかった。
わたしにしか見せないで、なんて言わないから、どうかもっと、わたしとそう年齢が変わらない彼に伸びやかに日々を過ごして欲しいと願う。だってあなたが主役なのよ、あなたの人生でも、たぶん、不本意ながらわたしの人生でも。ねぇジョルノ。
題名:徒野さま