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「#お仕置き」のBL小説を読む
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- ナノ -
The stomach carries the feet.


いやにお腹が空いていた。家の冷蔵庫には何にも入っていないなぁと考えながら階段を登る。閉店間際のパン屋で帰りがけに買った残り物のパニーノふたつが頼みの綱であった。ルッコラとプロシュートと、あと何やかんやが挟まってるらしい。どうして今日はこんなにお腹が空いているのだろう。いつも食事って最低限生きていられればどうでもいいと思ってたし、気がつけば一日なにも食べてないなってことが頻繁にあるようなわたしはこんなに空腹がつらいこともなかったのに。

バッグを持ってパンの入った紙袋を小脇に抱えて、鍵を差し込んで見るとなぜかいつもの方に回らない。嫌な予感を抱きつつも鍵を抜いて恐る恐る自分の家のアパートのドアを開けると、そこには背の高い男が仁王立ちしていた。反射的に逃げようとしたが、ドアの隙間から出てきた長い腕がわたしの腕をがしりと掴んで家の中に引っ張り込んだ。反対の腕にシャツの襟を掴み挙げられ、彼の妙に色っぽい端正な顔がすぐそばにくる。バッグも鍵もパンの入った紙袋も玄関の床に落ちてしまった。

「うぐ、たすけて…」

「テメェ〜〜ナマエ……オレんちの冷蔵庫空にして逃げやがったな」

今朝わたしが行なった悪事は全てムーディーブルースによって暴かれているようだった。そして困ったことにアバッキオは結構キレてる。仕方ないじゃあないか、衝動的な行動だったのだから。そう思いつつも情けなく彼に赦しをこう。

「これあげる、から、」

胸ぐらを掴まれたまま床から爪先が浮きそうになってるわたしは必死で多分その辺に落ちてる紙袋を指差す。

「あそこのパン屋じゃあねぇか」

「おいしいって、あなたが教えてくれたとこ」

「フン、それがどーした」

子供じみたわたしの愚策はあくまで愚策のままで終わったようだった。愚かにも程があることはわかっていたさ。わたしは昔っから頭がよくない。だから世の中の大半のことはわたしにとって不明瞭だ。
苦しくて閉じていた目を開けると、いっつも険しい顔をしてる彼がより一層怖い顔をしていた。昨日の晩には優しく笑ったのになぁなんて思いながら気道を狭くされて息を荒げる。そしてどういうわけか、そういう状態のわたしにキスをするこの男。より苦しめたいのだろうか。

昨晩彼と寝て、今朝目が覚めたらすごくお腹が空いていた。彼のキッチンの冷蔵庫を開けてみたら美味しそうなフルーツやら野菜やらチーズやら、白ワインをはじめとする飲み物やらがたっぷり入っていた。目にした瞬間に既に何かに取り憑かれてしまったわたしは、冷蔵庫の前の冷たい床に座り込んでそれらを胃の中に詰め込んだ。アバッキオが選んだのか、それともどこかの綺麗な女の子が彼に持ってくるのか、とにかくそれらはとっても美味しくてわたしは身も心も満足してしまった。

だから今日1日をわたしは幸せな気分で過ごした。そしてお腹を空かせて帰ってきたらこれだ。身から出た錆すぎて彼にスタンド攻撃をすることすら躊躇われた。アバッキオは舌を突っ込んで乱暴にキスをしてくるものだから、さすがにそろそろわたしは死にそうです、という意を込めて彼の肩に手を置く。それを察した彼によって漸く釈放されたわたしは床に崩れ落ちる前に彼に腰を捕まえられた。

「ごめんなさい…食べ物全部弁償するからぁー」

「んなモンはどーでもいいんだよ」

思わず怪訝な顔で彼を見上げる。なぜ今長い腕に抱かれているかも不明瞭であった。胸にぐったりしていたが、見上げてみるとまたキスをされる。

「昨日オレが言ったことは無視か?」

「……なんかゆってた?」

「……」

怒っているというよりも心の底から呆れたというような顔をされた。仕事を共にする上で顔を合わせるたびに向けられているその表情はむしろいつも通りで安心する。

どうやら彼はわたしが冷蔵庫を空にしたことを怒っているわけではないらしい。あの値が張る白だってわたしは飲み干してしまったというのに。じゃあ彼の言葉から考えるとすれば、わたしが黙って逃げたことそのものに怒っているというのだろうか。なぜだ?それって男の人には好都合じゃあないのだろうか。彼としては昨日は酔ってなんとなく近くにいた女となんとなく寝てしまっただけのはずだ。

アバッキオはわたしから手を離した。おかげでよろけて転びそうになったが、そんなの気にせずに彼はパニーノの入った紙袋を拾ってわたしに背を向けた。ずけずけと人の家に入り、リビングのソファに座った。そしてわたしを遠くから手招く。なにも考えずに廊下を進んで従った。

「やっぱりお腹すいて怒ってるんじゃん…」

「もうそういうことで良い。これは長期戦だ」

彼は何かの戦いに備えてパニーノを胃の中に収めるつもりらしい。わたしはそれをぼんやりソファーの横に立ってみていたが、隣を指さされて座らされる。ぺこぺこなわたしに彼は紙袋を差し出した。いやこれ、わたしが買ってきたんだけど。勿論そんなことを言う権利は彼の家で悪事を働いたわたしにはないので、お礼を言って受け取った。
こちらが三分の一くらいまで食べている間にアバッキオの方は既に完食しており、わたしが食べてる様をじっと側で見ていた。なんか落ち着かない。

「…食べづらいわ」

「気にすんなよ」

そう言えば彼は既にムーディーブルースで冷蔵庫の中のものを食べ散らかしているわたしを見ているはずだ。欲望に飲み込まれたあの時ほど今は酷くないだろうから、彼の言葉通り気にせず食べてしまおう。
全部食べ終わるとそこそこお腹は満たされた。美味しいなこのパニーノは。きっと彼の舌は世の中の色々な美味しいものを知っているのだろう。でもまだ物足りない。

「美味かったろ」

「うん。あなたの冷蔵庫に入ってたのも全部美味しかった」

「……」

「痛い!ひどい殴った!褒めたのに!」

「殴ってねぇよ。頭はたいただけだ」

やっぱり根に持ってるじゃあねえか。ジンジンする頭をさすりながら、そう言えば昨日、彼はなんて言ってたんだろうと考える。お互い殆ど喋らないセックスだったけど、終わってからわたしがウトウトしてた時に彼がしつこいくらいキスしてたのは覚えてる。酔ってるのかなぁ、この人のキスは気持ちいいなぁってくらいにしか考えてなかった。思い返すとドキドキしてくるくらいに、眠たくてうっとりとしていた、あの時間は良かったな。


これは単なる遊びじゃあねぇからな。

覚えてるのはその言葉くらいだ。よくわからないからあんまり気に留めてなかった。これはお前には分からないような、大人の高尚な遊びなんだぜって意味だろうか?わたしのようなフラフラしてるクソガキには考えも及ばない。
まあいいか。まだお腹が空いてるから、ピザでもとって一緒に食べようかな。この人といるせいでわたしはこんなにもお腹がすくのかなぁ、とぼんやり考えてたら抱き寄せられた。やはり全くもって、世の中の大半のことはわたしにとって不明瞭である。