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「#総受け」のBL小説を読む
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窓から眺めるハイウェイ


小さな子猫を膝に乗せてぼんやりとしていた。膝の上で、その獣が少しずつ体温を失っていくのをわたしはじっとこの身に感じたかった。帰り道に血を流して転がっているのを見かけた時にはもうすでにそこに命はなかった。でも、その時にはまだ小さな体は柔らかくて温かかったのだ。
わたしもこのようにいつか冷たくどこか誰も気にも留めないような場所に転がるんだろうか。そしてそれは一体今の状態となにが違うというのだろうか。何かにずるずると引き摺られて、そんな日々を過ごしているわたしはこの膝に横たわる猫よりもずっと、もう既に冷たいんじゃあなかろうか。

突然しなやかな手のひらが膝に伸ばされたのはもう日が昇りそうに空が白み始めた頃で、顔を上げたら目の前には美しい青年がいた。目鼻立ちが彫刻のように整っている彼は金色の髪をひんやりとした朝の風に揺らし、まつげを下に向けながらじっとその猫を見つめていた。天使が現れたのかもしれないだなんて、わたしはその時本当にそう思ったのだ。

広場の壊れた噴水の淵に座ってるわたしの目の前に彼は片方の膝をついていた。そんな彼の両手に重なるように、無機質に思える質感の手が突然現れた。大きさや形はまるっきり彼のものと同じその腕の先をたどってみると、彼の身体に重なるようにもう一人の誰かが見える。空のわずかな光を反射してその身体を輝かせる誰かがわたしを見下ろしていた。わたしの視線の動きに気がついた青年はなにかを見定めるみたいにじっとわたしを見つめ、そしてまた子猫へと視線を戻す。誰かもいっしょにそれに倣う。

「もう死んでいるね」

穏やかな口調で淡々と彼がそう言う。言葉を丁寧に紡ぐその声はあまり低すぎず、まるで昔から知っているかのように馴染みよく耳に届いた。その二種類の手のひらは小さな獣をすっかり包んでしまい、開かれた次の瞬間にはわたしの手のひらには温かな黄色い小鳥がいた。その鳥は不思議そうにわたしと彼を交互に見上げると、すぐに翼を広げて飛び立った。白んだ空は先ほどよりも明るく、東の彼方に黄色い小鳥は消えた。

思わず立ち上がってそれを見届けて、また彼へと視線を投げた。彼も石畳に立ち、わたしを見下ろしている。天使などではない。汚い街の教会に捨てられて規律正しい修道女として育ったわたしの前にはついに現れなかったのに、こんな風にくだらなくその日暮らしをしているわたしの前にようやく神が姿を示したようであった。

彼はわたしがアパートへ帰る時も隣にいた。何をしてるのってきかれたから、咄嗟に大学生なのと答える。そうかいと言いながらわたしの部屋の棚から取り出された本の背表紙を彼の指先が撫でる。それはわたしの一番好きな本だった。

昼頃に目が覚めてもまだ彼はベッドの中にいた。今朝のあの出来事は夢ではなかったらしい。おはようとわたしに声をかけて、手のひらが髪の毛や頬をゆったりと柔く撫でる。明け方に死んだ猫を小鳥に変えたのと同じ手のひらが。
ジョルノという名前だと、この部屋に入るときに教えてくれた。せっかく教えてもらったところで美しいその名前をわたしが呼ぶべきではないと思った。しかし彼は名前を尋ねられたわたしが咄嗟に答えてしまった、かつて教会で貰った名前を、ベッドの中でやさしく何度も呼んだ。

わたしはずっと嘘の名前を使って生きてきたというのに、初めて、自分の罪を、この身に深々と感じた。

「今日は学校へ行くの?」

後ろから投げかけられた何気ない言葉がわたしをじりじりと焼いた。背中に冷や汗を感じる。暫く黙ったのちに、わたしはなんとか喉の奥から言葉を絞り出す。ほとんど掠れていた。

「ごめんなさい、大学生だなんて、嘘なの。……わたしは……本当は、」

こんなに汚い身体を、嘘をついて神へ差し出してしまった。この名前はやっぱりもう二度と使うべきではない。わたしには名前なんてないのだ。この十数年間、誰もそんなものをくれなかったのだから。
隠れるように逃げるように顔を覆っていたわたしの手首を彼の手のひらが掴む。顔から引き剥がされて、恐る恐る瞳を上に向けると彼は柔らかくただ微笑んでいた。そこには侮蔑も憐憫の情も感じられない。ただ温かさだけを感じた。

「この部屋の本を、きみは全て読んでしまっているんだろう?」

テーブルやベッドの横に積んである本だとか、ぎっちり詰まった壁沿いに並ぶ本棚を彼がぐるりと見渡す。

「たとえきみがどんな風に生きていても、それは変わらない」

わたしは本の中にいると安心できた。この本たちだけはわたしがこの世にいることを許してくれる気がしたのだ。彼はそういう本たちのように、わたしを一人の人間として捉えて話しかける。まるで歴史ある物語達が何かを問いかけたり、許してくれる時みたいに。こんなの、初めてのことだったのだ。

「…あなたは誰?」

なにも着てないわたしの胸の真ん中に、猫を包んだ時とおなじように優しく手のひらが当てがわれた。違う、神じゃない。彼は一人の男の子だ。ジョルノは簡素なベッドの上、わたしの一番好きな本を膝に乗せていた。またそれの、今度は表紙を指先がなぞる。

「借りていってもいいですか?これを読んだことがないんだ。返す時には、ぼくの好きな本を持って来るから」

ジョルノはベッドに座るわたしへ確かにそう言った。彼の手がわたしの手を握ると、明け方に見た東の空へと小鳥が消える情景が頭に浮かび、ゆるやかにぼやけていった。

「その本…楽しみにしててもいいの?」

「もちろん。きみは読んだことがあるでしょうけど、きっと好きなものだよ」

自信を持って彼はそう答えて、ナマエ、と丁寧に呼んだ。わたしは初めて、それが自分の本当の名前だと思うことができた。

題名:JUDY AND MARY『POWER OF LOVE』歌詞より