灰の中の楽土
始末した標的に車をぶっ壊されて足を失ったおれたちは、寒い田舎の海岸沿いを何キロも歩いて小さな宿を見つけた。個人経営してるような古臭いものであったが、激闘を終えて疲労困憊の上に彼女の方は震えが止まらないほど身体が冷え切っていたため、おれたちは逃げ込むようにそこに入った。そして案内された部屋は狭いダブルベッドが置かれた海が望める小さな部屋一室。別の部屋もあるだろと店主に尋ねてみたがあいにく他は埋まっているとのことだった。三つくらいしか部屋がないこのド田舎の宿にはこんな時期にこんな場所訪れる変わった客たちがおれたちの他にもいるらしい。
「ごめん、わたし先にお風呂使う」
「おーおー入ってこい」
両手で腕をさすりながらバスルームへと駆け込む背中を見届けて、テーブルへルームキーを放るとおれはベッドへ座った。すぐに蛇口をひねり、勢いよくシャワーからお湯が出る音が聞こえ始める。
部屋の白い壁には貝殻や日焼けした木のフレームのでかい写真などが飾られていた。夏のバカンスに夫婦やカップルが来るようなところなんだろうか。おれたちも傍目にはそう見えるだろうか。さっきこの部屋しかないとわかった時どっちがベッドを使うかで一悶着あったが、ただの同僚なんだから同じベッドでもなんの問題はないという結論に至った。そう言い放ったのは彼女の方だ。
交代しておれがバスルームを使いさっさと出てきたころ、彼女は髪を乾かしたりなんだりと女が風呂上がりにする七面倒くせえことを全て終えていた。ドレッサーの椅子に座ったまま窓の外の冬の海をみている後ろ姿が見える。緩く着たバスルームから覗く頸へ向かってなにしてんだよと尋ねても無視される。他のメンバーに比べたら比較的自己主張の激しくない女だが、譲れないことにははっきりと異議を唱えるような面もあった。たまに自分の世界に閉じこもってるような瞬間があり、そういうときのナマエの横顔はおもしろいと感じた。
とにかくおれはもう疲れたので薄暗くなってる部屋の中、ベッドへ潜り込んで仰向けに眠ることにした。彼女が使うであろう左端は空けといてやる。任務以外でこんなに長く二人でいたのは初めてのことだが、不思議と居心地が悪くない。
おれが寝転ぶベッドに平気な顔してナマエは入ってきた。枕を整えて、薄いかけ布団をかぶり、うつ伏せにおれの隣に横になった。つるりとした足がおれの脚に触れる。こっちを向いた顔はすでにまつ毛が伏せられており、あと数分も経たぬうちに眠ってしまいそうに思えた。布団の中は二人の人間の体温ですぐに暖かくなった。それでもこの部屋はまだ寒いが。
彼女から目を離し、手を伸ばしてベッド側の間接照明を消すと持ち上げた両手を枕にして天井を眺めた。まさかこんなボロい宿の狭いベッドで同僚の女と二人して眠ることになるとは思っても見なかった。この女の好きな音楽だとか好きな食べ物だとかをおれは一切知らない。ふと恋人はいるんだろうかと考えた。しかしそんなことは今はどうでもいい。疲れたのだ今日は。
「…ギアッチョ、ねむれないの?」
暫くすると、暗闇の中から声が聞こえる。横を見やれば相変わらず長い睫毛を下に向けて目を閉じたままの彼女の顔が薄ぼんやりと見える。あんだけ派手に暴れた後だからか、イレギュラーなこの状況のせいか、なんとなく意識が冴えてうまく寝付けないでいた。なぜ目を閉じて眠っていたこいつにそれがわかるんだろうか。
「きっと寒いんだよ」
眠そうな声でそう言ったナマエが衣擦れの音を立てながらゆったりとオレの左半身にくっついてきた。身体に柔らかな胸やら太ももがあたり、今も触れる脚と同じくすべすべした腕がおれのなにも着てない胸に乗せられる。こっちは下手に腕を上げていたものだから、思わず左腕を下ろして彼女の背中に触れた。その腕を枕みたいにしてまた彼女はじっと動かなくなる。薄い布越しに彼女の背中の体温を感じる。こいつ生きてたんだとなんとなく思った。
「大丈夫、あったかくなるよ。そしたら眠れる」
「…そうだな」
性的な衝動をもちろん感じたが、それ以上にまたおれの腕の上で寝息を立て始めたこいつと肌を合わせてベッドの中にいることに言い知れぬ心地よさを覚えた。
そんな状態のまま、目を閉じてみればすぐに微睡みへ沈むように落ちていく。おれたちは朝までぐっすりと、暖房の効かない部屋のボロいベッドで肌をくっつけて眠った。明日起きたらまたおれたちは変わらずいつも通りだろう。それがたぶん一番いい。少し残念にも思えるが。
題名:徒野さま