放蕩娘は電話ボックスを探す
※生存花京院が杜王町にいる
何かに依存しがちな性格だが、その依存先をまた他の何かに移すことは得意だった。いつだか飲み屋にいた胡散臭いジジイがたれていた説教を思い出す。依存先を増やすことが自立なのだから、若い君はいろいろな人を頼って生きるべきなんだぜと。そのジジイの理論に則るのならば、わたしは自立した人間ということになる。
そんなわけあってたまるか。
例えばわたしはポケットやバッグにいつもいれてるタバコの銘柄はなんでもよかった。何ミリでもソフトでもハードでもメンソールでもそこに特にこだわりはない。口に咥えて何かしらの煙を肺に吸い込めればそれでいいのだ。毎日銘柄を変えて後に捨てていく。わたしが依存しているのはタバコを常に持ってるという不思議な安心感で、手元のものが切れてしまうととても不安に駆られた。だから簡単で手近なもので済ませる。そしてそれはわたしの男性遍歴とも重なるものであった。
「若いのに難儀な人生観だなぁ」
隣を歩く花京院典明がそう言う。あなただってまだ20代だろう。大学をサボって道端で一服してたら偶然出会った彼はお腹が空いたから食事に行かないかとスマートにわたしを誘った。そこに深い意味合いは見られず、たまたま見つけた顔を知ってる人間をなんとなーく誘ったと言う感じだった。
なんのタバコを吸ってるのって聞かれたから、あんまり決めてないんですよって答えて、そこから依存についての話になった。勿論わたしの異性に関した悪癖については話してはいないが、彼はこんなどうでもいい話題についてちゃんと考えて言葉を返してくれていた。
「そういえば承太郎も以前は喫煙していたよ。今は子供が産まれたからやめたけどね」
「へぇ。あの人は何かに依存したりはしなさそうですね。決めたらすぱっとやめてしまいそうだ」
「どうかな。依存先が変わったんじゃあないかな」
なるほど娘に。あの寡黙な男の依存先も、それを当たり前のように話す彼の横顔も、なんとも素敵なものだと思った。
わたしたちはそれから黙って彼の言うレストランまで歩いた。てっきりトラサルディーに行くのかと思っていたが、たどり着いたのは軽い気構えで入れそうな雰囲気のフレンチの店であった。中には様々な年齢層の人間がいたが、どの組み合わせも男女ばかりである。
案内された席に座ると彼はたくさん話題をふってきた。それぞれの話題はなんてことはないのに彼の考え方やそれに関する語り口調はとても魅力的で、知らず識らずのうちに夢中になりわたしからも多く話題をふるようになっていた。
「きみってもっと無口かと思ってたよ」
「よく話してくれる人といれば話しますよ。つまりあなたがわたしに話しかけなかったんです」
「ああそうか。きみは人に合わせるのがうまいね」
話しかけなかったことについて否定はなかった。そうなのだ、わたしは印象的な彼のことをよく覚えていたけれど、彼はわたしが駅周辺を一人でフラフラしてたり男と歩いている時に出会っても軽い挨拶くらいしかしてこなかった。一度仗助くんたちと一緒に食事をしたが、彼との個人的な会話は殆どなかった。勝手にもわたしはそれをとても寂しく思ったから、あんまり近づかないようにしていた。そしてそれが杞憂だったとは、今も思っていない。
コース料理をゆっくり食べたらお腹いっぱいになった。雰囲気もゆったりしてて料理も美味しいお店だけど、わたしはきっと今後ここに一人で来ることも、その辺の男とも来ることはないだろ。彼が教えてくれたのだから、彼とだけ来よう。つまり今日が最初で最後だ。
「…あなたはどうして承太郎さんやジョースターさんたちを見送って、滞在を伸ばしたの?」
気になっていたことを尋ねてみた。ワイングラスをテーブルに置くと彼は頬杖をついて、少しだけ笑ってわたしの顔を見つめる。両の目を縦に横断するこの傷跡がわたしはなんとなく好きだ。彼の過去を匂わせるそれは、彼をより魅力的に見せた。質問への返答は無かった。
あれ、私は今どうしてタバコが吸いたくないんだろう。
「…きみの話すその依存ってやつだけど、僕の場合それは信念だとか、譲れないものって考えるかな」
「それじゃあ、あなたの信念や、譲れないものって何?」
「尊敬に値する人達だよ。僕は結構とっつきやすそうに見えるとよく言われるが、そんなことはない。尊敬してる人間の他はどうでもいいんだ」
「尊敬…」
彼の依存、もしくは信念と譲れないものは限定的でとても一貫性があった。残酷でいてとても温か。揺るがないものは眩しい。
対してわたしは少し口が寂しくなればその辺で適当なタバコを手に入れて、その一つ一つについて深く考えることもなく愛着も持たず。わたしの依存は信念とも、譲れないものともちがった。わたしの依存先はたくさんあるが、薄くてぼやぼやしてて、全てが頼りないものだった。
「突然黙ってどうしたんだい」
「あなたみたいな人に好かれた人間はとても幸福だなと思ったの」
「じゃあきみも幸福だ。良かったじゃあないか」
何言ってんだって思って、思わずムッとした顔をしてしまった。からかわれるのは好きじゃない。彼はそう言うわたしの顔がおかしかったのか知らないが珍しく歯を見せて笑った。息を飲んで見つめる。その笑顔の美しさたるや。
店を出て少し遠回りをして歩いた。なんとなく、二人して足取りがそうなってしまったのだ。そして別れ際に、驚いたことに彼は突然わたしの右手を握った。この優男は気まぐれにも程があるんじゃあないだろうか。
「実は明日の朝アメリカに帰るんだ。だからさっきはきみを探しててね……。次に来た時も、食事に誘っていいかい?」
その言葉には大いにびっくりしたけれど、もちろん、と小さくなってしまった声で反射的に返す。あまりに驚いた顔をしてしまったことを恥ずかしく思う。なぜこの人といるとわたしは考えていることをすぐ顔に出してしまうんだろうか。花京院典明は握っていた手を少し離すと今度はわたしの手のひらに何かを包ませた。
じゃあねと、まるでまたすぐに会うような軽い調子で言い残した彼が曲がり角に消えた。身軽な男だ。一人立ち尽くし、握らされた手を開いてみると、そこには板状のガムが一枚。包装紙にはなにやら番号が書かれていた。ガム…。と頭の中で呟く。彼はわたしがどうしてタバコを吸ってるのか知ってるらしい。
わたしはこの番号に電話をかけるだろうか。帰り道にその辛いガムを噛みながら考えた。国際電話になってしまうから、これに関しては慎重に考えなければならない。だけど、そうだな。もしもタバコをやめられたら、かけてみようかな。