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「#溺愛」のBL小説を読む
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ミルク・マンホール


酒瓶を片手に持つ彼女の後ろ姿を見かけたのは、女が一人で出歩けるほど治安のいい地区ではない夜の街だった。案の定、道行くたびにその後姿は人相の悪い男たちに絡まれ、路地裏に引っ張り込まれそうになったが、彼女はそんな輩を一人残らず拳で返り討ちにした。スタンドを使ってないってのに、華奢な身体のどこからそんなパワーが生まれるのだろうか。そしてそんな彼女の後をつけているぼくは一体何がしたいんだろうか。

彼女はふらふらとした足取りであったが、ある路地裏へと迷わず曲がりすぐに消えた。薄暗い路地を覗き込むと壁には一つの丸いネオン看板が掛けられていた。文字の所々が消えて読みにくいが、バーのようだ。途中に放られている酒瓶を避けつつ看板の下の穴みたいな階段を降りてみれば、すぐにドアがあり、ぼくはそれを迷わず開いた。

カウンターに立つ彼女の後姿が薄暗い店の奥に見えた。ご多聞に漏れず、彼女の横には熱心に話しかけて剥き出しの白い肩に腕を回す男の姿。また彼女の拳が密かに握られるのが見えた。しかしその男の肩を掴み、足を払って背中から転ばせたのはぼくの方だった。

「あれ、フーゴ」

「ボナセーラ、ナマエ。隣にいいかい」

「もちろん。」

起き上がってきた男の肩を蹴ってやれば再びバーの床にすっ転ぶ。そんなの気にしてないって感じで彼女はカウンターに置かれたグラスに入ってるウイスキーをごくりと飲み干した。ストレートだった。ああ美味しい、幸せそうに笑う顔は珍しくほんのりと赤く染まっていた。ここにくるまでに散々飲み歩いていたのだろうし、階段に捨てられていた度数の高い酒瓶すらも空にしていたくせに未だほろ酔ってのは、なんとも末恐ろしい女だ。
彼女はいつだってチームの僕らや街の一般市民には寛容でよく穏やかな笑顔を見せた。しかしぼくたち仲間が関わっていない相手や場所では驚くほど冷徹で暴力的で、平然としたまま拷問ができるミスタやぼくの突発的な破壊衝動ともまたちがう、明らかな線引きをした二重性をもっていた。

「あなたもここによく来るの?」

「いや、初めてだな。僕らの管轄外ですし」

「ここはいいよ、だれにでも居場所があるから」

彼女は笑ってすぐに別の話題をふってきたが、居場所って言葉が強くぼくの頭に残った。

しばらく二人で酒を飲んで、なんとなく足取りはぼくの家へ向かった。いいワインがあるから飲み直そうかなんて、くだらない見え透いた誘い文句に彼女は乗った。アパートの二階、広くもないが狭くもないこの部屋がぼくはまあ気に入っている。鍵を開けてドアを開けると彼女は自分から先に部屋に入った。続いて中に入り、後ろ手でドアを閉めながら片手で捕まえた彼女にキスをする。さっき散々男を殴ったせいで赤くなり少し皮の剥けた拳はぼくの手のひらに柔く握られた。





朝になった。香ばしい香りに誘われて気だるい体を起こしてみると寝室のドアは開いたままになっていて、キッチンにいる彼女の後ろ姿が見えた。ぼくがたまに寝巻きにしてるシルクのシャツを着ている。彼女が昨日着てた黒いワンピースはまだ下着などと共にベッドの下に落ちていた。既に皺になっているだろうが、申し訳程度に拾って椅子にかけておいた。

「やぁおはよう」

欠伸を漏らしつつ後ろから自分の持ち物であるシャツに触れる。柔らかい腰に手を添えて、肩越しに手元を覗き込んだ。いい香りが部屋中に漂っている。

「コーヒー?」

「ごめん、勝手に使った」

「別にいいよ、なに使ったって。僕のも淹れてくれたんですか?」

「あなたに淹れたのよ」

コーヒーサーバーからドリッパーを外して、注いだマグカップをこちらへ手渡す彼女はぼくがブラックが好きだと知っているらしい。彼女は自分のものには砂糖を何杯かとミルクをたっぷり入れて飲んだ。白い手の甲の関節部分の傷はもうかさぶたになりかけていた。昨晩はストレートのウィスキーだとかラム酒ばかりを飲んでいたその舌は、朝には甘いカフェオレがお好みのようで、キスをすると案の定甘かった。昨日の酒の味ではないことを少し残念に思う。

キッチンに立ったまま、すぐそばでゆっくりとカフェオレを飲む彼女を見下ろす。いつのまにか化粧を落としてるけど、バスルームに誰かが忘れていった化粧落としでも使ったのかな。初めて見る素顔は幼さがあったが可愛いと思った。一体あの汚い路地裏のネズミが走り回ってるような地下室のどこに、この美しく生まれた少女の居場所があるんだろうか。

「きみは…暫くここにいたら?」

「…?」

「僕は構わないんだ。きみが自分のアパートに帰りたくないのなら、ここに帰って来たらいい」

「帰りたくないなんて、言ってないわ」

「でもあのバーに居場所を求めてる」

柔く笑った顔を僕に向けたまま、彼女はまだ中身が残ってるマグカップをキッチンに置いた。だから僕と寝たんだろ、ナマエ。そう言おうと思ったがやめた。言っても彼女は笑顔を崩さなかったろうけど。
僕は熱いコーヒーを飲み干してから、シンクに置く。

「…たまに来るよ。気が向いたら」

「ええ。ここはあのバーよりは綺麗だろ?」

「そうね、この部屋はかなり清潔だ」

清潔って言い方はなんだか面白くて笑ってしまう。僕の髪と同じ匂いがする髪に指を通して、甘い舌を求めて深く長いキスをした。あの夜の街を彷徨う後ろ姿に強く惹かれ、そして今も尚ぼくの胸の内にあるこの妙な気持ちはなんだろうか。考えてみてもうまく言葉にできそうになかった。

題名:徒野さま