sick of being lonely
※5部終了から何年後かのイメージ
やっばいやってしまった。朝一に思った。いや、ベッドのそばに置いてある時計はもう昼前だった。
窓から差し込む光、ベッドサイドに置かれた銃、飲みかけの炭酸水。隣で横たわる裸の男はすやすやと気持ち良さそうに寝息をたてている。頭痛がひどくてまだ寝足りなかったけど、化粧をしたままだったのが気持ち悪くてバスルームを勝手に使わせてもらうことにした。よく考えたら男の家に化粧落としなんてあるわけがないから結局髪と体しか洗えなかったけれども。一か八かほとんど何もないキッチンを漁ってみたら奇跡的に(ほんとにどういうわけか!)オーガニックのオリーブオイルを発見したので、ひとまずそれを使って化粧を落とした。潤いだけはバッチリだ。
パーティ用に買ったサンローランのクラッチバッグを漁ってみてもろくな化粧品がない。まあ、いいか…もう、どうでもいいか…。昨晩から脱ぎ散らかされたままのスーツやドレスの上にまたバッグを放って、古い冷蔵庫から頂戴したペリエを開けて飲む。これ飲んだら出ていこう。嫌だなどうしてわたしはデザイン重視のあんな高いヒール履いてきたんだろう、浮腫んだ足であれを履いて帰るなんて気が滅入る。彼は覚えているだろうか。全部忘れていてほしい。わたしは醜態を晒しすぎたから。カーテンの隙間から窓の外を覗きながらそんなことを考えていた。
「おれにもくれよ」
後ろから聞こえた声に振り返るとまだ眠そうな顔が近くにあった。わたしが何かを言う前にキスをされ、そして手のひらから瓶が持っていかれる。喉仏を動かしてゴクリとそれを飲み干す間も、反対側の手は抜かりなくわたしのショーツしか履いてないお尻に触れていた。
「ん?おまえいつもの厚化粧しなくてもかわいいじゃあねーのォ」
「………」
「なんだよ、喋れなくなっちまったのか?」
もう長い付き合いになるが帽子をかぶってない彼を見るのは新鮮だった。眉間にしわを寄せてるのに、そんなの気にせずミスタの手のひらはわたしの下着を脱がしにかかってる。
なんとなく腹立たしかったのでビンタをした。
「イッテェなぁおい!」
「風呂入ってパンツ履いてこい」
「ちぇ、なんだよ昨日はあんなにかわいかったじゃねぇかよぉー…」
これだから女ってやつは…とブツブツ呟く彼が全裸のまんまバスルームへ向かう後ろ姿を見送った。やっぱりミスタは覚えている。セックスしただけなら良かった。そんなもの大したことではないのだ。たとえ同僚でも、特に楽観的な彼なら今まで通りに過ごせる自信がある。だけどそれだけではなかった。わたしは彼に酷いところを見せた。そして彼はそんなわたしを見て…
二日酔いの頭痛とだるさが酷すぎるので、もう帰るのは諦めた。またベッドへ潜り込み目を閉じればすぐに微睡みの中に引きずり込まれていく。どうしてこの部屋はこんなに居心地がいいのかな。次、次に起きたら帰ろう。
☆
おれが風呂から出たらナマエはまたベッドで眠っていた。てっきりもう出て行ってると思ったのに。ピストルズが不思議そうに、すやすや眠る彼女を眺めている。やつらに朝飯を食わせておれもまた彼女の横へ座った。彼女の化粧してない素顔があまりに幼く思えて、さっきは正直動揺しちまった。
柔らかな髪を撫でる。長い髪をシーツに振り乱して眠る姿は戯曲を元に描かれた絵画のようだなとぼんやり考える。そうだおれはずっと彼女を綺麗だと思っていた。
あんな風に泣かれるなんて思ってなかった。おれも彼女も酷く酔っていて、軽い気持ちで自分の家まで連れてきた。キスをして服を脱がせて、まるで決まり切ったことのように彼女の体内へ入った。ナマエも乗り気だったはずだが…そんな時に泣き始めたのだ。あの意志の強い彼女が、あまり感情の波を見せたがらないナマエが。どうしたってんだよ、痛かったの?そう尋ねても黙って声もあげずに泣くばかりであった。普段とのギャップにどうにも頭が追いつかない中、言いようのない興奮も覚えた。だって彼女は美人で幹部としての実力もある魅力的な女で、そんな女がどうしてだかおれの部屋のベッドで泣いているではないか。妙な背徳感に誘われ、彼女へ夢中になっていく自分に気がついた。
それでもそんな自分を戒めて、彼女の身体の中から出て行くことを試みたのだ。(年上で上司だからなおれは!エライ!)だがしかし、それを阻んだのは彼女自身であった。身体を離そうとするおれの頭を引き寄せて、甘えるようにキスをした。中を意図的か無意識かわからないが締め付けられて、低く声が漏れた。ついにタガが外れてしまったおれはそれはもう、日が昇るまで彼女を貪った。
あの涙はなんだったんだろうか。出逢った頃のトリッシュみてえに誰にも気を許さない気の強い女だとおもっていたが、案外もっと何か別のものがあるのかもしれない。
おれたちは音楽の趣味が合うし、甘えてくる彼女はどうにかなりそうなくらいかわいかったし、セックスは最高だった。恋人になったら案外楽しいかも知れないぜ。悪くねえ。…そんな浮かれるような思いで眠りについたが、起きた時に窓際にいた彼女にキスをしてみたら腰の入ったしなやかなスナップを喰らったのだった。
そして今眠りこける彼女の横でぼんやりしているおれ。テレビをつけてみたが平日の午後の番組なんてあまり面白くない。昨日のことは夢だったのかもしれない。そうだ悪い夢だ……おれたちは酔っ払って同じベッドで眠っただけ。偶然お互い全裸になってたが……。
「ミスタ、ぶってごめんね」
チーズを巡って喧嘩し始めたピストルズを諌めていると、そんな声が聞こえた。驚いて隣を見おろすと、いつのまにか寝返りを打っていたらしく白い背中がむき出しでこちらを向いていた。表情は見えないが、つやつやの背中に一つ小さなホクロがあった。昨日の夜にも見たやつだ。
「…なんだよ、良いよべつに」
「…」
「まァ、チョーーーット痛かったけどね?」
嫌味っぽく言いつつも長い髪に手を伸ばしてみた。指ですいて、現れた白いうなじにキスをする。一呼吸置いて振り向いた彼女は寝そべったまま、座って身をかがめているおれをじっと見上げている。幼さがありつつも、やっぱり美人だ。
「わたし…あなたに恥ずかしいところ見せたね」
「おれはそうは思ってねえけど」
「……」
ナマエは体を起こした。体から毛布が滑り落ち、ブラとパンツだけの格好でおれをじっと見つめ続ける。暫くするとすらりとした腕が伸ばされて、おれの首に触れた。その緩慢な動作や彼女の表情があまりに煽情的でゴクリと生唾を飲み込む。彼女のくちびるが斜めに、おれのそれを塞いだ。すぐに舌をいれて彼女を組み敷こうと思ったがそれはすぐに終わらせられてしまった。くちびるを離したナマエが至近距離でおれを見つめる。また、彼女は涙を見せた。
おれは昨日の晩と同じように、目元にキスをした。もう驚きはしない。
「ゆっくりして行けよ。おれはずっとここにいるからよ」
涙を目に浮かべ、黙って頷く彼女は年相応の10代に見えた。さっきは知りたく思ったが、今は彼女の涙の理由なんて知らなくて良い。何か薄暗いもんなんて誰にでもあるだろう。
ただ大切なのは組織には他に、彼女の泣いてる顔を知ってる奴がいるだろうか?それだけなのだ。だってそんなのは耐えられないからな。その涙を知るのはおれだけでいい。これからずっと。ただシンプルにそう思った。