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忘れえぬ蒼い朝


寮の広場で明け方、いつもタバコを吸ってる女の子がいた。ぼくは夜中までかかるような仕事を終えるといつもその子を見かけたから、たまに口を聞いた。一緒に一服したこともある。
彼女は街で売春をしているのだと言っていた。進学したい大学があるから中学生の今からお金を貯めているのだと笑いながら話すのだ。

ある晩、僕たちはいつもみたいにお互い仕事を終えて、階段に座りながら少し喋っていた。その日の彼女は赤い肌の露出が多いワンピースに、かかとの高いサンダルを履いていた。この時間に会う彼女はいつもそういう少し下品な格好をしている。昼間に学校の廊下や街なんかで見かけることもあったが、彼女は太陽の下ではいつでも清潔な印象の制服や、細かい花柄の子供っぽいワンピースなんかを着ていた。自分へ求められるもののために服を選ぶ姿に、僕はなんとなく彼女の賢い人間性を見た。
僕たちは昼間に顔を合わせても口も利かないくせに、いつだって階段で喋るのはどうでもいい内容だった。寮の部屋の冷房が効かなくて腹がたつとか、窓の外にたまに三毛猫が歩いているだとか。その猫は子供を産んだんだよだとか。またその日もそういう取るに足らない話を終えて、もう朝日が昇り始めると彼女はタバコの火を消して立ち上がった。


「またねジョルノ。そーいえば髪染めたの?よく似合ってるよ。おやすみ」


去り際にそんな言葉を残し、彼女は足が痛くなったのか脱いでしまったサンダルのストラップを指先にぶらさげて、裸足で自分の寮の部屋に戻っていった。この髪について驚いたり散々勝手なことを言う連中はいくらでもいた。最初僕だと気づかない人間ばかりだったし、当然だろう。しかし彼女は今日会った時にもいつも通りに「おつかれ、一本吸う?」だなんて何気なくきいてきた。そんな人間は彼女だけだった。

僕は彼女と最後に会った次の日にコーイチくんに出会い、人生が大きく動き出した。あれからもう何年か経って、ぼくはイタリア全土にまで手を回せる力を手に入れていた。なかなか骨の折れる数年の中、たまに彼女を思い出すこともあった。もう高校も卒業した頃だろうが、大学の学費は稼げたのだろうか。それともまだ夜は娼婦なのだろうか。
ぼんやりとそういうことを考えることが最近では多くなってきていた。組織もかなり安定してきたからなのかもしれない。そんな折、偶然訪れたネアポリスで彼女に再会したのだ。


「ジョルノ?」


もう思い出すこともできなくなっていたが、耳にしてみればそれはとても懐かしい声だった。彼女は5メートルほど先で足を止めてぼくを見つめる。一緒に歩いていた男に彼女が何か伝えると、男はぼくの顔を訝し気に見つめつつもレストランに入っていった。
こちらを見つめる彼女の、かつて長かった髪は短く切り揃えられてゆるく巻かれている。あの頃の色が抜けて毛先が傷んでいた髪の面影はなく、艶やかで柔らかそうに見えた。服装も化粧も振る舞いも顔つきも全てが、あの頃のまだ薄暗い時間に見られる彼女とも、昼間に見かける友人と笑いあっている彼女とも違った。だけどどうしてか、一目で彼女だと、ナマエだとぼくにはわかった。
きちんと金を稼ぎ貯め続けた末に彼女は無事大学生になれたのだろう。華やかで上品な化粧をして、質のよさそうな服を着こなし、年上のボーイフレンドとディナーを食べにくる。彼女はそう言う健全さを纏っていた。自分のための服を着て、好きな仕事をして、自分の好きなよう振る舞うことができる環境を努力の末に手に入れたのだ。


「久しぶりですね」

「…本当に」

「まだタバコを吸ってるの?」

「もうやめたよ。きみは…吸わないだろうな。あの頃だって付き合ってくれただけだもんね」

「たまに吸うよ、あの時と同じのを。結局美味しさはわからずじまいですがね」


瞳が揺れてぼくをまっすぐに見つめる。ミスタは気を利かせ、少し前にぼくらから離れていった。人々の喧騒や、食器がぶつかり合う音。道なりに並んだレストランのオレンジの光がぼくらを照らす。あの薄暗い階段と違ってここは賑やかで、しかし二人きりであることを強く感じた。もう少しそばで彼女を見たかったが、これ以上近づけば触れてしまいそうだ。


「きみはもうこっちにはいないのね」


慎重に選ばれた、抽象的な表現だった。ぼくの雰囲気で察したのだろう。元から頭のいい子だったが、彼女は美しく聡明な女性へと成長していた。きっとこれからもっとさらに魅力的になるだろう。ぼくは答えなかった。


「きみを尊敬していますよ。それじゃあ…」

「ジョルノ、わたしたちはもう会えないのかしら」


答えをわかりながらもそんなことを尋ねる彼女。汚いものを知りながらも失われない、ある種の純真さ。それだけがなに一つ変わらず彼女の心の中にあるのだろう。


「…困ったことが起きたなら、いつでも教えてください。賢いきみなら、ぼくの居場所がわかるはずだ」


少し彼女を侮辱していると取られてもおかしくはない言葉だった。彼女は人の力など借りずに二本の足を地につけて進んでいける強さを持っている、そういう女の子なのだから。しかしそれをわかっていても伝えたかった。
幸い悪いようには受け取られなかったようで、彼女は昔のようにぼくに笑いかけた。その少し困ったみたいに笑う顔はあの時と少しも変わらず、ぼくのこの数年間の時間の流れを忘れさせる。この顔が見られてよかった。ぼくはミスタがたまには懐かしいピザを食べようかなんて言ってくれたことに心から感謝しなければならないだろう。


「元気でいてね、ジョルノ」

「ええ、あなたも。それと、その髪はよく似合っているよ」


返事はせず大人びた笑顔を最後に、彼女はボーイフレンドが不服そうに待っているであろうレストランへと消えた。ぼくは彼女の変化にわかりやすく驚いてしまったが、その言葉を贈りたかった。あの日の彼女の態度に感じたのははただの新鮮さではなく、嬉しいという感情であったことに今更気づかされる。
踵を返した。彼女の人生にもう、ぼくが介入しなくてもいいことを祈りつつ、気の利く相棒を探すために歩き出す。少しだけさびしかった。