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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
此岸に花は咲かぬもの


彼の両目を横断する傷跡を撫でた。細い線があるところは皮膚がほんの少し固く盛り上がり、わたしの指の腹にその形を記憶させた。彼は17歳のときに出来たこの傷が嫌いではないと言う。


「きみはこれによく触れるね」

「うん」


ソファーにゆったりとかける彼の膝にまたがりそんなことを続けると、わたしのほっぺたを固い指先が撫でた。わたしはこの傷が刻まれる前の彼を知らない。今のわたしよりも若い彼とはどんな人間だったのだろうか。

わたしの知りえる花京院典明は不思議な人間であった。基本的に穏やかで紳士的だが、秘めたるその意思はいつも静かに研ぎ澄まされており、時に態度や言葉で人を遠ざけた。そして彼自身そういう部分に自覚があるのでうまく隠したり思わせぶりに開いて見せたりすることができる人間だ。一見わかりにくいが、ちょっとゲンキンな部分を持った男なのだろう。それは彼の魅力の一つなのかもしれない。


「きみにもいくつか傷があるね」

「気づいてたの?」

「きみの身体で、僕が触ってないところなんかないさ」


そう言いながら、彼はわたしが着ているワンピースの裾から手を入れて脚に触れた。その大きくすらりとした指先は太ももに登り、更に辿ってわたしの腰に引っかかる細い紐の下に潜り込んだ。

彼のいう通りわたしの身体にはいくつかの傷跡があったが、服で隠れるところばかりだから知っているのは彼くらいなものだ。これは何年か前に、突然狂ってしまった父親がナイフを振り回したときにできたのものだ。その頃のわたしは呑気に杜王町で暮らす高校生だったから、家に帰ったら血濡れで倒れる母親とナイフを持った父親がいて戦慄したものだ。襲いかかってきた父親に腕や背中を斬り付けられながらただ両腕で顔を覆って目を閉じていた。そして次に目を開けたときに、もう父親は床に倒れていて、目の前に昔飼っていた犬によく似た姿の幽霊がいたのだ。
それはわたしが謎の矢に撃たれてから1週間後のできごとであった。


「僕はきみの傷が好きだよ」


わたしの肩から胸にかけて続く一番大きなそれに彼の薄いくちびるが押し当てられる。何度も何度も身体の交わりを繰り返してきたけど、花京院にこんな風に明るいところで裸にされたのは初めてだった。対して服をきっちり着たままの彼はわたしの身体を余すことなく触り、全部の傷に同じことをした。そうしながらするりとわたしの中に入り込んでくる彼の長い指。


「…もういれてほしいな」

「今日はせっかちじゃあないか」


そう言いつつも彼はすぐにスラックスの前を緩めた。でてきたものに指先で触れて形を確かめる。もっとグロテスクな気がしてたけど、案外それはつるんとしててかわいく思えた。(彼の膝に向かい合って座ってるわたしのお臍くらいまであったけど。)ちゃんと見たのはほとんど初めてかもしれない。こんなのがわたしの中を傷つけずに入ってくるだなんて不思議でしょうがない。花京院はわたしを膝で立たせて、ぬるついた入り口に切っ先をあてる。指とはまったくちがう太さにどうしても力が入ってしまう。しかし先を飲み込んでしまえばあとは腰を下ろすだけでよかった。根元まで咥え込んだときに先が奥にあたり甘えたみたいな声が漏れる。子宮のすぐ近くにまで彼の性器が来ているのだろうか。
いつも始めは少し苦しかったけど、彼はちゃんと指で慣らしてくれるので痛みを感じたことはなかった。今日だってそうだ。息苦しさはあっても痛みはない。

花京院はわたしの腰をつかみ、下から突いた。ぎゅっと無意識に締めてしまう。花京院は少し顔を歪ませ激しい出し入れを始めた。なんだか今日の彼はいつもよりもずっと荒々しい。わたしも腰を動かすけど、少しも間に合わない。


「はぁ、は、あ、あ、 っあ」

「は、かわいいな、なまえ…」


花京院はわたしにはいつも優しかった。彼がどうしてわたしに構ってくれるのか、わたしにはわからない。彼とのセックスはなんの文句もないくらい心地良いし、本や映画の話ができるし、別になんとなく喋らなくてもいい。それが楽なのだ。
しかし、そこまででいい。これ以上お互いの深みを知るのがわたしは怖かった。


ほんとは知っていた。時々寝ているわたしの傷跡にやさしくキスが落とされることを。柔らかな、わたしが羨望してきたような言葉が降ってくることを。そういうのに、わたしは気がつかないふりをして彼と交わり続けた。わたしはひどく傲慢でずるい考えの人間だ。いつかバチが当たる日が来るのならば、全身全霊で受け止めようじゃあないか。

突然、彼はわたしを抱き上げた。下半身は繋がったままで不安定になることが怖くて彼にしがみついた。花京院は少し歩いて寝台にわたしを寝かせる。


「なまえ、好きだよ、きみが」


言葉を返す前にくちびるを塞がれた。塞いでくれたのだろう。彼はわたしの恐れを理解している。わたしを組み敷いた彼はなんどもキスをしながら性器を出し入れする。片方の脚を持ち上げて奥まで突き上げながら、彼の空いてる方の手はまたわたしの傷跡をなぞった。もうすべての傷の場所を覚えているみたいで、舌を絡ませながらいくつもなぞり続ける。ごめんなさい。花京院、ごめんなさい。


父も母も日本で生きている。二人ともSPW財団の援助で別々の精神病院にいて、いつまでも出られないでいる。もうわたしの名前も忘れてしまったかもしれない。
あの出来事を思い起こしてみても、怖かったなぁとは思うがその時の感情が鮮明に蘇ることはなかった。人というのは鈍感になればなるほど強いのだろう。ナイフを持った父親にあんな酷いことをされたというのに、わたしは今男とセックスをしている。


わたしは彼が愛おしかった。どんどん鈍感になって、わたしもいつかこの感情を忘れてしまうのだろうか。いつか失ってしまうかもしれないことを恐れて口に出せないことが、この誠実な男に心から申し訳なかった。
花京院、本当はあなたが入っているそこにも、傷跡があるんだよ。見えないけど。ぜんぶに触ってくれてありがとう。ほとんど死んでるわたしを愛してくれてありがとう。
気づかないふりばかりするわたしを彼は寛容に受け止めた。いつまでこれが許されるのだろうか、いつまでこの感情を保てるだろうか。傲慢なわたしは自分のことばかり考えているうちに眠ってしまった。微睡みの中、彼が私の胸のあたりにキスを落とした。

題名:徒野さま