Al cuore non si comanda.
「あなたって酷いことばかり言う」
仕事中オレの能力が十分に働くまでを待つ時間や、バールで飲んでる時間。ナマエと他愛のないことをよく話した。オレがわざとムカつかせるようなことを言うと、彼女は決まって眉を寄せて、不服そうにそう言った。
普段何を考えているのかもわからないような彼女がこうして感情をあけすけにするのがオレは好きだった。自分だけが彼女を知っているかのような、そういう優越感がある。それはオレだけのものだ。
アジトはガラリとしていた。仕事で出払ってるやつらや、休日をどこで過ごしているかもわからねぇやつらなど、その所在は様々だろう。
オレと彼女は仕事終わりだった。アジトに二人で人を待っている。チームの仲間の一人。かなりの時間遅れそうだと、少し前にオレの携帯電話へ連絡があった。
「あいつと寝たんだろ」
ソファーの上、折り曲げた膝の上に乗せた新聞を眺める彼女にな隣に腰掛ける。記事を読んでいるのかと思ったがどうやら紙面の端に載った漫画を眺めていたらしい。彼女は新聞紙を折りたたみ、どうでもいいようにその辺へ放るとこちらを見上げた。
「どうして知ってるの?」
「さあなんでだろうな」
「あなたってなんでもすぐにわかっちゃうね」
そんなもんあの男の態度を見ていれば手に取るようにわかる、と内心に思う。あいつに自覚があるのか無いのか知らねえが、以前からこの彼女を気に入っていた。それがどの程度の感情から来るものなのかは知らないが。他の奴らはそんなことには気付いてないだろう。
「で、あいつとのセックスはどうだったよ」
「え?うーん……なんだか苦しかったよ」
「ああ?あいつそんなデケーのかよ」
「いやそういうのじゃあなくて、なんかわたし、緊張してたのかも?」
「緊張……?」
「胸のあたりがずっと痛かったの」
彼女の言葉に密かに目を細めた。腹の底が焼けそうな感覚に囚われる。
それはおまえがあいつを好きだからだよと、教えてしまおうかと思った。ナマエはあいつといるとき、オレにしかわからねえような態度の変化を見せた。いつもより少しだけ相手を長く見つめたり、ほんのりと笑う顔も他の奴らによりも頻繁に見せているように思えた。ナマエは無意識にあいつへ心を許している。それが明白だった。
何故オレにこんなにも彼女の些細な変化がよくわかるのかといえば、彼女をそう変化させてしまうような形容し難い胸奥の苦しさを、身に染みるようによく知っているからだ。
それをあの男にもこの彼女にも教えてなんてやるものかと、そんな矮小なことを思う人間にいつのまにかなっちまった。元々は手に入らないものというのは自分には必要がないものだと、そう考えるのが常だったというのに。
この女の何がオレをこんなふうにしてしまったのだろうか。そういう与えられる変化というのは、ごく自然で当たり前な気もしたし、反して少しも理解できない気もした。少なくとも初めてであった。オレは恋情を拗らせていて苦しいのだと、そう気がついたのはいつだったか。まるで初めて恋を患う哀れなティーンエイジャーだ。
嫉妬心に色があったとしたら全ての絵の具の色を混ぜた時にできるような、あのどす黒い色だろう。
「あの人もいつもと違ったの。……わたしの身体、変だったかな。あの人、なにかをおかしく思ったかな?」
彼女は本当に心配しているようだった。こんな風に確かめるようなことを尋ねてくるなんて初めてだ。その瞳も少し伏せ目がちで、憂いを孕んでいる表情だと、そんな変化がわかるほどに自分が彼女ばかりを見ているのだと思い知る。
「……確かめてやろうか?」
伏せられていた瞳が、少し時間を置いてからこちらを向く。そこに迷いがあるように見えたから、逃さぬよう彼女の手首を掴んだ。
こんな風に関係を持つはずではなかったというのに。
彼女は始めゆるく抵抗を見せたが、相手がオレだからなのか、はたまたあの男にどう思われたのかが相当に気になるのか、戸惑いつつも受け身でいた。ソファーの端に追い遣って肌を撫でると、少しその瞳がとろりとしてくるのがわかる。小さな口からは少し荒くなった呼吸が漏れた。キスはしないことにした。
下着を上にずらし、淡く色づく乳頭を口に含んだ時に初めて彼女の甘い声を聞いた。暴けば暴くほどに彼女の身体は美しく、どこもかしこも柔らかですべすべとしており、ずっと触っていたいと思わせた。この求心力はなんだ。こんな身体に悦ばない男はいないだろ。そう思っても絶対に教えてやらないが。
指を根元まで挿しこんだ彼女の中は熱く狭い。ぬるつくそこに出し入れして、中のいいところを探すように指を動かす。そのたびに、彼女の意思に反した艶かしい声が聞こえてどうしようもなく興奮した。
「ねぇもう、わかったでしょう、教えて」
「まだわからねぇな」
「おかしいよ、なんでこんな」
「なんでだと思う?」
「そんなの知らな、あっ、は……ッ」
指を強く締め上げ、眉を寄せて息苦しそうにする彼女はソファーの端に追いやられ、中途半端に乱された服から覗く淡く上気した肌を纏ってオレを見つめる。あの男も、彼女の過去の男達もこれを目にしたのかと思った。
「あいつとのセックスはどうしたんだよ」
「き、聞いてどうすんの」
「答えろよ」
あいつよりももっと優しく良くしてやると、大事に可愛がってやると、そう言うつもりでいた。どうせ有象無象の女を粗雑に抱いてるような野郎だ、オレには自信があった。あいつと彼女はたかが一回寝ただけのくだらねえ関係だと。
しかしながら、オレがそう考えている間に、彼女は目を細めてなにかを思い出しているようだった。その顔がどこか恍惚としたものに見える。
「なんだかずっとキスして、ハグされてた気がする」
返ってきたのは予想と真逆の回答だった。脳裏に見たこともないような、あり得ないと思っていた光景が容易く浮かんだ。あの男が彼女を抱き寄せたり、甘ったるくキスをしたり、彼女だけを愛していると囁く様子。
それが鮮明になればなるほどに、自分の中のどす黒い感情が滲み出てオレを取り巻き、窒息させられそうだった。
女なんて誰でも良いというのがかねてよりあの男の主張だったというのに、どうやらそんな男にも麗しい変化が訪れたらしい。このナマエにそうされてしまったようだ。なんだ、本気なんじゃあねえか。あの男とオレは、くだらねえほどに同じじゃあねえか。
そう自嘲するオレを見上げて、熱を持った彼女の瞳は不思議そうに揺れた。
「ホルマジオ?」
名前を呼ばれてから指を引き抜いて、それに小さく震えた彼女の腰を掴んだ。力任せに引き寄せると肘掛けに背を預けていた彼女がソファーに仰向けに寝そべることになった。艶やかな髪がアジトのソファーの、傷んだ革の上に美しく投げ出される。
「まって、ホルマジオ 、まだっ」
十分に慣らされていない彼女の中に押し入った。彼女は首を仰け反らせて白い肌を目の前に晒した。ひ、と彼女が苦しげに声を漏らすのが聞こえる。
なにを言ってもやめてやらない。オレはあいつのように優しくなどしてやらない。ひどく乱雑に、粗暴に、彼女の身体を暴いた。彼女が苦しげに浅く呼吸をしてオレにしがみつく。ずっとこうしていればいい。ずっと訳も分からずオレにしがみつけばいい。妄想でもなんでもいい、本当はオレだけを必要としていると錯覚させたい。
なぜあいつに惚れちまったんだ。それに自分でも気づいてないくせに抱かれてくるなんて、よりによって、あの男が相手だなんて。
なぜわからない。おまえを誰よりもよく知っているのはこのオレだろう。長く時間を共にしているだろう。
「……あいつが、オメーなんてまともに相手してると思うなよ」
オレのあまりに利己的でやり場のない憤りは、彼女に対する残酷なウソに変わった。
息苦しさと快楽に同時に溺れる彼女の瞳に、絶望の温度が一瞬見えた。彼女は表情を変えることなく喉を動かした。それからオレの首にしがみつくように腕を回し、強い力で甘えるみたいに抱きよせた。彼女の髪や首から淡い香水の香りがした。その香りも、髪や肌の感触も、彼女の中にいるこの優越感やどうしようもない愉悦と快楽も、そして彼女の喜怒哀楽全て、オレだけのものにしてしまいたい。どこかへ彼女を閉じ込めて、オレにだけしかその全てを見せられないようにしてしまいたい。
小さく、酷く苦しげな彼女がつぶやくように言った。
「いつもひどいこと、ばっかり言う」
泣きそうに潤んで震える声であった。それが聞こえてからすぐに彼女は自分からキスをしてくる。その態度がオレをどうしようもない気分にさせる理由は、自分が彼女を傷つけた事実ではなく、こんな風に彼女が感情を揺らす原因も、オレに甘えるように口付ける行動の理由も、全てはあの男だからなのであった。
深いキスの合間に唇が離れ、彼女は小さくオレの名前を呼び、必死の声で近づくオーガズムを伝えた。腰や肩を震わす彼女の身体を欲に任せて蹂躙しながら、自分の中から溢れ出す醜くひしゃげた嫉妬心を強く感じていた。渡してやるものかと、自分のものでもないのにそう念じながら。
※「あの男」はご自由に設置してください