Plastic relationship
「久しぶ、うぐっ」
多分久しぶりって言うはずだったけれど、彼が言い切る前にぶん殴った。なぜかアジトにあったメリケンサックを持ってきて使ってみたのでその威力は絶大である。ソファーから転げ落ちて鼻血を出したメーロネはびっくりすることもなく、流れ出る血を抑えながらわたしを見上げた。
「そろそろ生理か?」
次はローキックが彼の頭にヒットした。このやろう……ともう一発食らわせてやりたいのを我慢して、彼が起き上がるのを手伝った。
ソファーに座り直した彼がわたしの手を引いたから、わたしはなんでだか彼の膝の上に向かい合って座ることとなった。腰に触れた手が撫でる。メローネは殴られたっていうのに何処か機嫌がよさそうだった。
「ナマエ、怒ってるのか珍しいな」
「……」
「きみが好きなことをしよう。欲しいものは?オレにはわからねえから教えてくれよ」
「そんなんじゃあどうにもならないくらい怒ってる」
「参ったな」
メローネの手がわたしの髪を撫でた。彼は最近はこんなスキンシップを頻繁にするようになった。前はお互いに利害が一致するって理由でセックスしかしてなかったわたしたちだけれど、今では2人で出かけたり、一緒に何かを食べたり、お互いの話をする。わたしたちはお互い以外に関係を持たず、恋人のような関係となっていた。
「最低。死ね」
わたしの目に涙が滲んだのを、メローネが不思議そうに見つめていた。メローネは鼻血をダラダラ流してても映画俳優のように美しい顔つきをしている。
「じゃあねメローネ」
わたしは思いの外情けない声でそう言って、メローネを置いて寝室を出た。もう二度とここにくることはないだろう。
振り返らなかったからわからないけれど、きっとメローネはまた不思議そうな顔をして、なんともないのだ。すぐにケロリと忘れるに違いない。なんと簡単な最後だろうか。いや、簡単だったか?
事の顛末はこうだ。
少し前、チームのみんなが妙によそよそしい気がしていた。
わたしとメローネの関係はびっくりするくらいに安定したものとなっていて、すごく親密になってきていた。
そんな中、メローネの家に、ギアッチョがやってくる機会があった。彼ら二人は頭がどうかしている者同士で奇妙な信頼関係を築いているらしい。二人で何をするのかは知らないが、ギアッチョは帰り際に映画でも見るかと思い立ちメローネの私物を漁っていた。そしてなんの表記もないひとつのVHSを適当に手にし、メローネの家を後にした。
ギアッチョが自分の家でそれをデッキにセットし、再生してみれば、もう驚愕である。よく知る人物二人がくんずほぐれずとなって激しいセックスを繰り広げているではないか。
我々には例外なく善良な者などいないが、ギアッチョはその中でも極悪非道のアホクソバカ野郎であることが判明した。少なくともわたしにとっては、あのビデオを広めた最初の人間だからだ。
そのビデオはどうしようもなく持て余したギアッチョにより、さながら呪いのビデオのようにホルマジオへと渡った。ホルマジオはそれを面白がり、イルーゾォに手渡した。イルーゾォはダビングを取り、プロシュートに手渡した。プロシュートはそれを当時の付き合ってたんだか遊んでたんだか知らないが、いつも顔ぶれが変わる女の一人と一緒に見つつ行為に及んだらしい。使用済みとなり呪いを強めたそれはペッシに「教材」として手渡され(ペッシにとっては本当に呪いのビデオであったであろう)、今度はソルベとジェラートの元へと渡り、最後にリゾットに届けられたのであった。彼はひっそりと、わざわざスタンドを使ってそれをメローネの現在の自宅へと戻しておいてくれたらしい。リゾットが中身を見たかどうかは考えたくない。彼にだけは見られたくないものである。
そして1週間後、ジェラートからの「オレ達も今度撮ってみたいから撮影手伝って」というクソ最低な世間話によりわたしはそのVHSの流出を知ることとなる。
わたしはその呪いのビデオを目にした人間全員を殴った。イルーゾォがダビングしたというVHSもきちんと破壊した。腹いせにプロシュートと何人かの女の関係も破壊した。そのVHSと同じように、全員の記憶も破壊できたらいいのに。
なぜ……なぜわたしはメローネが撮り貯めてる夥しい数のセックスの記録を野放しにしてしまっていたんだろう。なんでそれらを、「恋人のちょっとかわいい行動の産物」くらいに思ってしまっていたんだろうか。
気持ちも生活も地に足をつけることができないけれど、わたしだって泣くことはある。世界を憎むこともある。別に誰かに見られたのは正直言ってどうでもよかった。しかしながら、あのリゾットが見てたらどうしようかと思うと叫びたくなった。これでも恩を感じている人間である。恥ずかしくて死ねる。
本当は殺してやろうと思ってメローネの家までやってきたのだ。だけどメローネのわたしと会えて嬉しそうな態度だとか、甘くなる目つきだとかを見ていたらそんな気が情けなくも消えてしまった。
わたしもだいぶケロッとした性格なので、あのビデオ流出により(主にリゾットに見られたかもしれない事実のみ)傷ついた心は割とすぐにどうでも良くなった。あんなことがあったのに普通に接してくる仲間たちを愉快だと思い始めたし、せっかくなのでソルベとジェラートの撮影も手伝ってあげた。
気分転換に何人か、その辺で捕まえた男と寝た。しかしながら、どれもほどほどに楽しめばしたけれど、泣きそうなくらいに気持ちよくて何にもわかんなくなるようなセックスが体験できることはなかった。そういえば、わたしはメローネとするまでオーガズムを経験したこともなかった。
3ヶ月、彼からの個人的な連絡を全部無視して過ごしている。少しずつわたしは、メローネが思いのほか自分の中で大きな存在になっていたことを実感していった。薬に依存するみたいに。
初めて身に覚えるその感覚は自分が自分じゃあなくなっているような気がして、彼にもう一度顔を合わせることが怖くなった。彼と付き合ったところでわたしに大した変化はないと思っていたのに。
でも、このままあの人と仕事以外で顔を合わせなければこんな思いをすることもなくなるだろう。大丈夫だきっと。
なんて思ってまたわたしは名前も覚えられない男と関係を持とうとしていた。男はわたしの上に覆い被さってわたしは既にほとんど服を着てなくて、正にこれから始めようって時だった。わたしの上にあった男の影が突然消え、部屋の照明が眩しく見え思わず少し目を閉じた。次に開けた時には、わたしの身体の上やベッドにはバラバラになった人間の細切れが散らばっていた。
そして名前を呼ばれた先に立つ、髪の長い男の姿。
「ナマエ」
「な、なに」
「明日の打ち合わせをしよう。ああいうところは格好とか振る舞いが大事なんだろう」
「……うん、まあ」
淡々と言うメローネに引っ張り起こされて、流されるように寝室を出てテーブルに座ると我々は仕事の打ち合わせを始めた。わたしは下着の上からニットをかぶって着ただけで、1時間くらい話して普通に解散となった。わたしの部屋にあった細切れキューブもいつの間にかなくなっていた。結局何だったろんだろう?と思いながらも次の日の仕事を迎えた。彼はケロリと忘れてしまうような男ではなかったか。
いつもみたいに問題なく仕事を終えた。メローネと組むとあまり考えなくていいから好きだ。彼が自由にできるようにカバーしていれば大抵のことは上手くことが進んだ。
そして当たり前のように仕事を終え、我々は帰路に立った。メローネの愛用のバイクに乗せてもらいながら。
「なあ腹減ってるか?」
「減ってない」
「オレは減ってるから飯でも食いに行こう」
「わたしは行かな、」
ここからなら歩いて帰れるかな、というあたりで止まったバイクから降りてようとしたところで彼がそう尋ねてきた。面倒なことになる前にさっさと帰ろうと思ったのだけれど、わたしが文句を言う前に彼は走り出してしまった。
メローネはスリーピースのスーツに、わたしはバイクに乗るのが一苦労なロングドレスを着ていた。そういう場所で仕事を行ったからだけど、髪を一つにまとめてマスクもしてない今日の彼は全く違う人みたいに見えた。まるでイタリア男だ。そうなんだけど。
でも口を開けばいつものメローネである。
「たまに2人で食うくらいいいだろ」
「よくないよ」
「オレたちこの格好してるんだから、今日は良いレストランに入れる」
まあ確かに、普段の彼の服装でどの程度のレストランまで入れるのか謎だ。ご飯を食べて帰るくらいならいいか、同僚としての行動としてもおかしくないか、などと本当はお腹が空いていたわたしは言い訳じみた思考へ変わり始め、結局我々はそのレストランに入った。入ってみてからきちんと事前に予約されていたことが判明する。そりゃそうかこんないいところ飛び入りで入れるわけがない。
何考えてるんだろうか。恨みに任せてわたしは毒殺でもされるのか?それはまあ、結構面白い気もする。彼がわたしを殺すならどんなふうに行うのかに興味がある。そんなことを考えながら席について、料理を注文した。ワインが運ばれてきて二人で飲み始めたところで、彼が変な申し出をしてきた。
「渡したいものがあるから手を出してくれ」
いぶかしく思いながらもテーブル上にあるキャンドルの横に手を出すと、彼がそこの上に自分の手を被せるようにして何かを落とした。確認するために手を引っ込めようとすると強く握られる。彼を見上げるとじっとこっちを見つめていた。
「なぁ、あんたが会ってくれない間にオレ達のセックスのビデオを見返したんだが」
まあまあ大きな声でメローネが自分たちのセックスの良いところについて、または体力面などについてのいくつかの改善点について話し始める。この男はここをどこだと思ってるんだ。落ち着いたピアノの演奏の上にこいつの声がよく聞こえる。周りの客が死ぬほどこっちを見てる。訝しんだウェイターが近づいてくる。それでも彼から目を離せない。
「オレはきみは他の男とどんなセックスをしているのか気になったんだ」
「ああ……あの時はそれで来たの」
「やっぱり見ちゃいられなかった。きみが他の奴に抱かれてるのを拝むのは地獄だし、吐きそうな気分になるってことがわかった。あの後吐いたしな」
「だから昨日の男は細切れにされちゃったの?」
「当然だろ」
当然じゃあないだろと思いつつも、とくにそのことについての感慨もなかった。あの時の人の顔も思い出せない。あっちだって生還したらわたしの顔も覚えていなかっただろう。
メローネはまたセックスの話をしている。そして結論めいたような話しぶりで、こちらへグッと身を乗り出した。わたしの手を握る彼の手に更に強く力が込められる。
「この先きみより良いセックスができる相手はいるかもしれない。でもきみが大事なんだ。だから結婚しようオレたち」
突飛なことを言い出した彼に今更驚くこともない。だけどおかげで、わたしと彼の手のひらの中にあるものの正体もなんとなくわかった。ため息が出そうだ。呆れてくる。こんなことになるならやはり来るべきではなかった。血生臭い何かを想像してたのに、こっちの方がもっと最悪だ。
「…….わたしたちみたいのが結婚したところでどうなるのよ。そもそも戸籍あるの?」
「オレが嬉しい」
メローネはまたもや当然だろと言わんばかりに即答した。そのあまりに包み隠さない利己的な言いぶりに言葉も出なかった。代わりに、さっきまで呆れて萎えていた自分は笑ってしまう。ケラケラと今にでも笑い出してしまいそうだった。
「いいだろう?どうせお互い長くもねえ命だ」
そう言いながら親指の付け根を撫でられる。もう周りの客も、びっくりしてそばに立ってるウェイターもどうでもいいやって思いながら声をあげて笑ってしまった。こんなに可笑しい気持ちになったのはいつぶりだろうか。むしろそんなことが今までの人生にあっただろうか。
こういうところが好きなのだ。そう、わたしはこの男が好きだ。頭がいいのにびっくりするくらい奇抜でどうしようもない価値観のこの人が、利己的にわたしを自分の元へ繋ぎ止めようとするのがたまらない。
しかしながらそんなわたしの気持ちとは裏腹に、メローネは不服そうだった。
「ナマエ、なあ本気なんだぜ」
「……わかってるよ」
ゆらめくキャンドルの隣で彼の手を握り返す。メローネはそれで満足したみたいだった。
それからさっさと店から摘み出され、我々は帰路に立つことになった。バイクの前で思い出したようにメローネがわたしの指に指輪を嵌めたので余計に笑ってしまう。こういうのってもっとちゃんとするもんじゃあないの。ついでじゃん。そう思って笑ってたら抱きしめられた。
メローネの、力加減も知らない苦しい抱擁が好きだ。わたしはこの人に触れられることがどれも好きだ。彼の腕の下から背中に手を伸ばし、髪留めを外す。彼はわたしが勝手にそうしても特に気にしないみたい。
彼の名前を呼ぶと少し身を離して顔を見下ろしてくる彼を見つめる。こちらが少し笑ってるから彼もちょっと笑った。
「マスクしてよ。そのままだとらしくない」
笑って彼がジャケットのポケットからいつものマスクを取り出した。