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「#幼馴染」のBL小説を読む
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Man in the Mirror


もううんざりだ。

今日この日、オレの腹に衝撃を与えたのは拳じゃあなくて、なにか鋭利なものだった。ふらふらと、刺さったままのナイフと皮膚の間から熱い液体が流れ出る腹を抑えながらバスルームに逃げて、もう視力も体力も何もかもが尽きてきた頃、洗面台によろけて捕まり、そして鏡を見た。その中には真っ青な顔をした自分がいた。オレは周りの人間より発育が遅く、顔つきは女みたいだと街の人間に揶揄われることもあった。路地裏に引き摺り込んで犯そうとしてくるやつだっていた。
バスルームのドアを殴る音と怒鳴り声が部屋中に響いていた。うるさい。

もううんざりだ。

オレの中には憎しみが溢れんばかりにあった。このナイフを腹にぶっ刺した血縁者とも思えぬゴミ野郎も、オレを馬鹿にした下らない奴らも、全部全部うるさい。全部雑音だ。オレはあんなやつらの手の届かぬ場所で、必ず自分の世界を手に入れてやる。オレだけのための場所を作り、だれもそこに入る許可など下してやるものか。腹の痛みと熱、それとは別に急激に冷たくなっていくような気がする頭でそう考えた。死んでたまるか。オレの腹の中は煮え滾っている。

もう、うんざりなのだ。




あの時、今の能力に目覚めなかったらオレは父親を殺すこともできずに、また何度も腹を刺されて死んでいたことだろう。
窮地を乗り越えるため、オレの偉大なる精神力によって特別な力が生み出されたのだ。それからは幾分かマシな流れを辿れた。リゾットに会ってこのチームに来て、上司や同僚も得た。死は常に付き纏うが、それは今までと特に変わらなかった。いい飯が食えて安全な寝床がある。好きなものを着て好きに振る舞う。オレはそれを自ら選択して得ることができた。オレの身長はぐんぐんと伸びた。平均よりもデカくなった頃、能力の質も伴って研ぎ澄まされ、オレを馬鹿にするやつはもういなかった。

だがそんな場所にも数年経つと、やはりうんざりさせてくるやつは現れる。そいつは突然リゾットが連れてきた。身体も小さければ能力も大したことがない、その上オレよりも年が若い女であった。
まずこのガキが、他でもないリゾットに連れてこられたことが気に食わなかった。オレの能力はチームのとっておきだ。リーダーのリゾットはこのオレに期待している。反してこいつの能力といったら大したこともできねえような、あくまで後方にいる諜報のような、つまらない力である。

そのガキは特に劇的にチームに馴染むようなことはなかった。一人でいるのが好きに見えたし、酒の席にも現れたことはない。リゾットと喋るところしかほとんど見たこともなかった。もちろん笑う顔などチームの誰にも見せなかった。

そんな女が、何故こんなにもうんざりさせるのか。何故オレを脅かすのか。そんなのはただひとつだ。オレがそいつに、気がついたらべったりと惚れちまっていたからだ。



「ねぇ」
「うるせえな」
「まだなんにも言ってないわ」
「なんも言うな」
「でも帰れって言わないんだね」

ちびちびとオレの前に座ってホットミルクを飲みながらナマエは話した。
甘いものはないのかと尋ねられ、冷蔵庫を覗いたものの、そんなのはひとつもなかった。べつに甘いものが嫌いなわけじゃあないが、特に自分で買ってくることもなかった。脇から一緒に覗き込んできた彼女は、ミルクを飲んでもいいかと訊いた。オレが毎日のように飲むから賞味期限も問題ないし、勝手にしろと言った。すると彼女はキッチンでキョロキョロとし始め、棚を開けたりしていたが、何かを諦めたのか、マグカップにミルクを注ぐと電子レンジに入れた。

ああたぶん鍋を探していたんだなと今になって気がついた。悪いがそんなもんはこの家にはない。が、鍋で作る方がうまいんだろうか?きいてみようかと思ったが、黙ってろと言った手前こっちも黙ってる他なかった。

つまんねえ興味もねえテレビを、彼女はベッドの端に座って、オレは寝転んで、ふたりして見たくもないのにみていた。それ以外にやることがない。オレたちは共通の話題がなければお互いのことを何も知らない。そしてオレは彼女のことを知りたくなかった。これ以上、この女に踏み込んで更に夢中になりたくないのだ。彼女に惚れてるだなんて、認めるのはシャクだった。

彼女のなにがこうもオレを惹きつけるのだろうか。なぜ髪を撫でたり意味もなく触れたりしたくなるんだろうか。なぜ、いつもだったらうんざりしてくるような苛つく光景だというのに、隣で熱いミルクを少しずつ飲んでいる猫舌な彼女が同じベッドにいるだけで、こうも満足しているのだろうか。彼女の白いうなじを見ながら考えた。

「このテレビつまんない」
「オレは面白い」
「うそつけ。この司会者嫌いなくせに」
「あ?なんでそんなこと……」
「あなたは嫌いそうだもん」

当たり前のようにそう言った。
身体を起こしてみると彼女は首だけ振り返りちらりとオレを見た。彼女の瞳の色が好きだ。その瞳をずっと見ていたいと思う。今は、その欲望も素直に認められた。

「イルーゾォ、髪がぐちゃぐちゃだね」

なのにこいつは、いつもの静かな目つきでそんなことを言ってきやがる。ムカついたのでマグカップを奪い取ってやった。あ!と彼女は声を上げたが、マグカップもミルクもオレのもんだ。着ているぶかぶかの服も、オレのものだ。それをどうしようが持ち主の勝手だろう。
サイドテーブルにマグを置くと、彼女の腕を掴み引っ張った。ベッドに寝かせて覆い被さる。両手を掴みシーツに押し付けて、彼女の逃げ場をなくしていた。じっと見つめ返される瞳から逃げるように、彼女の首に唇を寄せると痕をつけた。

「んぅ……。あなたってヘン」
「静かにしてろ」
「……わたしのこと嫌いじゃあないの?」
「嫌いに決まってんだろ」
「じゃあどうして優しくするの?」

言われた通りだった。女に対してあんな風に、甘ったるい抱き方をしたのは初めてだった。そしてナマエもオレに身体を許しているように思えた。手を握って甘えたり、自分からキスをねだった。

実のところ、オレは彼女とのそんなセックスにかつてないほど満たされる思いを覚えていた。もう一度あれがあるだろうか。もっと彼女を大事に抱けば?一体それはなぜこうもオレに甘いものを齎すのか。

自分をうんざりさせるものが嫌いだ。オレは今うんざりしてて、どうしようもなくて、苛立っている。この女が何故自分のものにならないのか、腹立たしくてしょうがない。

うんざりする。そんなものに揺り動かされる自分自身に。

「イルーゾォ……抱きしめてくれる?」

そう言われて、押さえつけていた細い両腕から手を離した。彼女の背中とぐちゃぐちゃになったシーツの間に腕を入れて強く抱きしめる。

「あなたに抱きしめてもらうことがあるなんて、考えもしなかった」

そうだろうよ。こいつはオレなんて必要じゃあないのだ。この完璧なオレを、彼女は欲しがらない。
彼女を抱いた。抱きしめあったままの彼女の身体は熱く、オレを受け入れ、まるで夢のような完璧な時間であった。やはりオレはこの彼女と触れ合うことに癒されるらしい。認めたくはないが、彼女に受け入れられたいと思った。オレの誇り高き力も、華々しい外見も、最悪な過去も、自分の弱さも、ぼさぼさになった髪も。



「あなたを知りたいな」

オレの身体の上に抱かれながら寝そべる彼女の指先が、オレの腹の横のあたりを撫でた。そこにあるのは傷痕だった。うんざりする。なんでそんなとこまでよく見てやがる。気づいた女なんていなかった。
気づいたとて、オレたちみてえな生業のもんが腹に傷の一つや二つあるのは珍しいことでもないだろう。誇らしげに自慢してくる馬鹿だっているくらいだ。何故この傷がそう言うものと違うとわかる。この女に。

「……おまえの知らないオレがいくらでもいる」

逃げるようにそう言った。まるでこの世界から、鏡の中に逃げ込むように。しかしナマエはそんなの気に止めないらしかった。

「そう。じゃあ、わたしはもっと、いくらでもあなたを知る余地があるのね」
「知られたくないと言ったら?」

知った先で、彼女がオレの全てを受け止める確証などないのだ。突き離してやる。オレをわかるなどと、受け止められるなどと思うな。

「……じゃあ、先に私を知って。そうしたら、少しずつわたしをわかってくれるかしら」

その態度は少し不安げだった。不安げで、揺れていて、オレの知らない、オレとよく似た彼女の部分がそこにあった。誰にも弱さなんて見せたくないのに、目の前の人間に何もかもをさらけ出したいという矛盾した欲が同じくらいにあった。

オレたちはどうなるんだろうか。互いのことを知りもしないくせにオレは彼女にわけもわからないままに惚れていて、今こうしてベッドの上にいる。
きっとどちらかが、先に殻を破る必要がある。彼女はそうするだろうか。それよりも先に、オレがそうするのだろうか。考えるとうんざりしてくる。だが、こればかりは逃げるわけにもいかない。相手を殺したって意味がない。それに、嫌いじゃあないうんざりというのもあるのだろう。