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花を騙る亡霊


いつも同じようにここにきた。いつも彼女の顔が見たくて訪れた。ノックをしても反応がない時は扉にジッパーをつけて、静かに聖域に入り込む。

決して家賃が安くはないマンションの一室。この家には寝室が二つあった。白と黒で統一された色のない手前の寝室と、それよりも奥にあるもう一室。いつもはきっちりと閉じられているそこの扉が少し開き、カーテンのを通したおかげでレースの柄が映された光が廊下まで漏れている。誘われるように部屋へと入った。

シーツの上に転がったヘヤピンやマニキュアの小瓶、読みかけの本、かじられて半分になった小さなバッチチョコレート、まだ包装紙に包まれてきちんと並んで入っている箱とリボン、カセットプレイヤー、そこから伸びるヘッドホン、毛足の長い、水色のふかふかの毛布。
そして、そんなものたちと一緒になってシーツの上に寝転んで、目を閉じてきもち良さそうな表情を浮かべる少女。

ベッドに腰掛けてその顔を眺めた。指の背中で彼女の頬を少し撫でる。下着姿のまんま、寒くないんだろうか。投げ出された白い手のそばに落っこちている半分になったチョコレートを口に放り込んでみたら、目眩がしそうなほど甘かった。

髪が乱れて剥き出しになった彼女の額を撫でて、少し開いたままの唇に口付けた。触れるだけで終わらせるはずだったが、どうにもやめられないままに何度も繰り返し、最終的に彼女を起こしてしまった。
ん、と鼻から抜けるような声が漏れて、彼女から唇を離す。長い睫毛が持ち上がるのを眺めた。映画のワンショットのように、彼女は美しい。

「ブチャラティさん」
「おはよう」
「……なにしてるの?」
「なにも」
「うそつけ。チョコレート泥棒だわ」
「ふ、どうしてバレたんだ」
「チョコの味がしたの」

花が開くように彼女が微笑む。化粧もしていない彼女は遠慮なく眠たそうに目をこすって、重力に落ちるオレの髪を撫でた。このオレの生まれ持った黒い髪が、彼女は好きだといつも言う。

「久しぶりだね」
「オレのことを覚えていてくれたか?」
「どうして忘れると思うの?」
「ここにはいろんな男が来るだろう」
「この部屋まで勝手に入ってきちゃう人はあなただけだよ。どうやってるの?」
「企業秘密さ」
「いつか教えてくれるかしら」

化粧をしていない彼女は本当に幼く見えた。実年齢は知らないが、きれいに化粧をしてきれいに服を着ている時の彼女はオレと同じくらいに見える。

「今日は休みか?」
「そう。今日は一番のお客さんも、お断り。電話線だって抜いてるの」
「休みを邪魔して悪いな」
「いいの」

休日をのんびりと過ごす彼女はオレがここに居ても良い理由を言わないままに、身体を起こすと毛布を肩に羽織った。そばに無造作に落ちてる箱を引っ張り寄せると、銀色の包紙を剥がす。そして現れたチョコレートをオレの唇へと運んだ。
またあの甘い味が口の中に広がる。ヘーゼルナッツや、柔らかいクリームになったチョコレートの甘ったるさ。

「うまいな。甘すぎるけど」
「この甘さが大好き」
「お客から貰ったのか?」
「誰かからもらった食べ物は食べないよ。この部屋には、わたしが買ったものだけ」

そう言いながら、もう一つチョコレートをつまみ上げた彼女の指先が、やはり丁寧に包み紙を開き、その柔らかな唇の中に運んだ。
とろけるような顔をして、彼女は機嫌良くオレの膝よりも少し上のあたりに手を乗せた。彼女が甘える時にする行動である。

「参ったな。オレが前にプレゼントしたお菓子もきみの胃には入らなかったのか?」
「あれは近所の女の子にあげたわ」
「友達?」
「そう、友達なの。8歳くらいで、たまに顔に痣を作ってる女の子」
「……」
「あの子は猫が好きだって」

それを聞いて、黙って彼女の長い髪を撫でた。彼女は静かにオレを見つめている。
艶やかな髪はその見た目に忠実な手触りをしており、オレの手に柔らかな感触をくれる。不思議な魅力で数多の男を絡めとり、決して抜け出せなくさせてしまう、この不思議な娼婦の少女は一体どうしてこんな風に暮らしているのだろうか。

キスをすると首に腕がまわった。毛布ごと彼女を抱きしめて胸に閉じ込める。そのまましばらく、彼女の頭を撫でていた。

「……しないの?」
「休みの日まできみに仕事をさせないさ」
「……でもあなたは、どんな時でもお金を払っていくわ」
「この家への入場料ってもんだろう」
「みんな、わたしの身体への入場料を払うのよ」

突き離すようにオレの身体を押し除ける彼女に従った。彼女は静かな顔をして、瞬きをしながら、肩から落ちた毛布をそのままにどこか下の方を見つめていた。彼女の眼は大きく、どこかをじっと見つめる時、時折そこから甘い色が消えた。

 左目に痣を作った女の子と一緒に地面に膝をついて、短くなったチョークを握りしめ、二人でせっせと猫の絵をたくさん描いている姿が脳裏に浮かんだ。あの日はよく晴れていて、化粧をしていない彼女は惜しげない笑顔を小さな女の子に向けて、熱心に優しく話しかけていた。そしてそれに応えるように、女の子も笑っていた。
二人は姉妹のようで、姉に見える彼女はまるで、街に住む普通の学生に見えた。

愛おしい、この少女が。やさしいところを隠し、本当か嘘かわからないような軽薄な喋り方をわざとするこの子が。この仕事をしている理由を決して口にしない彼女が。

「気分を害したかな」
「……他の子のところに行けば良いわ。あなたはきっと女の子に困ったりしないでしょう」
「オレはもうずっと、きみの元にしか来ないよ」

顔を上げた彼女は何度か瞬きをして、唇を開き、何かを言いかけて、そしてやめてしまった。肩から落ちた毛布を元に戻してやると、彼女は毛布の端をつかんで真ん中に引き寄せて、寒さに耐えるかのように毛布にくるまった。

「……わたしの言葉は、きっと重みがないから、言わないでおく」

あの小さな女の子に話しかけていた時のような柔らかで少し力の抜けた話し方ではなく、平淡で確かな声色でそういった。その血色の良い唇から、一体どんな言葉が出るはずだったのだろうか。オレにはわからない。

ほんのりと笑っているその表情は寂しそうに見えた。唇をほんの少し動かすだけで笑顔にも、泣きそうな顔にも見えてしまうような、そういう不思議な少女であった。

題名:徒野さま