きみは憂いを秘めたメロディのよう
「おいギアッチョ、ナマエとイイ仲らしいなぁ?」
突然、どこからともなく現れて肩を組んできた男がそう尋ねた。ホルマジオである。いつのまにかアジトにいたらしく、すぐ隣にある奴の顔を見ると、いつもみてーにどこか怪しげな調子で笑っていた。
「どんな手使ってあの女モノにしたんだよ」
「るせーな関係ねぇだろ」
「なぁ〜オレにだけ教えてくれって。あいつ、オレのもイルーゾォの誘いも断ってんだぜ。プロシュートあたりも声かけたことあんじゃあねぇのか?ちと変わってるがいい女だよなぁ?」
「それがなんだっつーんだよ」
「だからよぉ〜。なぁんでおまえには懐いてんのか気になってしょうがねぇんだよ」
懐いてる。その言葉には違和感しか覚えなかったが、ホルマジオの顔を押し除けながら実の所優越感を覚えずにはいられないおれは、かなり見栄を張った答えを返した。
「オメーらとは女落とすテクがちげーんだよ」
☆
「うるさいバカ死ね!」
「ああ!?うるせーのはテメーだろ!?」
薄暗い部屋の中に罵り合いの言葉が飛び交っている。これがベッドの中での、一応恋人という名目の元に時間を過ごす男女の有様だろうか。何がテクだ。ナマエに手も出せてねぇことがあいつらに知れたらとんだお笑い種じゃあねぇか。
ことの発端は彼女がちょうどおれに素っ裸にされたところだった。一言で済ませると情緒もクソもないが、ベッドに誘ってたっぷりキスをしながらゆっくりとマノロの靴とやらを脱がせて、服を脱がせて、胸や背中をやんわりと触っていた。おれにしてはかなり自分を抑えつつ彼女に合わせて進めていたつもりだったし、そんな彼女も今夜は拒む態度を見せなかった。
いつも気怠げでぼんやりして見える。それなのに常に見目を完璧に整えているナマエは、隙があるんだかないんだか、なに考えてんのかわかんねぇような、妙な空気を纏っていた。ずっと誰にも気を許さない奴なんだと思っていた。
しかし、最近の彼女は二人きりでいるとよく笑ったし、おれを笑わせるような冗談も言った。怒ったり泣いたり、甘えた態度だって見せた。
そんな彼女が熱を孕んだ瞳でおれだけを見つめている。戸惑っているのか、おれの腕や首、背中にずっとすべすべの手のひらが触れていた。筆舌に尽くしがたい情欲を感じる。彼女への愛情が、支配欲がない混ぜになり、おれをどうにかしてしまいそうなほどに。
意地の悪いことをしてやりたくなるのを抑えるってのは難しいものだと知った。今はまだだ、これから先にとっておいてやろうじゃあねぇか。
そんなところで大騒ぎになった。原因そのものは至ってシンプルだ。彼女のパンツを脱がせてたら枕の横に小さな蜘蛛が現れ、それを見つけた彼女が叫び声をあげておれに抱きついてきたのだ。一瞬驚いて固まったが、ほんの小さなクモを怯えたように見つめる彼女の横顔があんまり可愛くて笑った。
「ギアッチョたすけて!凍らせて!」
「こんなもんにスタンドなんか使うかよ」
「イヤ!あれに少しでも触ったら一生キスしないからね!」
それは心の底から勘弁願いたかったので、名残惜しくも柔らかな胸を押し付けて抱きついてくる彼女を離すと、おれは自慢のホワイトアルバムでたかがクモを処理することになっちまった。さっきまでの色っぽい空気は、甘ったるい声はどこに行った。
クモを少し厚めの氷ができるくらいに凍らせて、彼女が持ってきたダクトテープでぐるぐる巻きにして窓から投げ捨てた。爽快な遠投であった。どこかの窓ガラスにぶつかって割れたような音がしたが、悲鳴まで聞こえた気がしたが、まあいいだろう。なんだこの作業は。しかし服も着ずに慌ててテープを取りに行ったナマエの後ろ姿は死ぬほど可愛かった。
きちんと閉めた窓から振り向いて、ベッドの端でブランケットにくるまり身を縮こまる彼女の元へと一目散に戻った。クモを凍らせたせいで部屋の中はかなり低温になっていたのだ。
よしこれで、もう邪魔者はいない。
ナマエは手を伸ばして、肩からブランケットが落っこちるのも構わずにおれをベッドの隅っこへと迎え入れた。冷えた手のひらが、腕が、身体がおれに絡みついてくる。裸の上半身で柔らかな身体を抱きしめると、肌全体で彼女の身体の緊張や、おれに縋ろうとする態度を感じ取れる気がした。さっき身体に触っていた時よりも更に興奮してくる。仲間内ではよくわからねぇ女だと思われているこいつの、こういう人間らしい態度がおれは好きでたまらない。
「虫なんかがダメなのかよ」
「クモだけイヤなの……脚が8本もあるんだよ?」
「理由になってねーよ」
そう言ってみても少しも離れようとしない、あまりに深刻な様子の彼女に笑ってキスをした。彼女も夢中でそれに応えてくる。仕切り直しになったが、こんな風に余計に甘えてくるんだったらクモに感謝してもいいかもしれない。殺しちまったけどな。
口付けながら、雪崩れ込むようにナマエをまたベッドへと押し倒した。膝をベッドの端について、投げ出された美しい脚を跨ぐ。さっきみたいにベッドの枕にきちんと寝かせてはいないが、彼女の好きなムードとやらはとっくに消え去ったのでこの際どうでもいい。
ここまで、まじに長い道のりだった。思えばこの女が処女だっつー告白をおれが疑ったことから始まり、おれたちはトントン拍子にホルマジオの言うところのイイ仲≠チてやつになった。しかしこの数ヶ月は本当に長かった。セックス無しのお試し期間を提案したのはおれだったが、好きな女といちゃつけるのにセックスはできねぇだなんて、天国なのか地獄なのか訳がわからなかった。
おれはたぶんずっとこいつに気があった。自覚は遅かったが、思い起こしてみると彼女に似た女ばかり漁っていた気がする。小さな仕草を覚えるほどに自分がナマエを観察していたのだと考えてみると、いい大人が中々青臭くてどうしようもねぇなと思った。ずっと、こいつと二人で喋るのがおれは好きだった。
そこから考えたらとんでもねぇ快進撃じゃあねぇか。これで万事うまく行った。おれの勝利は目前である。腕の中に、おれに身体を許した、愛する彼女がいるのだから。
唇を離して、好きだと言ってやろうと思った。言葉にして彼女を落ち着かせてやろうと。しかし先に言葉を放ったのは、あの日のテラスでのように泣き出しそうな顔をした彼女の方だった。
「ねぇギアッチョ?もう無理、クモが出たベッドなんかでセックスできないよ」
「ああ?じゃーソファーでいいだろ」
とにかくおれはさっさと彼女の身体を味わいたかった。目の前でエロい身体した好きな女が長らく裸でいるんだ、誰だって急ぎたくなるだろう。だが、そのおれの返事が良くなかったらしい。何故良くなかったのかはたぶん一生わからねぇ。
彼女はまずさっきの騒動でベッドの上に転がってた枕を引っ掴むと、流れるようにおれの頭をそいつでぶん殴った。
そこからいつもの言い合いの大騒ぎに至るわけだ。
「あなたってほんとに最低!バカ!」
「あんなもんに邪魔されてたまるか!おれがどれだけ我慢していると!?こっちは勃ってんだよ!!」
「知らないわよ!バスルームでどうにかしてくればいいじゃない!」
いよいよ泣き出した素っ裸の彼女とベッドの端で向かい合う形となった。彼女は未だに枕でおれを殴っている。白い羽毛が宙を舞っていた。
白い羽毛の中で、とにかくおれは自分の失態に心底腹を立てていた。始めはそのせいで散々に言い返していたが、途中からは最早諦めていた。どうやらおれはまたこいつを抱くことができないらしい。
ため息をついて、彼女の持ってる枕を引っ掴むと取り上げた。
「わかったって……ほらこっち来いって」
別に無理強いをしたいわけじゃあない。こいつの望むように事を進めたい。
涙で目元を濡らす彼女は大人しく腕になだれ込んできて、おれの肩に鼻先を埋めると静かになった。だからその身体をゆったりと抱き上げてクモが出たベッド≠ゥら立ち上がり、(ソファーへ行くとまた暴れ出しそうだったので)さっきおれが華麗なる遠投を披露した窓際へと向かった。奥行きのある窓枠に座り、彼女を膝に乗せて窓を開ける。
ここで二人で世を明かしたことが何度かある。どうでもいい話を散々していたり、黙ってたり、酒を飲んだり、音楽を聴いてたりした。互いに心地よく、どれもいい夜だった。だが今夜は違うようだ。ナマエはおれの膝にいて、めそめそと、珍しく縮こまって本気で泣いているのだ。
「なぁ、何故クモだ?……なんかあるんだろ」
頭に乗せた手で、親指だけ動かして彼女をやんわり撫でる。これをすると彼女はいつもうっとりした顔を見せたからだ。涙に滲んだ声が聞こえる。
「……クローゼットにいた」
「クローゼットぉ?」
「中に隠れたら、おっきなクモがいたの。怖くて叫びたいのに、できなかったの」
震えた声であった。未だ話は見えない。ベッドにいたクモの話ではないらしい。しかし頭にあった手で背中を撫でると、荒かった呼吸が少しずつ落ち着いてゆくのがわかった。彼女の胸の動きや、肩に触れる呼吸でそれを感じる。彼女は静かに喋り続けた。
「扉の隙間から、ママが知らない男に犯されて、殺されるのを見たわ」
黙って彼女の言葉を聞いていた。頭の後ろを撫でてこめかみに口付ける。それ以外におれにできることはなかった。
彼女が黙ると部屋に沈黙が訪れた。彼女の髪についた羽毛をとったり、耳を髪にかけてそこにキスを落としたりしていながら、彼女の性欲が人並み以下の訳を、身体を許す相手をずっと密かに慎重に待っていた訳を、おれは静かに考えた。
いつも、今のこの気持ちが頂点だと思う。しかし毎分毎秒標高は上がり、彼女への想いは昇るようにおれの中で果てしなく募ってゆく。こんな気分を、彼女に会うまでおれは知らなかった。
肩から鼻先を離した彼女はもう泣いていなかった。
「ギアッチョにしか話さない」
「……何故だ?」
「あなたがわたしの気持ちにぴったりなの。間違ってなかった。ギアッチョが好き」
そう言う彼女から唇にキスをされる。巧みなやつを彼女はいつもくれるのだが、その時は甘えるように何度も短いものをされた。どうしようもなくかわいかった。
こんなに大騒ぎばかりのおれたちだが、彼女にとってはそれでもぴったりに思えるらしい。おれたちの関係は常に雨霰である。良いものも悪いものも同じくらいに激しく降り注ぐ。あんまりそんなところにいるとどっちがどっちかも分からなくなってくるが、おれたちはたぶん、そういう場所や人生がお似合いだ。二人してそん中を駆け抜けるしかない。
窓際は寒いので、その後ソファーに彼女を連れてった。どさくさにまぎれてまた押し倒して胸に触れたら今度は拳で殴られた。やはりおれたちのセックスは、まだ当分お預けらしい。まあ、それでもいいかと思った。