ばけものはスカートのなか
また知らない男と寝た。家に帰ってみたら、さっき別れたはずのその男を瓶に詰めて、膝に抱えている男がいた。
寝室に、当たり前のように彼はいるのだ。こんな風に現れる時の彼は少し気が立っていたり、殺しで興奮していることが多かった。いつもそんな彼に受動的に抱きしめられながらキスしたり、眠ったりした。
だからわたしにはどうすればいいかわからず、ぼんやりその姿を眺めてたら、ゆらりと立ち上がった彼が歩み寄ってきてわたしの手に触れた。かさついた彼の手。それに掴まれて、引っ張られるように、数歩先の彼の胸に抱き寄せられた。
「ナマエ」
どこか祈るような声が耳元で低くわたしの名前を呼んだ。誰も知らない本当の名前を、彼にだけ教えていた。わたしがこの名前を誰にも言わないのは、隠しているからではなくて、とっても大切にしているからだった。
「ホルマジオ、抱いてくれる?」
大きな手のひらが背中を撫でた。それからぎゅうとさらに強く抱きしめられる。わたしたちは恋人じゃあない。だけどとても近かった。この世の中で、わたしにとっては彼の心が一番そばにある。だからそこに肉体の関係を入れてしまうことへの恐怖と期待が、同じくらいにあった。
覚悟と諦めと受容は似ていると思う。
恋と友情と愛情が似ているように。
瓶の中の男が蜘蛛の毒で力尽きるのを偶然見た。ベッドの上で、彼がわたしの胸に唇を寄せている時だった。それだけでわたしは息が上がって、枕の上で顔を背けた拍子に、低いテーブルの上のそれが見えたのだ。ホルマジオはわたしの視線に気がついて、同じようにそちらをチラリと見た。
「死んじまったな」
「うん」
「あいつもつまんねぇ男だ」
「つまんなくない男の人と寝るのは初めてだから、緊張してるの」
「オメーはリラックスしてりゃあそれでいい」
それでいいのかな。いろいろと、わたの方から彼にしてあげなければならない気がする。そう考えながら天井をぼうっと、胸に与えられる刺激に酔いながら、彼の頭に触れながら見ていた。彼の指先や舌のせいで時々肩が揺れて、短く息を吸い込んだ。
びっくりしてわたしがベッドに後ろ手をついて起き上がったのは、彼がヘソのとなりのあたりにキスをしてから、さらに下に下がってきたからだ。顔を少し持ち上げたホルマジオと目があった。
「あの男どもにはされたのかよ?」
「させなかったよ……!」
そう言うと、わたしの足首を掴んで広げさせて、意地悪く笑うホルマジオがいた。腰を引いて逃げようとしてもそのせいでできなかった。彼がわたしの脚の付け根にくちびるを寄せるのを、まざまざとこの目に見てしまった。
「あっ、ホルマジオ、まって」
言葉も虚しく、彼の舌が触れた場所から身体中がびりびりするような気がした。後ろで手をついていられなくなったわたしはまた枕に倒れて、溢れ出てくる声をどうにか隠したくて自分のおやゆびに歯を立てる。
「あいつらに聞かせて、オレに聞かせねぇなんて無しだぜ」
しかし身体を起こした彼にその手首を掴み上げられた。頭の横あたりに手首を縫い止められて、反対の彼の指の腹がさっき舌で触れたところを触る。だけどそれだけじゃあなかった。他の指がそこより下、初めてこんなに、ってくらいに濡れてることが自分でもわかる場所に触れた。ゆっくりと太い指が入り込んだ。熱いな、と彼が呟く。
ゆるりと出し入れされたり、へそのほうへと内側から撫でられると、どうにかなりそうだった。こんなの動物みたいだ、彼にみられたくない。だけどホルマジオはわたしが隠したり、逃げようとするのを少しも許してはくれなかった。顔を背けようとすると荒々しいいつものキスをされて、ひどいことに、そのまま指の出し入れを早めたり、突起を触ったりするのだ。
意地悪だよって、キスの合間にそう言うと彼はわたしの言葉に相応しくやはり意地悪く笑った。
だんだんと気持ちは、さらにぼんやりとしてきていた。彼の指やキス、触れる肌がきもちよくて仕方がない。こんな風に感じるのは初めてのことだ。自分がとても動物的であると、頭の中のどこかで咎められるような気がした。だけど喉奥から漏れる声は抑えられず、ホルマジオはそういうわたしを見て満足げだった。
「いきそうだろ?」
「えあ、わ、わかんない、あっ、あ……ッ」
「中すげえ締まるし、身体震えてる。声もかわいいぜ」
なにかとても恐ろしいような波が迫っていた。わたしの手首を掴んでいる彼の手を握りしめて、もう片方の手でシーツを握ってしまう。掴まっていないと何処かへ連れて行かれそうなのだ。脚が痙攣し始めている。どうにかなる、いやだ、そう思ったところで言葉にしても、彼はやめてくれなかった。
何かを越えてしまうような感覚があった。気がついたときには震える脚の、わたしの膝に口付けている彼と目があった。ぜえぜえと、わたしは息を切らしていた。
「……ずっと見てたの?」
「もうなにひとつ見逃さねぇよ。イく顔可愛かったぜ」
「あっ……ん、ねぇ、わたし、何もしなくていいの?」
わたしの脚の間に腰を割り込ませた彼にそう尋ねる。熱が触れると声が漏れた。そんな自分への嫌悪と、彼への申し訳なさが淡くわたしを取り巻いていた。
「今日は全部オレにやらせてくれよ。瓶詰めの奴らみてーに、オレたち一回きりってこたーねぇだろ?それともオレを殺しにくる奴がいるのか?」
「ふふ、いるわけ……」
おでこを撫でられてキスをした。この人の手が額に触れるのが好き。初めてキスされたときもこうだった。
初めて男の人を好きになったし、初めて抱きしめてほしいって思った。距離はどんどん縮まって、楽しく過ごす時間は増えた。だけどわたしはどこまでも彼の侵入を許さなかった。ホルマジオをたくさん傷つけたと思う。それなのにこうして優しくしてくれる。
彼はゆっくりとわたしの中に入ってきた。おでこを撫でたり、キスをしたり、男の人にそんな風にされるのは初めてだった。この人はわたしと一緒に気持ちよくなろうとしているのだと、全てが収まりきるころに、バカなわたしはやっと気がついた。
「苦しくねぇか?」
「あ…あ……きもちい、ホルマジオ」
「涙出てるぜ。オレのシェモッタ」
彼の指が涙を拭う。ちょっと意地悪な、だけど甘い呼び方にうっとりする。初めからこの彼に抱いて貰えばよかった、とは思わなかった。なるべくしてこうなって、彼への愛情が、こんなにも満ちているのだと思った。
ちょっと彼には、申し訳ないと思ってるけれど。わたしには必要な段階だった。最初から彼に嫌悪などない。自分に対する嫌悪と戦うには、勇気が必要だった。
毛布の中で目を覚ました。きちんと身体にかけられていたそれをかぶったまま身体を起こしてみると、窓のところに彼が座っているのが見えた。
視線がまじりあう。どうしてか、そばにいてくれないとさみしくてしょうがない。ホルマジオはわたしを見るとタバコの先を灰皿に押し付けた。それは彼のためにわたしがいつだか買ってきたものだ。そんな彼に話しかける。
「……セックスしなくても、好きって言ったでしょう」
「ああ」
「しちゃったら、もう興味なくなったりする?」
ホルマジオはわたしの言葉を聞いて笑った。それから、いつもの口癖を言った。立ち上がって、わたしのいるベッドに歩いてくる。
「安心してくれよ。今まででおまえと一番近いって感じてる」
彼がゆったりとベッドに戻ってきて、寝起きでぼんやりしてるわたしの腰を掴んで引っ張り寄せる。煙の香りにぎゅうと抱きしめられるのは好きだった。
彼の膝に乗って、いつもみたいに口付けた。今まで通りのキスなのに、なんだか全く違うように感じられるのはどうしてなのかな。
「ごめんね」
「ん?」
「最初があなたじゃなくて、ごめんなさい」
「最後はオレだろ」
「うん。例えあなたに振られても、もう他の人とはしない」
「ふ、オレが振る側なのか?」
「そうだよ。いつもわたしは不安なの」
笑い出すホルマジオがよくわからなくて、彼の腕の中で少し身体を離して、じっと見つめていた。
「……キスしていい?」
「改まってどうしたんだよ」
「わかんないけど……」
彼を余計に好きになってしまった。女としての面倒な部分が、身のうちからドロドロと溢れてくる。わたしはこの人に、たぶん完全に、恋をしてしまっていた。漠然とした愛情だけじゃあなくて、そう言う甘い気持ちが芽生えてしまっていた。こういうのって怖い。もう逃れられないのだと思い知った。
みんなこんなのに、どうやって立ち向かってるの。世の中の女の子たちって。
ホルマジオにキスをしてもらって、彼の方に甘えるように体重をかけた。やっぱり背中を撫でてもらうのは気持ちいい。
わたし、どうしてしまったんだろうか。今にも泣き出しそうだった。
「ナマエ。愛してるから、そんな顔すんなよ」
「……わたし、あなたに女にされちゃった気がする」
「色っぽいこと言うじゃあねえか」
わたしは裸のままだった。彼の熱い、ちょっとかさついた硬い肌にずっと触れていたい。また彼とセックスがしたかった。だけど少し、逃げ出したかった。この人がこの世でいちばんに好きだった。
題名:徒野さま