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「#幼馴染」のBL小説を読む
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流砂の縁でワルツを


静かに、店の奥のカウンターで本を読む姿を知っていた。その店は朝8時から夜8時までの営業時間を謳っており、それが一人の店員によってきっちりと守られていた。

店員がいるカウンターへと通ずる道は三つあった。4台の巨大な本棚が縦に並べてあるから、それを縫って奥へと進まなければならないのだ。ラテン語の本だとか、よくわからねぇ、誰が読むんだっていう専門書なんかが幾段もある棚達にぎっしりと隙間なく並べられていた。カウンターの真上にもフロアの半分くらいの広さの中二階があり、そこの壁にも天井まで、深い色の背表紙を持った本達がきちんと並んでいた。
そのどれもが埃をかぶってないのは、この店が毎日よく手入れされているせいであろう。

何度ジョルノの使いで、おれはこの古臭い本屋に訪れていた。まるで若い一人娘が店主の代わりに店番でもしているかのような風貌の彼女は、この組織のれっきとした幹部の一人である。長らくおれが下っ端として組織にいた頃から、年の変わらない彼女はこうしてこのシマで幹部として過ごして来たらしい。

彼女を現在よりも上の立場へと昇格させる気がジョルノにはあるようだが、いつも彼女はその誘いを断っていた。幹部にしちゃあ小さなシマから離れずに、本屋の店番なんかをして毎日を過ごしている。そういうつまんない人間であった。

なぜこいつが幹部になることができたのかいつも甚だ不思議で仕方がない。調べ物≠ェ得意だと聞いていたが、それにしてもとんだラッキーが彼女の元に訪れたのではなかろうか。おれにはよっぽど、ブチャラティの熱い人望や冷徹な判断力の方が幹部に相応しいと思った。
なぜあいつが死んだのだろうか。そしてなぜおれは、こんなふうに生きて、以前から噂に聞いていたこの若き幹部の元へとやって来ているのか。

「今の立場以上のものはいりません。わたしはこの街が守れればそれで構わない」
「わかってるだろうが、あんたのその振る舞いは信頼を失っているのと同じことだぜ」
「そうは思いません。十二分に上がりで貢献しているし、わたし達は与えられた任務は全てミスなくこなしています。暗殺チームがやってた汚れ仕事だって、わたし達がどれだけ片付けているかわからない。信頼に足る働きだわ」

自分の立場の話の時、彼女は決まって複数の一人称を多用した。そして彼女の言う信頼とやらは、あくまで彼女の中で定義されているもののようだった。
彼女にはチームがあった。5人ほどのスタンド使いを側近に置き、その下に更に、組織の構成員が彼女に追従している。奴らはどうやら組織というよりは彼女のために心血を注ぎ働きまわっているらしく、ジョルノはそれを危惧していた。彼女のいまだ全貌を掴まれていない能力と、その得体の知れない部下達を早々に手中に収めてしまおうと考えていた。そのためにおれたちは彼女の信頼が欲しかった。

かつてのおれたちや暗殺チームのように、無反者が出てもおかしくはない。しかしジョルノには潰してしまう気はないらしい。おれも賛成だ。そこ知れぬ彼女達を完全にこちらの力にできてしまえば、その調べ物≠フ腕を手に入れてしまえば、組織はより一層強固なものとなる。だからわざわざおれはこんな風に、この女に恋でもしてるみたいに足繁く通うのだ。
ひとまず、本日もおれは退散することとなった。今日与えた条件も跳ね除けられた。ブチャラティとは違うおれたちは一つずつ理詰めに信頼を勝ち取るしかない。

「ねぇミスタさん」

インクと紙の匂いに満ちた本屋を出ようと、開け放たれた扉へと向かっているところに声をかけられる。この女が自分から話しかけて来たのは初めてだった。

「ブチャラティって幹部がいたでしょう」

突拍子もなく投げられたその名前に振り返る。彼女は相も変わらずカウンターの奥に座って、本から視線を離してはいなかった。

「……彼、ほんとうに死んだの?」

しばしの沈黙の後に投げられた質問におれは黙っていた。それが1番の説得力を持つと知っているからだ。
なぜそんなことをこの女が尋ねるのだろうか。どんな方法を使っているのかは知らないが、彼女の特技は諜報じみたことのはず。そんなことはとっくの昔に知っているはずであろう。
しかし彼女はおれの態度を感じ取って、今一人の男の死をようやく理解したようだった。そう、と呟くと深いため息をついて、それから一度閉じた唇を開く。

「いつも死ぬべきじゃない人が死ぬ」

うんざりしたような、諦めてしまっているかのような憂いを孕んだ、彼女の言葉、表情。おれも少しそう思った。そして、少し違うと思った。死ぬべきかそうじゃあないかってのは他人が勝手に決めることだ。
しかしこいつは自分自身が死ぬべきと思ってる口であろう。なんとなく、そういう気分がうっすらとわかった。

そして途端におれの中で地殻変動みたいなもんが起き始めた。突然目の前の彼女の印象に奥行きが生まれる。初めて読む、退屈そうに思えた小説の登場人物が、物語が進むにつれて印象的に彩られてゆくように。
まるで今までの人生を彼女と共にしてきたかのように思えた。見えないところでずっとそばにいて、おれたちは並行して走ってきたのかもしれないとさえ。
書面でしか知らない彼女が幹部に至るまでや、彼女がどうしてか一部の者から激しく熱烈に集める人望の謎、なんとなくその輪郭を掴めたような気がした。そしてこの女がいつも気怠そうな理由も。

本のしおりを指先で弄ぶ彼女のもとへ歩み寄る。彼女の顔を照らしていた、店の入り口から降り注ぐ日光をオレの影が遮った。

「なぁ、恋人になろうぜおれたち」

伏せられていた睫毛が持ち上がる。虚ろだった瞳が真っ直ぐにおれを捉える。それが嬉しかった。浮き足立って、踊り出したくなるような気分がこの身全体を痺れるように支配する。おれはその状態の名前を知っている。

「なにを言い出すの?そういう作戦?ただの悪趣味?」
「どれも違う。あんたに今、恋したんだ」

余計に彼女は怪訝な顔をした。そりゃあそうだと思いつつも、少しも後悔はない。

「……これだからイタリア人ってイヤ」
「へぇ、どこの出身なんだ?教えてくれよ、あんたのことを全部」

深い緑で塗装されたカウンターの木材、その上に開かれた本の上にある手のとなりに自分の無骨な手を乗せる。おれは笑っていた。自然と笑みが溢れてしょうがないのだ。そうすると訝しげに眉をひそめていた彼女の方も呆れたように笑った。初めて見る顔は、思いのほか人間らしく、そして少女らしい可愛いものだった。

「泣く子も黙るような、冷徹なガンマンじゃあないの?」
「間違っちゃいねえよ」
「だけどあなたって血が通ってるんだね」
「そう言うあんたもな」

彼女の中でも、もしかしたらおれと同じような天変地異が起きているのかもしれないと思えた。彼女の滑らかな手の甲に触れて、身をかがめて頬にキスをひとつする。

「唇にしないの?」
「急ぎたいタイプなのか?」
「質問に質問で返さないでよ」

立ち上がった彼女が、たぶん爪先を伸ばして、セーターの襟を掴む。引き寄せたおれの唇にキスをした。店の扉は開いたまんまだってのに、彼女は長くあまったるいものをくれた。おれの好きなタイプのやつだった。

ジョルノは怒るだろうか。別に彼女を組織に引き込むためにこうしているわけじゃあない。おれは一個人として、この彼女と二人で、同じ時間を過ごしてみたいと思った。

「デートでもしようぜ。楽しませるから」
「わたしがここを閉めたら部下がびっくりする。みんなの帰る場所なの」
「ランチものんびり食えねえのか?この店の営業方針はこの国に相応しくねぇなーあ?おれたちはどんな日も食わなきゃならねぇんだぜ。それがあんたにはわかるだろう、痩せたシニョリーナ」

じっと見つめられる。まるで本のページを捲るようにおれを、興味を持って探っている。生き生きとしたこの顔を見ていると、毎度見るたびに嫌気が差していたつまらなそうな表情も愛おしく思えた。

「……みんな、ランチに行かせてるの。彼らがお腹いっぱいになって、帰って来たらね」

自分の部下たちにはきっちりと食事をとらせていることに、また彼女の性質を知る。

彼女の部下達が腹を満たして帰ってくるまで、おれは一人でいる彼女のそばに座っていることにした。彼女が奥から持って来た本を与えられたので、それを開いて読み始める。昼下がりの時間は、彼女との遅いランチは有意義だった。戻ってジョルノに何を言われるのかってのを、考えないでさえいれば。

題名:徒野さま