10嫉妬
何度も何度も体を洗う。
あの男に触られたところを、何度も何度も。
汚れてしまった気がした。
ヴォルデモートにしか触れられたことがなかったのに。
不用意に部屋を出た自分が恨めしい。
タオルに手を伸ばすと、肩に鈍い痛みが走る。
バスタブの横に飾られた全身鏡を覗けば、噛み跡がくっきりと赤黒く刻まれていた。
ヴォルデモートのものである、しるし。
そっと指で撫でながら、消えないようにと祈る。
すっかり冷めてしまったスープに申し訳なさを感じつつも、わたしはベッドに潜り込んだ。
しかし、悪夢に苛まれ何度も目が覚める。
屍となった男が襲ってきたり。
ヴォルデモートがもう部屋に訪れなくなり、別のしもべを連れていたり。
泣き疲れては眠る、の繰り返し。
「こいつかい?」
「ああ」
そして次に目を開けたときには、椅子に拘束されていた。
何が起きたのかわからず、のろのろと状況を確認する。
両手首はしっかりと背もたれに固定され、少し痛かった。
お腹も縄でぐるぐる巻き。
両足首も椅子の脚にくくりつけられていた。
目の前にはここに連れてこられた日以来ぶりのルシウス・マルフォイと、豊かな黒髪の女性がこちらを見据えている。
女性はわたしの肩の噛み跡を見つけるや否や、杖を振り上げた。
「アバダ「ベラトリックス!」
ルシウスがその手を制し、女性のバランスが崩れる。
そのまま肩を掴んで女性を説得し始めた。
「言ったろう! あのお方はこの者の為にガーズを殺したと!」
「だから何だい?! こいつを殺したらあのお方は私を殺すとでも?!」
「慎重に扱った方が良いと言ってるんだ。元よりお前は性奴隷を殺しすぎて叱られたばかりだろう」
この女性がベラトリックス・レストレンジ!
ハンスによく、あなたを殺すなら彼女の確立が高いでしょう、と言われていた。
ヴォルデモートへの忠誠が深く、体の関係を持つ性奴隷を嫉妬して、よく殺してしまっていたと。
「予定通りに進めよう」
興奮気味のベラトリックスを制しながら、ルシウスは胸ポケットから目薬のようなものを取り出す。
そしてわたしの方へと歩み寄った。
「口を開けろ」
後ろでベラトリックスが「勿体無い」「拷問の方が手っ取り早い」などとルシウスを責め立てている。
何する気なんだろう。
不安しかないが、拷問されるのは嫌なので素直に口を開ける。
ぽたぽたと舌の上に液体が垂らされたが、少量すぎて味もよくわからない。
飲み込ませるために水を荒々しく流し込まれ、軽く咳き込む。
溢れた水が顎を伝った。
「言え。お前は本当にマグルか?」
「はい、」
な、何これ?
口が勝手に答えてしまう。
「あのお方に魔法を使ったり、薬を盛って、操っているのでは?」
「いえ、してません」
「本当に真実薬は効いてるんだろうね」
「……その筈だ」
真実薬。
トムの教科書に載っていた。
確か強力な自白薬だ。
事の成り行きから察するに、ヴォルデモートが部下を殺してわたしを生かしたことが、かなり不可解なことなんだろう。
2人はわたしがヴォルデモートに何かしたのだと怪しんで、探ってるんだ。
「何故、昨日、あのお方はお前を守ったのだ」
「わかりません。ただ、ペットのような、愛着を持たれているのかも、」
「ペットぉ?」
アハハハハ、とベラトリックスに大きな声で笑われ、耳が熱くなるほど恥ずかしかった。
「コイツ、身の程はわきまえているようだね」
「利口だな。確かに今までのしもべとは違うようだ」
薬の効き目は本物だ。
まずい。
このまま質問され続けたら気持ちを知られてしまう。
自分の中にしまっておきたかった。
笑い飛ばされるのが怖かった。
「あのお方のことをどうしようとしてるんだ?」
「何も、ただ、う、側にいたいな、と……」
2人の目が丸くなる。
やめてやめてやめて。
その先を聞かないで。
「……何故だ?」
「わ、わたしは、うわ、ヴォルデモート様のことを、や、お慕いしてて」
ベラトリックスが眉をひそめ、声を荒げる。
「あのお方は愛をお信じになられない!」
「……それでも、いいって決めたんです」
穴があったら入り込んで蓋をして鍵をかけたい、そんな気分だった。
2人の方を見ることができず、俯き続ける。
ほんの十数秒くらいだが、続いた沈黙はとても長く感じられた。
沈黙を破ったのは、ベラトリックス。
「……健気だねぇ」
恐る恐る声の方を見れば、初めて見る生き物を目の前にしたかのような顔でこちらを覗き込んでいる。
また笑い飛ばされるか罵られるかだと思っていたので、拍子抜けした。
「日本人女性らしいな。しかし、ガーズを殺すほどなのか」
「独占欲の強いお方だからね。確かに奴は踏み込みすぎるところがあった」
「では……本当にあのお方は、このマグルを気に入って……」
信じられない、と口に手を添えて黙るルシウスとは反対に、ベラトリックスはわたしの前にもう1つの椅子を引っ張って掛けると、興味津々で話しかけてくる。
「アンタ、あのお方のどこが好きなの?」
「自分でもよくわからなくて……。意外と、優しく扱ってくれるとことか?」
「ああ! 器の大きい方だからねぇ。以前、あのお方は……」
不本意に喋らされているとはいえ、ただの女子トークになっていることがなんだか面白い。
誇らしげにヴォルデモートのエピソードを語る彼女の顔は、1人の女だった。
さっきまで拷問を口にしていた顔とは違う。
本当に、ヴォルデモートのことを慕っているということが伝わってきた。
嫉妬に狂いやすい彼女がわたしにこんな風に語るということは、余裕があるということだ。
わたしがマグルでしもべだから、立場が違うってこともあると思うけど。
きっと、わたしなんかよりずっと長く傍にいて、ヴォルデモートの信頼も厚いんだろう。
胸の奥がズキ、と痛んで。
「もしかして、恋人……?」
薬の効果か、つい、思ったことを口にしてしまっていた。
その発言に2人は一瞬固まる。
しかしすぐにベラトリックスは笑い声を上げ、わたしの頭を荒く撫でた。
「かわいいこと言うじゃないか! ルシウス、殺すのは先延ばしにしてやろう」
「元より殺すつもりはない……」
なんだか疲れた表情のルシウスがこちらに杖を振ると、拘束していた縄がするすると解けた。
手首が固まって動かすと少し痛い。
先に部屋を後にしたベラトリックスに続き、ルシウスもドアへ向かうが、こちらを振り返る。
「自分の身の上をよく考えるんだな」
彼が残した言葉は、わたしの胸の中に鉛のように沈んだ。
確かにその通り、……なんだけど。
ベラトリックスの話を聞いて感じた胸の痛みは、明らかに嫉妬だった。
もう制御できる段階じゃない。
見返りは求めないから、想うくらい許してほしい。
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