優しい忘却――或る日の夢(涼・キョン長)


少しの間だけ長門を借用したい、という申し出を阪中から受けたのは、俺が登校して着席した直後だった。
「何かあったのか?」
思い当たる点といえば阪中家の飼い犬ルソーのこと以外に見当がつかないのだが、
「あ、別に大したことじゃないのね。ただちょっとお願いがあって…」
長門にお願い、ね。ふむ。
「よく分からんが、俺より先に、とりあえず本人に聞いたらどうだ?」
「それが…」
聞けば阪中は、どうやら既に長門に意向を尋ねたらしいが、長門は何も言わずにこの教室を指差したらしい。そこでハルヒに許可を貰おうと思ったら、ハルヒはトイレかなんかで教室におらず、そこにたまたま俺が登校してきた、ということらしい。
やれやれ。俺は軽く溜息を吐き、
「長門に伝えてくれ、お前の好きにしろ、ってさ」
今回は長門自身への依頼だ、わざわざハルヒの許可なんぞ貰う必要はない。
「うん、分かった」
そう言って、阪中はクスッと笑う。どうした?
「ううん、なんでもないのね」
それだけ言って、阪中は隣の6組へと向かった。入れ違いに戻ってきたハルヒにはとりあえず何も伝えない方がいいとして、なんだったんだ、さっきの微笑は。

そんなこんなで昼休みである。昼飯を食い終わったところで、そういや長門に本を返さなきゃならんかったことを思い出し、文芸部室に向かうことにした。長門ならたぶん部室にいるだろう。ついでに阪中のお願いがなんだったのかも聞こうかと思ったが、やめとくことにした。


部室の近くに来て、聞き慣れない声が聞こえてきた。


 望むことは何?
 わたしが問い掛ける
 なにもいらない 嘘ではなかった


間違いなくその声は、俺が向かわんとしていた場所から流れてくる。どうやら歌っているらしい。
この時間帯に朝比奈さんはいない。ハルヒは食堂に走っていったし、古泉は論外だ。ならばこの声の主は――。
ノックする必要もないので、俺は出来るだけ静かに、慎重にドアを開けた。


 消える世界にも
 わたしの場所がある
 それをしらない 自分でさえも


「………………」
予感はしていたが、俺は目の前の光景を信じられずにいた。
あの長門有希が、歌っている。
窓辺に立ち、空を見上げ、長門はリズムを刻んでいた。


 閉じ込めた意識は
 時を結び
 願いを繰り返す
 また会うまで 忘れないで


静まりかえった部室に、普段と違う高く透き通った声が響く。俺は物音を立てぬよう注意を払いながら、長門を見ていた。


 巡る日々の中
 わたしに残るのは
 記憶それとも 忘却だろうか

 やがて世界には
 眠りが訪れて
 ひとりひとりの あしたに帰る

 選ばれた未来を
 見送る扉
 願いが叶っても
 忘れないで 忘れないで

 消える世界にも
 わたしの場所がある
 それをしらない 自分でさえも
 思い出すまでは…


歌が終わったと気づいたのは、長門が振り向いて俺に向き合ってからだった。
「あ…スマン勝手に」
「いい」
先ほどの澄んだ歌声は何処へやら、いつもの淡々とした声で答えた長門は、定位置に座ると読書をはじめた。
「なぁ長門、あの歌は…」
「原詩はわたし。改編と作曲はコーラス部」
コーラス部…そういや阪中が所属してたっけか。なるほどね。
「つまり今のは、お前の歌か」
「対局的に見れば、その見解で相違ない」
その後の長門の説明をまとめると、たまたまコンピ研のHPに載せた長門の詩を見たコーラス部の一人がたまたま作曲技術を持っており、長門の詩に若干改編を加えて作曲し、出来たその歌をさっき他の部員と原詩の作者たる長門に披露した…ということだ。阪中のお願いってのはこういうことだったようだ。
長門の表情を見るに、歌の出来に満足してるようだ。実際いい曲だったしな。
ただ、俺がこの曲を聴いて真っ先に思い浮かべたのは、あの眼鏡をかけた儚げな文芸部員の姿だった。
こいつがあの時を意識してこの詩を書いたのかは分からない。聞けば教えてくれるのだろうが、何となく、聞かない方がいいような気がした。
「招待された」
ふと長門が口を開く。
「何にだ?」
「コーラス部定期演奏会」
ポケットからチケットらしきものを取り出して長門は言う。日付は二日後の日曜、つまり市内パトロールは休みの日だ。
「この歌も披露される」
「よかったじゃないか」
小さく頷いた長門は、本を閉じて立ち上がる。もう戻るのか?
「………………」
無言で歩み寄ってきた長門は、
「これ」
と、俺に何かを差し出した。
「よかったら」
渡されたのは、定期演奏会のチケットだった。
「これって――」
「もう一枚渡された」
淡々と答えた長門は、こう付け加えた。
「わたしに選択の自由を認めたのはあなた。だからわたしはわたしの思う通りに行動する。わたしは、あなたと共に演奏会に行くことを希望する」


長門が去った文芸部室で、俺は呆然としながら、長門の最後の言葉を反芻していた。
なぁ長門、確かに俺はお前の好きにしろって言ったさ。けどな、
「…まさかの俺か……」
窓から風が吹き込む。まだ冷たさの残る北風だったが、今の俺にはそれが涼しく感じられた。
一体どんな顔で教室に戻ればいいのやら。頬の緩みが抑えられず、それを元に戻そうとして、俺の顔は醜く歪んだ。アホの谷口並の顔だな、こりゃ。


長門から借りた本を返してないと気づいたのは、教室に戻って阪中の意味深な微笑を再び見てからだった。



――Fin


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後書きに変えて

版権短編第二弾です。長門が積極的過ぎる…(苦笑)
前々から『優しい忘却』を聴いてこの手の文を書きたいと思ってたので、なんとか書けてよかったです。……内容が支離滅裂ですけど(爆)

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