姫様の鳥籠 (櫂アイ)
2015/01/04 12:24



ふと、視線を感じた。
ベッドから半身を起こして、周囲を見渡す。ここには誰も入ってこない。姫様以外は決して。
木々の間から覗く真っ白な檻の向こうに剣を腰に携えた男の人がじっと此方を見つめていた。姫様の目よりも少し濃い翡翠のそれ。美しいそれをもっと間近で見たくなって、僕はベッドから離れた。
相手が驚かないように、慌てず、視線はそのままに普段通り歩く。一歩一歩近付き、阻むものは檻だけになったところで翡翠の瞳を持つ彼は瞬きをした。

「俺が怖くないのか」

今度は僕が瞬きをする番だった。怖い?どうして怖いと思うことがあるのだろう。こんなにも綺麗な翡翠なのに。
右手を両手で包み込んだ。細長い指はかたく、爪は切り揃えられている。僕の手を握り返すこともなく、自由にさせていた。

「どうして?」

胸の内側、名前の無いところが、彼にもっと触れたいと騒ぐ。手をそのまま額に持って行き、あてた。
この人とともにいられたら。
どうしてか、そう思ったのだった。



櫂くんは、櫂くんとは翡翠の瞳の人のことなのだけれど、毎日僕が目を覚ます頃に顔を見せにきてくれた。
一人きりで過ごす僕に寂しくないかと問う。それに対し僕は首を振った。

「櫂くんが来てくれるから」

櫂くんは顔を背けて、そうか、と無愛想に言った。耳がちょっと赤くなっている。もしかして熱があるのかもしれない。
檻の間から手を伸ばして以前したように額に手をあてた。すると、先程よりも耳が赤くなる。熱も僕より高い。

「……何をしている」
「耳が赤いから熱があるのかと思って」

櫂くんはそんなんじゃない、と耳を両手で隠してしまう。でも心配だ。無理してきているのかと思うと苦しくなる。

「妹が熱を出したとき、耳が真っ赤になっていたんだ。だから櫂くんも体調が悪くなっているかもしれない」

櫂くんが倒れてしまったら、悲しい。
僕はここから看病をすることができないし、お医者様を呼ぶこともできない。できることはゆっくり休んでと言葉を掛けるだけ。
そっぽを向いていた櫂くんは顔を戻して、僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「本当に何でもないから、気にするな」

姫様の手よりずっと乱暴だけれど、ほう、と心が暖かくなる。離れるのが惜しいと思ってしまった。

「妹が居たんだな」

知らなかった、と聞きたいという素振りを無視することはできなかった。
姫様ではないのだから、許されるだろう。久しぶりに妹を思い出しながら、話し始めた。

「エミっていう三つ下の妹がいてね、明るくて優しくてしっかりものの妹なんだ」

幼い頃から察しがよくて、母の手伝いも進んで行っていた。五歳から包丁を持ち始め、初めての手料理はサラダだった。手でちぎったレタスと薄切りのきゅうり、一口サイズのトマト。シェフの料理には叶わないのかもしれないけれど、僕には特別な料理に思えた。
エミも成長しているから、きっとレパートリーも増えているだろう。僕の知らない料理も作っているはずだ。

歌も得意だった。幼い人魚姫と褒めそやされることもあった。輝きのある声、なんて言われていた。ああでも、どんな歌を歌っていただろう。

「もう、話す必要はない」
「えっ」

ぽろぽろと涙が落ちる。いつの間に泣いていたのか。目が熱を持っている。
自分の手で拭う前に、櫂くんの指先が目尻に触れた。少しかたい、でも優しい。

「辛いことを思い出させたか」
「ううん。ただ、懐かしくて」

思い出は美しく、残酷である。
もう戻れないのだ。檻の外に出ることは叶わない。懐古するのは自由だけれど。

「さみしくない、さみしくなんてないよ。櫂くんが来てくれるから」

櫂くんがいれば大丈夫。櫂くんがいれば目を逸らし続けられる。
いつまでなんて、考えなくてもよいのだ。




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