Mi butterei nel fuoco per te

(君のためだったら何でもやるつもりだ)



その後は何事もなく、海列車は無事に到着した。不夜島、司法の塔ーーエニエス・ロビーへと。
慌ただしく第1車両へ向かっていく海兵達を窓越しに見るとはなしに見ながら、本当に戻れない所まで来てしまったのだと、ミリアは小さく溜め息を漏らした。サンジ達が来たときであれば、逃げる気があるのなら可能性は決して零というわけではなかったのだ。しかし、ミリアは逃げるという選択をしなかった。端からその選択肢を捨てていた。ロビンをひとりにはできなかったーールッチをひとりには、できなかった。たとえそれが、独り善がりに過ぎないのだとしても。到底罪滅ぼしになどなりはしないのだとしても。
不意に肩に触れられびくりと揺らしたミリアは、触れた相手がルッチだと分かると静かに立ち上がった。彼女も降りなければならない。罪人という肩書きではないため海兵達が駆け寄ってくることはないが、乗車時と同様に好奇の目を向けられ、何かしらを囁かれているようだった。それは恐らくロビンも同じで、この場においてロビンとミリアは、待遇に天と地ほどの差があれど異質な存在であることに変わりないのだった。
丁度フランキーが海兵の頭に噛み付いている場面を目撃してしまい、ミリアは顔を顰める。何あれ、思わず零した呟きはルッチに拾われる。騒がしい男だ、そう言うと不快なものから彼女の視界を遮るようにして、当然の如く腰を抱き寄せた。そのままルッチを先頭に歩いていく。必然、隣のミリアも先頭を行くこととなり、居心地の悪さはいよいよ増すばかりだった。
海兵の掛け声により、見るからに重そうな巨大な門が徐々に開かれていく。最初に目に入ったのは、風に靡く、世界政府の紋章が刻まれた旗。そして、後方に存在する更に巨大な"正義の門"。あそこを潜り抜けてしまえば、ロビンは二度と日の目を見れないだろう。目を背けるにはあまりにも存在感があり過ぎた。
階段を登りきると、このエニエス・ロビーという島の普通ではありえない光景が目に飛び込んでくる。海に底が見えないほどの穴が空いており、勢いよく水が流れ落ち滝を作っている。8年前までは見慣れていたミリアは驚くことなく、むしろ懐かしさを感じながら進んでいく。冷静なロビンは表には出さないものの、内心非常に驚いているようだった。最も驚愕を顕にしたのは、ルッチ曰くの騒がしい男ーーフランキー。目に入るもの全てに驚愕の声を上げるが、やがて建物が立ち並ぶ本島内に入ると海も見えなくなり、自然フランキーも静かになった。

「……どうしたニコ・ロビン」

不意にロビンが足を止めて後ろを振り返る。それに反応したルッチが立ち止まるなと言い掛けたが、ミリアに腕を引かれ、見れば咎めるように首を振られたため口にはしなかった。
そのまま、ミリアもまたロビンの見つめる方向へ目を向ける。門の向こう側から、微かな喧騒が聞こえてくる気がした。ありえないと否定するには、麦わらの一味のーールフィの無鉄砲さとの付き合いが長かった。一抹の不安を抱えたまま、ミリアはロビンが歩き出すのを確認すると、自身も再び歩き出したのだった。その不安を感じ取ったかの如く、腰に回されたルッチの腕に先程よりも僅かに力が込められた。



司法の塔内に入った一行は現在、他の部屋よりも遥かに立派な扉の前まで来ていた。ロビンとフランキーは廊下に留められるようだったが、ミリアはCP9のーー正確にはルッチのーー後に続いた。取り戻したばかりの記憶が正しければこの部屋は司令長官室であるはずだと、ミリアは緊張で体を強ばらせた。CP9前長官ーースパンダインとは顔見知りではあったが、幼いながらに苦手意識を抱いていたのだ。そんなわけで、現長官はスパンダインの息子と聞き身構えずにはいられないのだ。

「お久しぶりで。長官」

ルッチの挨拶に応え、それぞれの名を呼んだーー途中カリファに冷たくセクハラと言われていたーー顔の半分が仮面で覆われた紫髪の男は、ルッチの報告にそれはそれは満足そうに笑うと、彼の傍らに佇むミリアに目を向けた。

「お前が大将青キジのご息女か?」
「……ええ」

値踏みするような視線に耐えかねてミリアが顔を逸らすと、それが気に食わなかったらしく、男ーースパンダムは顔を顰めた。室内に微妙な空気が流れる。
それを破ったのは、ソファに腰掛けていたジャブラだった。ルッチと軽く挑発し合うと、宥めるカクとクマドリを尻目にミリアに声を掛けた。

「10年振りくらいか?デカくなったなァ」

ウォーターセブンへの潜入任務をしていなかったジャブラ、クマドリ、そしてフクロウは、ミリアと程度の差はあるものの旧知の仲である。成長した妹を見るような温かい眼差しのジャブラに、ミリアはどこか安心したように微笑み頷いた。長官を除く現CP9において最年長であるジャブラに、ルッチ程ではないものの、幼いミリアはよく懐いていた。元来面倒見は良い方なのだろう、ジャブラも嫌がることなく相手をしてくれたものだった。
ミリアの頷きを合図にしたかの如く、徐ろに口のジッパーを開けたフクロウが突如潜入組に飛びかかった。カリファ、ブルーノ、カク、ルッチの順で殴られ蹴られその勢いのままに転がり、あわや壁に激突というところで停止した。
寸前でルッチの背後に庇われたミリアは、フクロウに注目する。武器を持った1人の衛兵の強さを10道力として体技のレベルを測る六式遊戯"手合"。それを行ったということは、つまり現在の彼らの強さがわかるということ。行った順に告げられていく数字の大きさに、改めて彼らが如何に常人離れしているのか実感する。500を超えれば充分超人であるというのに、2000を超える者さえいたのだ。しかし、次にフクロウの口から飛び出した数字は、ミリアはもちろんこの場にいる者にも驚きを与えることとなる。

「4000道力!!」
「4000だと!?」

すぐさまフクロウに噛み付くのはジャブラ。そんな道力は聞いたことがない、真面目に測ったのか。猛抗議が行われる中、驚異の4000という数字を叩き出した張本人ーールッチは、涼しい顔でミリアを抱き寄せる。

「もう一度会えたら、そのときは必ずお前を守ると……そのために強くなったんだ」

涼しい顔とは裏腹に、そっと囁かれた言葉はぐらりとした熱を孕み、ミリアの心の奥深くへと染み込んでいく。ミリアは知らぬことだったが、8年前にルッチはクザンから"ミリアは死んだ"と告げられていた。彼女の実父から齎された訃報は何よりも信憑性がある。彼はその現実を認められなかったわけでも、受け入れられなかったわけでもない。確かに時間は掛かったものの、飲み込むことができていた。ただ、受け入れた上で"いつか出会う日"を夢見ていたのだ。生まれ変わった彼女との、もしくは来世での再会を。もしも麦わらの一味がウォーターセブンへ寄ることがなければ、もしかしたらこの先もずっと、彼はそうして人生を歩んでいたかもしれないのだった。
ルッチだけでなくカクにまで負けていると知ったジャブラがカクに突っかかり、ルッチが挑発し挑発され能力を使った喧嘩にまで発展しかけたが、カリファの正に鶴の一声で2人は元の姿に戻った。フクロウ曰く、ジャブラがこうも突っかかるのは、昨日給仕のギャサリンなる女性にフラれたかららしい。そういえばジャブラは惚れっぽくて毎回のようにフラれていたっけ、と幼少の頃に見かけたフラれて落ち込むジャブラの姿を思い出し、ミリアはくすりと笑った。
暗躍機関と聞くとどうにも冷たい印象を受けるがしかし、存外CP9は仲が良い。そんな茶番とも言える賑やかな時間の後。ゆらりと立ち上がったスパンダムが、ついにロビンとフランキー両名との面会を希望した。

「とりあえず、会わせてくれ……!全世界の"希望"に!」

皮肉の如きそれにミリアが顔を顰めたことを知っているのは、ルッチの肩に止まるハットリだけである。