「お邪魔しまーす」
「おー邪魔してけ。汚なくてわりぃけど」


靴を脱いでフローリングの廊下を滑るようにして抜けると、久しぶりに見た眩しい白色の光が瞳の中をジリジリと焼いた。
彼はリビングの左手にあるテレビの前の小さな机にビールの入ったビニールを置くと台所へて足を向けていった。
俺は自分の手にもあるビニールを彼が置いたそれの隣にゆっくりと下ろす。ゴトリと重々しい音を出した袋から俺はそっと手を離し、久々にお邪魔した彼の部屋を見渡した。
前に来たのは一週間前、だっただろうか。その時と殆ど変わらない落ち着いた大人の部屋がそこにはあった。変わった、といえばビールを置いた小さな机よりも廊下側に近いこの黒いソファ。2、3日前に買ったという皮張りのそれは、なんだかトムさんらしいなぁと思わず笑ってしまった。


「なんか面白いもんでもあったか?」


かけられた声に振り返ると、不思議そうに小首を傾げるトムさんの姿があった。頭の後ろでドレッドを束ねた彼もまた一週間ぶりだった。


「いや、なんでもないっす」
「その割にはなんか楽しそうだけどな」


まぁお前が元気出たならいいけど、となんだか嬉しいことを呟いた彼は持っていた皿をテーブルに置いて床に手をつき座る。俺も隣に、といっても適度な距離を保って座る。近付きすぎたらやばい。この心臓の音とか、彼に対する色々な想いとか。


「よし、じゃー飲むか。にしても結構買ったな…こんなに飲めるか静雄」
「どうっすかね…まぁでもトムさんについてけるように頑張ります」
「言ったな?ちゃんとついてこいよ。じゃあまぁとりあえず」


ほい、とビニールから取り出したビールを彼が俺に向かって差し出した。ありがとうございます、と彼の手からそれを受け取ってプルタブを摘む。プシュとカン特有の音を出してそれが空いたのは同時。彼の右手がビールを掲げた。

「静雄、今日もお疲れ」
「お疲れっす」
ガチャンとぶつかるカンの音。そしてその直後にトムさんの喉がなる音。凄いな、と呆気に取られてそれ見ているとその僅か数秒で彼は一カンを空け、次へと手を伸ばし始めた。

「ほら、ついてこいよ静雄」

そう呟いてニヤリと笑うトムさんは余裕の表情。それに対抗して、俺も負けじと手の中のそれを一気に飲みほした。隣で彼の笑う声が聞こえた。







テレビの中でニュースキャスターが今日一日の集大成としてつらつらと情報を読み上げていく。
飲み始めて二時間。いや、それ以上の時間がすでに経っていた。今までの時間の間に大分俺もトムさんも出来上がっていて、すでに俺の顔も火照っていた。俺はボータイを緩めながらふと周りを見渡した。見るとあちらこちらにトムさんと俺が飲んで空になったビールのカンが散乱していた。これは少し飲み過ぎだ。多分明日の仕事に響く。いや確実に。俺は飲みかけのビールを机に置き、もう止めにしようと隣の彼を振り返った。確定しない視界の中でなんとか彼を捉えるが、その彼の様子に小さく息を吐いた。


「…寝てる」



いつからだろう、俺の知らない間にトムさんは寝ていた。
それもよほど疲れていたのか、少し揺らしたくらいじゃ起きないだろうと思うほどの熟睡っぷりだった。アルコールが入ったせいで赤く染まった頬に腹の奥が疼いた。駄目だ、ここにいちゃ駄目だ。しかし心とは反対に視界は彼の無防備な寝顔を捉え、無意識に彼の頬に触れていた。温かい。人の体温をじかに掌で感じて、泣きそうになる自分がいた。


「ん…」
「…っ!!」



彼が身じろぐ。俺はハッとして思わず彼の頬から反射的に手を離した。手の平の温もりが、消えない。


「トム…さ、ん?」


一度動いてから再び静止した上司を不思議に思い、身体を起こして顔を覗きこむ。すると色の黒い彼の眉間には皺が寄り、額からはうっすら汗が流れていた。暑いのか、少しワイシャツを空けたら涼しくなるだろうか。
俺はソファに座らせるような形で彼の身体を動かし、黒と赤のストライプ柄のシャツのボタンに手をかける。ぷちりぷちりとボタンを外す度になんだか胸の当たりがモヤモヤとする。



ヤバいと思った時にはもう遅かった。
ボタンにかかっていた自分の右手がまるで自分のではないんじゃないかと疑うほど滑らかに動く。ワイシャツの隙間から覗く彼の鎖骨を俺の指がスッとなぞり、顎のラインを撫でる。そしてそのまま顕わになったままの首筋にそれを滑らせながら、自分の顔を彼の胸元に埋めた。スンと鼻で息をすると彼の匂いと彼がいつも付けている香水の匂いが混じった香りが鼻腔を擽る。ずくりと俺の中の何かが疼く。ヤバいとは思った。だけど理性が言うことを聞かない。俺は彼の鎖骨に唇を這わせ、そこをチュッと強く吸った。さっきよりも動きを活発にして彼が動いた。しかし今度は止まらなかった。汚らしい欲望が溢れ出す。


俺は胸元から顔をあげずに、空いた左手を彼の薄いストライプシャツの中にいれた。温かな体温を放出する彼の脇腹をスーッと撫でながら上半身の方へゆっくり指を這わせる。それと同時にうなじに置いていた右手を肩の辺りまで降ろしてぐっと小さな力を入れて掴み、色っぽさの混じった彼の胸板にかぶりつくように舌を滑らせた。
が、その時。
頭の上から声がした。
彼が始めに身じろいだ時とは違う明らかに覚醒した、人の声。


「…静……雄?」
「…っ!?」


彼の身体に置いた手を離して顔をあげると、寝ぼけ眼の彼の顔が目に映った。頭の中に自分のした醜態が一気にフラッシュバックした後、真っ白になる。あるのは、モノクロになった彼の笑顔だけ。

「あ、あ…あぁ…あ」


ずさりと後ずさりをすると、カランコロンと場にそぐわない空きカンの音がまるで自分に追い討ちをかけるかのごとく耳朶に響いた。そして俺は、逃げるようにして彼の家を飛び出した。







これがもし全部現実ではないなら。このリアルな世界が全て夢であったなら、どんなにいいだろう。けれど、夢の世界にはこんな現実味を帯びたものは作り出せるのだろうか。彼のマンションから外に出て広がるこの街は、いつも通り人で溢れていた。深夜近いこの時間でも人混みは後を絶やさず、店の先々にあるネオンは、街中を歩く人々を変わることなく照らしていた。そして慌ただしいその街中を俺は人混みをかきわけながら、ただやみくもに走っていた。



こんなにも現実的な世界が、夢であるはずがない。全部、全部。これは現実。
「あ、あぁ…っあぁ」
口から漏れ出す限りない叫びと共に熱い頬に涙が静かに伝い、流れ落ちる。
彼の肌にあった温もりはまだ微かに手の中に残っていて、それは俺に現実の残酷さを突き付けていた。




伝わらない
(虚しいこの空虚な想いは、どうしたって叶わない)


 
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