※トム視点


「…おめぇらは揃いも揃って俺の会社を潰す気か」
「すんません」



黒く塗り潰されて夕闇に塗れた路地にはポツリポツリと切れかけた電灯があるだけで他に光源となるものがなかった。しかしそれでも隣に並ぶ社長の手元と彼の呆れ果てた顔は認識出来るほどの明るさだった。と言ってもそれは逆に、あまり見たくないものでもあったのだが。


闇の中でピカッと二つのランプが点滅する。社長はそれになんの躊躇もなしに近付き、助手席のドアを開けると俺をチラと見、顎をドアの方にスィッと流す。どうやら乗れということらしい。いつもならば戸惑いなく入ってしまうのだが、先程のことがあってどうしても素直にはいと頷くことが出来なかった。俺は社長に渡されたビニール傘の柄を両手でギュッと掴み、歯切れ悪く口ごもる。


「え、いや…あの、そこまでして貰うのは」
「なんだ、珍しく謙虚じゃねぇか。…いいから、早く乗れって」

社長はそう鼻で笑って言い、こっちはお前に明日風邪引かれて休まれる方が困るんだよと背中を思い切り押された。
社長のさりげない優しさに俺はなんだか泣きそうになりながらもありがとうございますと頭を下げて車に乗り込んだ。





静雄は、俺が部屋に押し入った時には既に姿を消していた。普通の人ならば俺が立っていた玄関しか出入口ないのだが、静雄にとっては第ニの出口があったらしい。その証拠に部屋のベランダの窓がこの豪雨の中全開に開いていた。きっとそこから飛び降りたのだろう。静雄ならやりかねない。現に三階下の地面に降り立ったってきっと静雄は怪我の一つだってしていないんだろう。もししていたってすぐ治ると平気な顔をして接着剤で固めようとするのだろう。
しかし、それが分かっているはずなのにいつも以上に彼を心配している自分がそこにいた。蹴破った玄関のことよりも先にこの豪雨の中行ってしまったあいつの身体を第一に考えてしまっている自分がいた。…まぁそのせいで俺は今社長に玄関の弁償という肩代わりにより多大な迷惑をかけているわけなんだが(しかも返さなくていいとか言われたのだから頭が上がる訳がない)


「ぅ…」
「ほら、ちゃんと髪拭いとけ」


ポスリと頭に置かれた柔らかなタオルで俺の髪は社長によってくしゃりと掻き混ぜるように拭かれる。指の腹で髪のを洗われるようにされれば、なんだか犬のような気分になった。少し複雑な気分ではあるが、心地好いからなんとも言えない。
…そういえば俺も静雄を事務所のソファに座らせてよくやってやったっけ。自分でやりますと顔を朱く染めて慌てる静雄にいいからいいからと笑って拭いてやったんだ俺は。…嗚呼、もしこんなことになると初めから分かっていたら、そしてあんなにも優しく接してやらなければ、


(俺達はこんな歪んだりしなかったのか…なぁ、)


「トム」



ふわりと呼ばれる名前。
あとは自分で拭けと放られたタオルの隙間から運転席を見る。漂い、鼻につく紫煙。俺はそれに目を細め、はいと思った以上に掠れた声で返事をする。パチリと合う視線。しかしすぐに逸らされた社長のそれは、雨に打たれてぼやけた前方のガラスを真っ直ぐ見据えて、唇から発せられる言葉だけを俺に向けた。


「お前あいつのことどう思ってんだ」
「…ッ」


目を見開き、社長から視線を逸らして俯く。
ぐちゃりぐちゃりと胸の中で色んなことが掻き混ざる。なんで社長がそんな意味深なことを聞くのかとか、それを聞くのは社長が静雄の俺への一途な想いを知っているからなのかとか、それなら何故その想いを彼が知っているのかとか。でもそんなことは二の次で、一番最初に渦巻いたのは。


(静雄にあそこまでさせてしまった俺の本心)


「な、で…」
「あいつ見てれば分かるよ。静雄は誰と話してる時よりもお前と一緒にいる時が一番嬉しそうに笑ってた」

静雄はすぐ気持ちを顔に出すから分かりやすいんだよと笑う社長の横顔をぼんやりと見つめていれば、彼はその唇に挟んでいた煙草を手に取り車に取り付けられた灰皿に押し付けた。車が急停止する。前を見れば前方少し高い位置に赤く丸いランプが発光していた。


どう思っているかと聞かれれば、きっと静雄はただの俺の可愛い後輩だとしか答えられない。
生憎俺は同性愛者でも両性愛者でもなく一般に女性が好きだ。現に今だって出来たばかりの女の子の恋人がいる。男の恋人なんて考えたこともなかった。静雄は中学時代の時から面倒みてるから弟みたいだとは思ったことはあるが、いくら綺麗な顔立ちだと言ってもそれ止まりだ。今考えてみたって後輩として傍にいるあいつの姿は想像出来てもそれ以上の関係でそれを頭に思い浮かべることは出来ない、したくない。きっとそんなことをしたら何もかも変わって、今まで作りあげた静雄との全てが壊れてしまう。あいつはもう壊れたと思ってしまっているかもしれないけど、俺はまだ続いてるって思ってる。だからそんなことしたくないんだ、俺は。
でも、だけど、



(静雄があの部屋にいないって分かった時、俺にとっちゃそっちの方が都合がいいはずなのに、)


掌に爪が食い込む。唇から漏れそうになった咽びを押し殺して左手で右手首を掴み、右に作った拳へ額に寄せる。



(俺の心はどうしようも息苦しくてしかたなかったんだ)

「…くッ」

それが後輩として静雄を想ったゆえの苦しさなのかを、俺はどうしても、はっきりそうだとは言い切れないのだが。


「トム、」

縮こまった背中を、優しい大きな掌に上下へ摩られ名前を囁かれる。擽ったくなりそうなそれに胸が苦しくなって、思わずすみませんと掠れた声を漏らすと馬鹿謝んなと怒鳴られ、再び背中を軽く撫でられた。
それに少しの安堵を覚え、ゆっくりと瞼を落として深い息を吐く。


目を閉じた暗闇の奥で、静雄が最後に囁くように言った愛の言葉が反芻して響くように聞こえた気がしたのは、きっと気のせいじゃない。



近付けない
(何がなんだか分からないんだ)
(でもその笑顔をもう見れないのかと思ったら、どうしようもないくらいの寂しさが溢れたの)


 
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