心臓じゃたりない


「失礼、いたします」
キィと鈍い音を発する館長室の扉を開け、後ろ手でそれを閉める。
窓ガラスの近くに立つ彼はチラとこちらを一瞥した後、再び目を外の世界へと向けて呟いた。

「シャチか。相変わらずお前は仕事が早いな」

抑揚のない館長の声にサカマタは身を震わせ、目の前の男に会釈をしながらか細い声を出す。

「…館長。話というのは」
「聞かなくても分かってるだろう?今日の朝、議題にしていたことだ」


伊佐奈はクルリと身体の向きを変え、カツカツと革靴で床を叩く音を放ちながらサカマタに近付き、耳元で囁くように言う。


「集客率が3%減少。その理由が…シャチ。お前の管轄内でのことらしいじゃないか。なぁ?」
「………」


減少という文字をこの水族館内に出してはならない。
それはサカマタ自身が一番分かっているつもりだった。
幹部No.2兼館長代理であるサカマタにとって、分かりきっていることのはずだった。
しかし、
油断していた。
自分の管轄内ではミスなどでないと高をくくっていた。
だが水族館の運営はそんな簡単にいくはずのものではなく、見事集客率減少にそれは繋がった。


前こんな風なことがあった時、原因となったそいつは…。






サカマタが何も言えずに立ち尽くしていると、伊佐奈はそれを見兼ねて口を開き、喋り始めた。




「いいんだよ、俺は。人間に戻った所がまた忌ま忌ましい形に戻る訳じゃないんだから。たださ、俺はお前に早く戻りたいって言ってるだろ?だからそのために早くここを世界一人気の水族館にしなくちゃいけないんだ。だけどお前のミスで客が減るってことは、それが遅くなるってことだよな。…つまりな、シャチ」




「水族館の人気に傷が付いた、それなりの償いっていうのが、ね?」

ブルリと背筋に悪寒が走る。
そして直感的に察知する。


ここから逃げなければ、殺される。


しかしそんなことを言ったって何処に逃げればいいというのだ。
ここは小さな小さな牢獄。
一瞬の自由を得ても、その先に俺を待つのは永遠の束縛。
俺はここから外へは行けない。

それならばいっそ…。



「私は…どんな処罰でも受ける覚悟です」


サカマタは顔をあげて顔半分がヘルメットで隠された鯨男の目を見つめる。暗く何も映していないそれは、サカマタを暫くの間見つめた後ゆっくりと横に細められ、ヘルメットによって遮られた口でくぐもった声を出した。「それなら、俺が死ねと言ったらお前は死ぬのか?」


実際に死というものを口に出され、ドクリと心臓が脈うつ。
しかしサカマタはそんなことを微塵も感じさせないようにと、震えそうになった手を抑えて言葉を紡ぐ。


「それで貴方が救われるのなら」


サカマタそう言うと再び伊佐奈に頭を垂らした。



しかし、それは室内にクスクスと響く彼の笑い声によってすぐあげられた。
不気味に館長室に反響するその声は耳障りなほどサカマタにもよく聴こえた。



「…館、長」
「冗談だよ。だってシャチを殺して救われるのは俺じゃないからさ」

そう言って伊佐奈はニコリと笑い、絶望を、泡と共に吐き出した。


「なぁシャチ。俺がいいって言うまで傍にいてくれな」




彼は俺の気持ちを知っているからこそ、そんなことを言うのだ。
それが俺に与えられた最大の償いであり、罰。
そのせいで俺は彼にあってから全てが生き地獄。



あぁもうこんなことになるのなら
この際誰だっていいから、





心臓じゃたりない
(どうか俺を殺してくれ)


 ―――――――――― 

Title:水葬



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