手に入れた空虚


※呪いが解けた後の話




昼間だというのに夜のように暗い館内は水の光と微かに灯る電灯によって照らされていた。先程まで人が行き交いしていたそこは、今はまるで人の侵入を許さないかのようにシンと静まりかえっている。そんな館内を、この水族館の館長である伊佐奈は左腕に“水族館スタッフ”の腕章をつけ、悠々と歩いていた。
彼が発するコツコツという音に重なるように聞こえる靴音は背後から彼に近付き、それが至近距離になった時、彼に声がかけられる。


「あの、すみません…」
「はい、なんでしょう」
後ろからの問い掛けに伊佐奈はニコリと笑って応答する。その彼の表情に声をかけてきた人間は、強張った顔を緩めた。
愛想笑い。
それで人が騙せれば完璧だ。





その子供連れは20分後に始まるショーの場所を聞きにきたようだ。伊佐奈は笑顔のまま、丁寧に手の動きを交えながら短時間で客に説明をする。どうやら客は、その一度の説明で理解したようだ。声をかけてきた母親は伊佐奈にありがとうございましたと頭を下げて彼の指した方向へ進んでいった。
「どうぞごゆっくりお楽しみください」

伊佐奈はその親子の背に感情のない礼をして、再び警備という名の散歩のため館内を歩き始めた。



 ―――――――――― 



丑三ッ時水族館が誇る目玉は、けしてイルカのショーだけではない。
今伊佐奈が歩くB1F〜1Fにある大水槽は、この館内一大きな水槽である。
マンタやらサメやらマグロやら世界中から集められた数多くの魚がこの水槽の中を泳いでいる。

伊佐奈はその色鮮やかな魚の間を進んで、その大水槽に近付いていった。その周りには客である人間の姿がちらほらとあり、ベンチで休憩したり大水槽を遠めに見ていたり、その行動は様々である。

するとその中で一人、大水槽のガラスに手をつき、中をジッと見つめている男がいた。伊佐奈はその男が誰なのか察しがつき、クスリと笑う。

伊佐奈は早速その男へとり近付き、男が見ている水槽のガラスに背を預けて声をかけた。

「大人気動物園の園長が、こんなとこにいて大丈夫なのか」
「今日は休園日じゃ」
「休園だからといってやることがない訳じゃないだろ」
「そういうつまらんことは蒼井華に任せてきた」
「蒼井…?」
「ウチの園の飼育員じゃ」
「あぁ」
伊佐奈は男の言葉に興味なさげの軽い相槌をうちながら、ゆっくりその横顔に目をやる。



俺がこの姿に戻ってから半年。日にちなど数えてはいないが多分その位時間が過ぎていた。人間に戻ったことで起きた自分の周りの変化。それを通常に戻すことは思った以上に骨の折れるものだった。つまり、忙しさのあまりこの男に会うのも久々のことだということだ。


にも関わらず目の前の男、逢魔々刻動物園園長椎名は、先程から一度もこちらを見ない。はて、この水槽に彼の目を引く生物などいただろうか。伊佐奈は水槽に目を向け、中にいる生物について記憶の糸を辿っていると左横から低い、しかし微かに幼さが残った声が聴こえてきて彼の名を呟く。


「なぁ伊佐奈」
「あぁ?」
「お前は寂しくはないか」


伊佐奈は水槽から目を離し、再び椎名を見る。
今度はバチリと目があった。朱い朱い、初めて会った日と変わらぬ綺麗な瞳だ。


「寂、しい…?」
「呪いが消えて人間に戻って、わし達は特別な力を失った。その力がなくなって、お前は寂しいか?」

何を言っているのだろうかこの男は。
怪訝に思って椎名を見ながら眉をひそめると、目の前の男は苦笑いをした。

「わしはな。面白いことが少なくなって…ちょいと寂しい」


そう言って再び水槽へと目を向けた彼の瞳は、水槽の水が反射してではなく、潤んでいた。


そうか。
俺達が人間に戻る代わりに失った力。
その力で姿を変えていた生物は、今ではもう二度とそのような姿になることが叶わなくなってしまったのだ。

こいつは人一倍仲間思いで仲間を守るためならなんだってする奴だ。
俺と違って、使えなくなった奴でもけして切り捨てない優しい奴だ。
だからその分、築いてきた仲間と前のように話せなくなったのが辛いのだろう。


だが俺は違う。


やっと長年の願いが叶ったのだ。
人間に戻ったことに寂しさなど、覚えるはずなどない。
寂しさなんて、そんなものは俺の中にはない。
ただ、




「椎名」
「ん?」





「今みたいにもし他人の存在が俺の前から消えたとしても、俺はお前が存在していればそれでいい」

そう言い放てば椎名は朱い目を俺に向け丸くした後、さも可笑しそうに笑った。


「やっぱしお前とは分かり合えんなぁ」

椎名はそう言って少し寂しそうにでも嬉しそうに だけどな、と口を開く。

「わしはお前のそういうとこ、嫌いじゃないぞ」

そう言ってキシシと笑うその顔からはもう、寂しさの面影はなかった。



…椎名
お前が何かを思って悲しむことは、多分俺にとっては何の不都合もないくだらないことだと思う。
そしてきっと俺は、それを何の感情も交えず捨てさるのだろうと思う。
だけどそれでお前が泣くのなら、嘘を着飾ってでも俺がその涙を止めてやるから



手に入れた空虚
(そんな他人事に涙などしないで、)
(お前はただ俺の傍にいてくれ)



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