片道恋慕


「シシドーっ」


あいつが俺の名前を呼ぶ声が背中の向こうから聴こえる。むずりむずりと、心の奥がぐちゃぐちゃになる音に顔しかめながら声の方を振り返ると、俺に向かってにこやかに手を振る白兎のあいつが視界の中心に見えた。頭の上に振り上げているそれは、手袋を外し腕まくりをして黒い布地から薄い黄褐の肌を露出させている。俺が掴んだら折れてしまいそうなその細い腕は、ほんの数日前まで白い毛に覆われていたというのに。兎のそれと同じサラサラとした触り心地の体毛だったというのに。

最近の話だ。あいつの腕が少しずつ人間のそれに戻ってきたのは。俺がこのひどく錆びれた動物園に連れてこられてからほんの数ヶ月で。飼育員とかいう人間のメスがここに来てから、ほんの数日で。




(…ってことはやっぱ原因はあの女が来たから、か)


一応恋人である俺がそう思うのは億劫なことではあるけれど



「あ、まぁた園長こんなトコでサボってっ!天下一の動物園にするつもりならもうちょっとほんきで働いて」
「蒼井華お前うるさい。それにわしは面白くないことはせんてゆっとるじゃろ!」
「あぶっ、ひどい仕打ち!」


実際仲いいんだもんな、あいつら


俺は横目に飼育員と椎名を映しながら、耳を二人の会話に傾ける。女の少し高い笑い声やら椎名の不機嫌そうな、でもなんとなく楽しそうな声色が聴こえる。




二人でそうやって一緒にいる
そんなやり取りを見ていたら、まるで





(恋人のそれみてぇだなんてよ)





あいつが他の奴と仲睦まじくいることなど考えたくもないのに、自然とそう見えてしまうのだ






二人の姿を映していた視界を閉じ、次に開く時にはその光景から目を離していた。ずきりと胸の辺りがむかむかと痛むのを堪え、そのかわり俺は首回りのファーをぎゅっと掴む。



知っている
あいつの心はちゃんと俺に向いていることを
あいつの一番の笑顔を見れるのは俺しかいないことを
あいつの呟く愛の言葉には、少しの揺るぎだってないことを
だから俺がこんなに不安になる必要なんて少しもないことを


でも、



スッと俺は左脇の毛皮に隠れた傷痕に手を触れる。ぷくりと浮き上がったそれは、完治しているといえども痕となって俺の身体に存在を残している。その傷をなぞりながら、頭の中から数ヶ月前の記憶を引っ張り出す。






ボスの座を得るためにしかけた勝負で負けて受けたこの痛み
見下されるように倒れた俺を見つめる冷たい視線
そして敗者には目もくれず、離れていく仲間の背中サバンナで独り、取り残されるという寂しさ






俺はここで、一人になることの辛さを経験しているから
もしお前に見捨てられたらって時のことを自然と考えちまって
いらない感情ばかりが、胸の深い場所から湧き出てくる




「シィシドォ!!」




飼育員との話が終わったのか、椎名のでかい叫び声が聴こえて耳鳴りがする。うるせぇな、とうんざりというように顔を少し横に動かせばいきなりパコーンという張った音が俺の頭の中一帯に響き渡った。なんだと思った次の瞬間、じんわりと地味な痛みが身体の中へ染み入る感覚に満ちた。始め何が起こったのか分からなかったが、どうやらこの目の前にいる自己満主義の兎に思い切り叩(はた)かれたらしい。その叩いた張本人はというと、険しい顔つきで俺の前を仁王立ちしている。怒っているみてぇだけど…怒りたいのはこっちの方だっつーの。


「っ…ぁにすんだよ椎名!!」
「お前が返事しないでわしのこと無視するからじゃ!!」
「っ…しょうがねぇだろっ!!」






お前が他の奴見て笑ってる顔みてんのなんてつまんねーんだからっ!!



「…シシド?」





(…なんて、簡単に言えたら楽だけど)




「………と…カ」
「あん?」





「てめぇのことなんて知るかバーカッ!!」




(素直にそう言えないからいつまで経ってもこの複雑な気持ちは消えずに今も)



片道恋慕
(想ってるのは俺だけなんじゃないかと思ったら、)
(違うって分かってても、なんだか寂しくて)



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